鬼滅の刃

□炭治郎が頼りにならない
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霹靂一閃、八連。そして神速。

鬼の首を切り落とした瞬間、首だけになったそいつと目があった。

「おのれ鬼狩りめがぁぁぁ!!せめてもの道連れに、一矢報いてやるからなぁぁぁ!!恥ずかしがって悶えてろぉぉぉ!!!」
咆吼と同時に、視界が白で染まる。


踏み切っていた足が地に着いたその場所は、凹凸もない白い床だった。
あっと思う暇もないほどの刹那の間。
それだけで、俺達は白い部屋へと閉じ込められていた。

何処を見ても障子も襖も窓もない、ただひたすらに白い部屋。
畳もない。床板も見えない。
白い床。白い天井。
何処からも自然の音がしない、怪しい部屋。

部屋の中央に置かれているのは一組の白い蒲団。
そこに並べられている枕は2つ。
その横にちり紙と水差しと、水の張られた盥と手拭いとが積んである。
並べられた小瓶はどうも、しのぶさんが炭治郎に渡していたあの通和散とか言うぬめり薬に見える。

やばい。
これは本気でやばい。

冷たい汗がつうっと背中を滑り落ちる。



反面、炭治郎の音はこの世の春とでも言うかのように弾んでいる。
嬉しさを隠しきれない音と顔。
そわそわと辺りを伺い、そして照れた顔でちらちらと俺を見ている。


いやもうむしろ血の涙が出そうだよ俺は!
切っただろうが!
間違いなく俺がこの手で切っただろうが!
最期の最期までこんな部屋用意してるんじゃないよ鬼!
助平かよ鬼!
どうせもう塵になっちゃってるんだから見えないじゃろがい鬼!

どれだけ悪態をついても現実が白い。
床も天井も何もかもが白い部屋で、何故か中央に鎮座している白い蒲団だけが目に痛い。

横から聞こえる浮き立つような期待の音。
湧き上がる情欲の音。
むんっと何かに気合いを入れている声。


絶望に打ちひしがれてその場にへたり込む。
「…なんでさ…。切ったのに…切ったのに…」
ぶつぶつと紡がれる呪いの言葉だけが、血の気の引いた唇からまろびでる。

腰を着いた俺の前に、目下最大の悩みでしかない男が嬉しそうな顔で腰掛ける。
「大丈夫だ善逸!責任は取る!だから結婚しよう!」
「いや巫山戯んなよ。あの時お前がでかい声で叫んだことは許してねぇぞ」
据わった瞳で見据える。

そのまま睨んでいると、視界の端に白いものがひらひらと舞うのが映る。
墨で何かを書かれた紙。
これが言われていた書付なのかと絶望と共に掴み取る。



「…え…、どうして…」
見たくもなくて掴んだまま書付を握りしめ放っていると、それを見たらしい炭治郎の顔から血の気が引いていく。
いやまぁ、さっきまであんなに真っ赤に染まってたからさぁ。
このくらいで丁度良いと思うんだけどね俺は。

耳だけ澄ませて聞いていると、期待に満ち満ちていた音がしぼんでいくのが分かった。
しょんぼりとした音を立てる炭治郎を見て、ならそれは俺にとっての朗報じゃないかと拳を握る。

舞い落ちた書付はそれぞれの手に1枚ずつ。
つまり『2人でする行為』ではなく、それぞれが個別に遂行するべき行為を指定されていると言うことだ。
それだけで俺にとっては喜ばしいことであるに違いない。

ぐしゃぐしゃにしていた紙を弄る。
鬼のくせにえらいこと達筆な文字が見える。

『れ』
『につい』

何だろう。
しおれている炭治郎には目もくれず、書付の紙を広げていく。


『初恋について語れ』

書付を見た瞬間、俺の顔には笑みが浮かぶ。
それを見て、炭治郎が再びがっかりとした音を響かせる。

当たり前だろうが。
鬼の首はもう俺が切り捨てたあとなんだよ馬鹿め。

接吻だとか口淫だとかまぐわいだとか。
そんな書付を残す余力があってたまるか。
よしんば書いてあったとしてもやるわけないだろ。
俺もお前も男だぞ頭沸いてんのか馬鹿め。


「…俺の初恋は善逸だ。優しくて強くて、甘い匂いがする。笑顔も泣き顔も、俺は善逸の全てを愛している。善逸の匂いにくるまれたいと、いつだってそう願っている。誰にも渡したくない。…本当に、心の底から愛しているんだ」
炭治郎が握っていた書付がはらりと揺らぎ消えていく。
そのしょんぼりとした顔を見て思わず笑う。

「良かったじゃないか。これですぐに蝶屋敷へ戻れるぞ」
そう言って笑うと、むんっと頬を膨らませている。

「うぃっひひっ」
「…その気持ち悪い笑い方は止めた方が良いと思うぞ、善逸」
「だまらっしゃい!今回のお前さん、本当に何の役にも立ってないからな!?」
びしぃっと指さしてやれば、ぷくぅっと更に頬を膨らませる。

それを見て、更に声を上げて笑う。




「俺は、同じ奉公先にいた女の子!いろちゃんって言ってね。おさげが似合ってて可愛くてさぁ!良く一緒に餡蜜食べに行ったんだよね」

俺の握った書付を見つめる。
動かない。消えない。何故だ。

「…次の子かな。はにちゃんって言う、リボンが似合う女の子でさぁ。良く似合いのリボンを贈ったっけ」
書付はひらりとさえ揺るがない。

「…おっかしいな。なら、ほへちゃんかな。奉公先の隣の家に住んでてさぁ。うさぎが大好きで、うさぎの根付をたくさん集めてたんだよね」
「…」
炭治郎が不思議そうに俺を見ている。

嫌な汗が背中を濡らす。

間違いなく、俺は彼女たちと付き合っていた。
それが金目当て、雑役夫目当てであったとしても、間違いなく俺達は付き合っていた。そのはずだ。

『善逸くん、いつも良く頑張ってるね』
そう話しかけてくれて、俺は恋に落ちたはずだ。
『私、これが欲しいの』
だから彼女たちのために、必死に働いて欲しがるものを買い求め続けた。
『ありがとう』
そう笑顔で話しかけてくれた。
それだけで俺は幸せになっていけたのに。

書付が消えない。
そよりとも動かない。

「…とちちゃん、かな…」
「なら、りぬちゃんだ」
「るをちゃんが俺の初恋かな」

…。
俺が付き合ってきた女の子たちは7人。
次のわかちゃんで最後だ。

だけどわかちゃんの名前を言って、この書付が消える気がしない。
使った金額は1番高額だったけど。
わかちゃんのために、俺は借金背負ったわけだけど。
それでじいちゃんにも会えたし、お陰でこうして炭治郎やねずこちゃんや伊之助達とも会えた。
だから本当に恨んでもいないし怒っているわけでもない。

それは他の女の子達も同じなわけで。
ただ何処かで幸せになってくれていると良いなぁと、それだけだ。



…だから、俺のこれは、恋ではない。
ただ好きだと言われ、騙されていると知りながら、刹那の幸福に身を委ねていただけなのだ。

本当は自分でも分かっている。
彼女達に向けていた心は、恋ではなかった。

羽織の裾をぎゅっと握る。
何もない白い空間の、その足元を見つめる。

書付が消えなければ、この空間からは出られない。
俺だけならまだしも、ちゃんと自分の書付を消した炭治郎まで出られない。

頭の先から血の気が引いていく。

「…わかちゃん。…わかちゃんが俺の初恋」
書付は消えない。

「禰豆子ちゃん。禰豆子ちゃんはいっとう可愛くて、とても大事な女の子だ」
書付は消えない。

「…俺は誰のことも好きじゃない。本当に恋した人なんかいない」
書付は消えない。




歯を食いしばる。
そんなつもりじゃないのに、ぼろぼろと涙の粒が頬を伝う。
そのまま声を殺して泣き続ける俺の背中を、炭治郎が優しく撫でてくれる。

ごめん。ごめんな炭治郎。
俺のせいで出られない。

謝りたいのに声にならない。
ちらりと見上げた視線の先では、穏やかなほどに優しい微笑みを浮かべている炭治郎がいた。


固く目を閉じる。
書付を握ったまま、羽織の裾を一層きつく握りしめる。

「っ…、ふぇっ…」
俺の口から情けない声が漏れていく。

「…ぅ、ぅぇぇぇ…」
押さえていても押さえきれない惨めな声が、俺の口から迸る。

白い床が濡れていく。
伝った涙で羽織も濡れている。
それでももう、俺には何もかもどうすることも出来なかった。

泣いて。泣いて。泣いて。
すんっと鼻を鳴らす。

いつまでも泣いていたら駄目だ。
『帰る場所はこの蝶屋敷ですよ』
しのぶさんの柔らかい声が耳の奥に蘇る。

禰豆子ちゃんが待っている。
誰よりも優しいお兄ちゃんが帰ってくるのを、彼女はずっと待っている。





「…ろ…」
ぎゅうっと瞳を閉じているのに、それでも涙が止まらない。

「…、が、…き…」
羽織と一緒に握りしめていた書付の紙がひらりと揺れる。

ぶわりと涙が溢れ出す。
せっかく押し止めていたはずの想いが、堰を切ったように溢れ出すのが分かった。



「…た、んじ、…ろ、が…、…好き…」
炭治郎から驚いた音が響いたのと、白い空間が消えたのとが同時だった。

「もう一回、聞かせてくれないか。善逸」
固い手のひらが俺の手を握る。

「…俺は何も言ってない…」
いやいやと頭を揺らすと、固く瞑ったままの瞳から涙の雫が揺れて落ちた。

「…っ…」
肉刺の潰れた厚い手のひらが、俺の頬を撫でていく。
その熱に浮かされるように瞳を開く。
優しい笑みを浮かべた顔が、慈しむように俺を見ている。

そのまま整った顔が近づいてくるのをただただ見つめた。
柔らかなものが俺の唇へ触れ、啄むように唇を何度も食んだ。


そのまま泣き続けている俺の手を引いて、炭治郎が暗い帰り道を歩く。
いつの間にやら俺の右手は温かい手のひらにくるみこまれるように繋がれていて、だからというわけでもないけれど、普段よりもずっとゆっくり歩き続けた。

炭治郎からは穏やかで優しい音が響いていた。








静かに泣きながら戻ってきた俺を見て、しのぶさんが息を飲むのが分かった。
眉を顰めて炭治郎を見やる。
その手は俺の手を握りしめているままだ。
違うのだと言いたいのに、泣き続けた瞼は腫れぼったくなっているし、喉は痛いし、何を言えばいいのかすら全然わからないし、だから何も言えないまま涙だけを零し続けた。

「…炭治郎くん…?」
「はい」
弾むような音を立てながら、にこやかに炭治郎が答える。

「…善逸くんの体は、診察が必要な状態でしょうか?」
ひんやりとした声。
しのぶさんの立てている音が不穏。

「いいえ。ただちょっと涙が流れすぎているようなので、部屋で水を飲めば大丈夫だと思います」
「…渡した通和散、見せていただけますか?」
「あれは使っていないので!」
嬉しそうに笑っている炭治郎を胡乱げに見つめ、しのぶさんが俺と向きあう。

「大丈夫ですか?善逸くん。…炭治郎くんを信じて送り出しましたが、何か辛い想いをしましたか?」
ふるふると頭を横に振る。

「診察は必要でしょうか?」
それにもふるふると頭を振ることで答える。

しのぶさんがふぅっと息をつく。
炭治郎と俺とを交互に見て、軽く肩をすくめる。

「では、大丈夫そうですね。その薬は回収しましょう」
しのぶさんが出した手を、炭治郎がじっと見つめる。

「すいません!これはいずれ近いうちに必要になるので!このまま持っていてもよろしいでしょうか!」
そのまま直角に腰を曲げる。

笑顔のまま固まっているしのぶさんがその顔のまま俺を見つめる。

「いやだから巫山戯んじゃないよお前ぇぇ!!」
繋がれた手を振りほどこうと振り回すのに、炭治郎の手がしっかりと俺の手を握っているから離せない。

その握った手を炭治郎が恭しく口元へと持って行く。
「今度こそ承諾して欲しい。…俺と添い遂げてくれ、善逸」
そのままちゅくっと指先を食まれ、俺の顔に朱が上る。

その様子を見てとり、しのぶさんがほっとしたような音を立て、楽しそうに笑った。


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