鬼滅の刃

□今の俺はとにかくこの話を誰かとしたくてたまらない
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「難儀だよなぁ…」
資料室で調べ物をしながら独りごちた。

「難しいですよねぇ…」
独り言のつもりだったのに、いつの間にやら後ろに人がいる。
「えっ、あっ、すいません!」
振り返ると気配がないのも当然。
『柱』である胡蝶さんが立っていた。

ここは蝶屋敷。
胡蝶さんがいるのも当然の場所だけれども緊張する。
だが。
今の俺はとにかくこの話を誰かとしたくてたまらない。
先ほどから目の前で繰り広げられているこの光景。
俺達がいる部屋の硝子張りの窓から見える、あの光景。
ちょうど庭を挟んだ向かい側で、竈門と我妻が仲良くじゃれ合っている。


「村田さんの目に、あの二人はどう見えています?」
隣に腰掛けてくる胡蝶さんからふわりと良い匂いが漂っている、ような気がする。
本当に綺麗な人だ。
「いやぁぁ…、…付き合ってるのかな、と思ってた、…んですけどね…」
口ごもる。
「…我妻はまったく、そんな意識がないそうで…。友達同士のじゃれあいを、ああしたものだと思い込んでいます…。そう信じ込ませてるのも竈門みたいですが。竈門の方は、まぁ…。見ての通り、囲い込んで抱きしめて、他の奴らへ牽制してたりとわかりやすいんですが…」

「実際、鬼殺隊には多いですからね」
胡蝶さんが苦笑する。

そう。
男同士、女同士。
命懸けで戦っている分、生き急がなくてはと思うのか。
それとも、いつも共同で任務をこなす相手を命を預け合える存在として慕うからなのか。
そんな伴侶を選ぶ人達も、この組織の中では決して珍しいものでは無いのだ。

俺たちの視線の先。
ごろごろと喉を鳴らしそうな顔で炭治郎の膝に頭を乗せて寝転んでいる我妻と、それを愛おしそうに眺めながら頭を撫でている竈門の姿が見える。

「…安心するのだそうです。お互いの音と匂いに」
「みたいですね。この間は竈門が我妻を自分の膝に座らせて、思い切り抱きしめて背後から匂いを嗅いでいましたよ。それを嬉しそうな顔してされるがままでしたからね、我妻は」
「ここでも同じですよ。蒲団はちゃんと人数分あるのに、あの二人はいつも同じ蒲団で寝ています。善逸くんの方から潜り込んでいくそうです。落ち着いて眠ることが出来るからと。…傍からは窮屈そうに見えるんですけどね」

どちらからともなく溜息をつく。
「…毎晩…ですか…。それでまぁ…よく我慢してますね…竈門…」

竈門は鼻がきく、というのは俺たちの間では有名だ。
鬼の気配よりも先に匂いで気付く。
匂いを追って鬼を捉えたことも一度や二度のことではない。
その能力の高さもあいまり、階級もうなぎのぼりに上昇している。

「…そうなんですよね。…相当に我慢、しちゃってるみたいです」
胡蝶さんが深い溜息をつく。
「体に良いことではないので、出来れば何処かで発散しておいて欲しいところなんですが。こればかりは相手のあることですし…」
困ったように眉を下げる

視線の先では、自分の頭を撫でていた竈門の手を両手でくるむように握りしめ、頬に当ててすやすやとしている我妻の姿が見える。

「…炭治郎くんがいない時は、あまり眠れていないようで。聞こえすぎると言うのも大変なのでしょうね」
「あー…、確かに。この間共同任務だったんですけど、寝ているところは見なかったです」
あの時のことを思い出す。
確かに俺は我妻の寝顔を見たことがない。
今はこうして、竈門の膝の上に埋もれて眠っている我妻の顔を思う存分眺めていられるわけだが、竈門がいない場所では見ることがない。
竈門の音に包まれていなければ、俺達の立てる音、気配によって、容易くあの眠りは妨げられていたに違いないのだ。

「元柱の桑島さんが育手なので聞いてみたのですが、修行中もほとんど寝ていなかったそうです」
「…それだけ寝てなくて、なのにあんなに強いんですかあいつ。こないだの任務のときだって、強い鬼が3体もいたのに、結局全部1人で倒してましたよ。…一瞬過ぎて、俺達は未だにあいつの刀身すら見たことないんです。鬼の首が転がってる、と思ったらもう納刀されていて。…でも本人は覚えてないんだよな…」
最後は独り言みたいになってしまった。

鬼を倒したあとは、泣きながら縋りつかれた。
「ありがとぉありがとぉぉぉ!!この恩は忘れないよぉぉぉ!!」
「えぇぇ…何言ってるんだよ我妻ぁ…」
何も考えられないほど混乱した頭で、恩を感じているというのなら、あれだけ面倒見て貰ってるんだから、もういっそいい加減竈門と付き合ってやれよと思ったことを思い出した。

「…本当に…あれで…付き合ってないんですよね…あの2人…」
遠目で見ていても、竈門は頬を染めて愛おしそうにずっと我妻を見つめている。
柔らかそうな金の髪を撫でながら、くるみこむような瞳で我妻だけを見ているのだ。

そんな竈門になされるがまま、我妻は無造作にその体に触れ、竈門が立てるという音に意識を溶け込ませている。

…同じ男として同情する。
好きな相手があんなに無防備で、自分に懐いていて、恐らくきっとたまらなく魅力的な匂いをさせていて、無邪気に抱きついたり縋り付いたり泣きついたりしてくるのに、それでいて肝心の情緒は童同然だと言うのだから。

「…親兄弟の縁に恵まれなかった、友人と呼べる相手もいなかった、とは聞いていましたが…。それにしても」
あれは酷い。
続く言葉を飲み込んでしまうほどに。

「…今はああして、人との絆を結ぶことに必死なのでしょう。…炭治郎くんには、ちょっと気の毒ですけどね」
苦笑している胡蝶さんが、とんとん、と窓を叩く。

「普段の善逸くんなら、私がここから窓を叩いているだけで音を聞き分け反応し、こちらを見てくれます。…でも今日は本当に、炭治郎くんの音だけに集中しているようですね。私達の声は勿論、他の何の音も聞こえていないのでしょう」
「…それでも、付き合ってはいない、と」
「そのようですねぇ…」
しみじみと言われ、体から力が抜けていく。


胡蝶さんには言えない。
女の人相手に言えるようなことではない。断じてだ。

…だが俺には分かる。
今の竈門は相当に煮詰まっている。

惚れた相手があんなにも無防備に体を預け、絡ませてきて、自分はそれに対しまるで慈愛に満ちた男のように接していかねばならない。

それでも相手は何も気付かず、ただただ無造作に己の体を預けてくる。


…いや、もう我妻お前、好い加減にしてやってくれよ。
お前がそんなんじゃ、竈門だっていつ耐えきれなくなって豹変してしまうか分からんぞ。

そんなことだけをつらつらと想った。










■△■▽■△■







「俺、炭治郎のこと好きだよ」
ふわりと花開く笑顔でそう言われた。
金の髪に陽が反射して本当に綺麗だ。

「俺も…善逸のことが、好きだ」
「そうなの?ありがとう」
こくりと喉が鳴る。
ずっとずっと想っていた。
あの時から。

「命よりも大事なものなのに」
たったそれだけの言葉を信じて、命がけで、鬼が入っていると知っていた箱を守り抜いてくれた姿を見たときに。
そうして善逸のことを知る度に、その想いはどんどん根深く俺の中へと浸透していった。

だけどこの想いはきっと自分だけ。
なんせ再会のときから女に縋り付いていた姿を見せつけられているのだから。
『長男なのだから』
『善逸にだって申し訳ない』
そう何重にも鍵をかけ封印してきた想い。
報われるのだろうか。
本当に?
そっと手を握る。
にこにこと笑いながら握り返してくる手を更に握る。
『長男なのだから』
そう封印し続けていた何かが、一気に解き放たれた気配を感じた。

「好きだ。善逸のことが。誰よりも一番大好きだ!」
叫ぶと、驚いたように琥珀の瞳を見開く。
そして、満面の笑みで頷いてくれる。

「ありがとう!俺も、炭治郎の音がいっとう大好きだよ!」
羞じらうように耳たぶを赤く染めて、俺の手を握り返してくれる。
そうして照れたように俯いていく。

…両想いなら…色々なことをしたい…。
口付けを交わしたり。
体に触れたり。
…出来ることなら、更にその先まで。

泣き虫で、弱虫で、逃げ癖のある恋人。
怯えさせず、怖がらせず、それでいて、ふんだんに匂いを味わえるような、そんな機会をずっと伺っていたのだ。

それなのに。



「子分ども!何をほわほわしてるんだ!俺も混ぜろ!」
俺と善逸の間を裂くかのように伊之助が飛び込んでくる。

「伊之助!?」
思わず抗議するような声が出る。

それなのに。



「俺、伊之助のことも好きだよ」
「うるせぇ!これ以上俺をほわほわさせてんじゃねぇ!!」
「なんでよ?!嬉しいなら素直に喜んでたら良いのに!」
「猪突猛進!!」
「助けて炭治郎!伊之助がぁぁぁ!!」
泣きながらしがみついて俺の後ろに隠れてしまう。
「そこをどけ紋治郎!」
「やだやだやだやだ助けて炭治郎っ!なんでよ?!好きって言っただけでこの仕打ち!!」

泣き喚いている時の善逸はあまり耳が聞こえていない。
せいぜい普通の人よりちょっと鋭いくらいだ。
自分の声が五月蠅いから。
騒いで泣いて興奮して、他の人の音になんて何も注意を払わないから。


…だから気付かない。
…だから騙される。何度も。何度も。

ぴりっとした痛みが胸に走る。

通じたと思った瞬間裏切られてしまった。
わかっていたのに。
善逸は自分に剥けられる愛情には疎いと知っていたのに。
それでも期待をしてしまった。
報われるのではないかと思ってしまった。

期待が大きかった分、落胆の悲鳴が身の内の更にその奥までをも蝕んでいく。


今の俺が奏でているだろう酷い音に、善逸は全く気付いていない。
そのことに安堵し、それでいてひりつくような痛みが胸の中を皹割れさせていった。


風呂を浴び、夕飯を食べ、眠る時刻を迎えても、火傷のようにひりつく痛みは消えてくれはしなかった。
勝ち誇ったような顔で、俺の皿から伊之助がおかずをとってはこれみよがしに咀嚼していた。
普段ならなんとも思わないその光景が、何故だか今日は俺を矢鱈と落ち着かなくさせる。

「…どうしたの炭治郎。腹でも痛いのか?」
心底心配しているような匂いをさせて、善逸が俺の頬や額に触れる。
「…熱はないと思うけど…。あとで診てもらうか?」
「…いや、大丈夫だ。一晩寝てれば治る」
なんとか笑顔の形をなぞる。
乱れた寝間着。
胸元も大きく開き、覗き込めば色んなものが見えてしまいそうなほど。
帯がだらしないからだろうか。
形よく引き締まった足が、半分ほども見えてしまっている。

…つ、と。
心の内側に、黒い雫が垂れていったような、そんな匂いが漂っていく。
自分からこんな匂いがするとは思わなかった。
考えたことすらなかった。
善逸の耳に届く音も濁っているのだろうに、それでも心配そうな金の瞳は変わらない。 


…信じたい人を、信じる。
…その相手が、善逸を騙すつもりで近寄って来るのだとしても。
善逸にはそういうところがある。
底抜けにお人好しなのだ。
困っている人や弱い人を見捨てられない。
自分には価値がないと思いこんでいるから、たやすくそんな相手にも、自分を切り売りして与えてしまう…。

「…音は聞こえていたはずなのに…何故か、一度信じた相手の音って…分からなくなっちゃうんだよねぇ、俺…」
そんな話をしていたときも笑っていた。
自虐の笑み。
自分のことをどうしようもないと存在だと信じている。
「俺の人生なんて、詰まんないよなぁ」
寂しそうに笑う顔。

「そんなことはない。善逸は優しくて強い」
ぎゅっと手を握ると、「…ありがとね、炭治郎」とはにかんだ笑みをこぼしてくれた。

…その切ない笑顔を、本当の幸せで満たしてやりたい。自分の手で。俺が、善逸の『特別』になれたら、それはどれほど幸せなことだろう。

そう思って、努力してきた。
それなのに。
…伊之助は確かに強い。底抜けに良い奴だ。俺にとっても大事な仲間。

…それなのに。
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