鬼滅の刃

□だって善逸は教えてくれない
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『拝啓
こちらは毎日暑いです。獪岳は元気にしてますか。俺は元気です。前にも書いたけど、初めての友達が出来たんだ。とっても優しい音をたててる炭治郎って奴と、すごい綺麗なのに男ってことに驚いちゃう伊之助。三人で肋を折っちゃってずっと藤の屋敷で療養してたんだけど、そろそろ傷も完治しそう。明日にはお医者さんが来るって言われて俺泣きそうだよ。任務だって、獪岳が一緒なら怖くないのに。あっ、でも俺、最近は泣かずに任務に行ってるんだよ。相変わらず鬼の首は切れたことないけど、なんとか生きてる。そういや、近くに来ることがあれば顔を見』


『拝啓
朝晩涼しくなってきたね。獪岳は最近どうですか。随分経ったけど、未だに俺以外の隊員は烏連れてる奴しか見ない。なんで俺だけ雀なんだろ。獪岳は雀連れてる隊士って見たことある?もしかして雀や烏以外の鳥を連れてる奴もいるのかな。そういや俺、こないだの任務で重傷になっちゃって、今はまた蝶屋敷にお邪魔してるんだ。炭治郎と伊之助も一緒だよ。獪岳は友達出来た?俺はたまたま同期が良い奴らだったんだけどさ。獪岳の同期』


『拝啓
獪岳は元気ですか。俺はようやく体も良くなってきたと思ったら最近立て続けに任務が舞い込んでるんだけど、しかも単独任務ばっかりだよ。やんなっちゃう。これ一体どういうことかな?もう本当に納得出来ない。そういやこないだ蝶屋敷に来てた人から、獪岳の話を聞いたよ。その人、獪岳はどんどん階級を上げてて凄いって言ってたぞ。獪岳は強いから怪我なんてしないよね。俺はまだ当分蝶屋敷を拠点にするみたいなんだけど、獪岳とも会えたら嬉しいな。俺はやっぱり獪岳』


『拝啓
獪岳は元気にしてる?誕生日おめでとう。俺の誕生日はもう終わっちゃったけど、獪岳に会えなくて寂』





…これは何だ。

炭治郎の眉間に皺が寄る。
風呂の焚き付け用にと屑籠から集めてきた紙の束。
捻るようにひねられ捨てられていたその紙束から、見慣れた文字が覗いていたのだ。
善逸の字だ。
そう言えば善逸が引き出しから取り出した紙束を束ねていたなと、軽い気持ちで手に取った。
それで何の気なしに開いてみたのだ。

本当は良くないことだと分かっている。
書き損じだろうと、人の書簡を読むなんて駄目だ。
分かっているのに。


…獪岳?
誰だ。
確かに善逸は良く手紙を書いている。
誰に書いているんだと聞いたとき、じいちゃんに書いてると言って笑っていた。
そこに嘘の匂いはしなかった。
それは確かだ。
…だがこの『獪岳』なんて名前を、俺は善逸の口から聞いたことは一度もない。

『炭治郎は手紙もたくさん書いてるよね。友達多いもんな』
『俺と手紙のやりとりをしてくれるのなんて、じいちゃんだけだよ』
そう言いながらも、楽しそうに筆をとっていた姿を思い出す。

獪岳。
誰だ。
どう記憶を探っても、俺は善逸の口からこの名前を聞いたことは絶対にない。

なのにどうして、善逸はこんなにも親密そうな手紙を書いているのだろうか。
それも何通も。
基本善逸はあまり手紙を書き直さない。紙が勿体ないからと、そう言って。
書き損じだけでこんなにあるのなら、出した手紙の数は一体。
『初めての友達』。
それが俺と伊之助のことなら、この獪岳という男は友達ではないと言うことか。
『誕生日』。
…俺は善逸の誕生日がいつなのか知らない。
もう過ぎてしまった…?
そのことすら、俺は何も知らなかったというのに。
この獪岳と言う男は、当然のように善逸の誕生日を知っていて、善逸から自身の誕生日を祝って貰っている…。

俺の誕生日には、善逸と一緒に街へ出掛けて餡蜜を奢って貰った。
善逸と二人きりで出掛けるだけで幸せだったが、善逸が餡蜜を頬張っている姿を正面から見つめることが出来て、俺は本当に至福の時を過ごすことが出来たのだ。
その時に聞いたはずだ。
善逸の誕生日はいつなのか、と。
善逸は寂しそうにへにょりと眉を下げてこう言った。
『俺、捨て子だったからさぁ。誕生日なんて上等なもの、知らないのよ』
切なそうな匂いが胸につかえてしまって、だからそれ以上聞けなかった。
『じゃあ、次は俺が奢るからな』
だからその時は、それだけを約束したはずだった。

善逸は孤児だ。
善逸がそう言っていたし、間違いは無い。
そこを育手のじいちゃんに拾われたのだと、そう。

『俺はさぁ、今まで友達なんてものは1人もいなかったの』
『だから、双六もことろことろも、ここで皆としたのが初めてなんだ』
『楽しいねこれ』
『負けてばっかりなのは、ちょっとだけ腹が立つけどなぁ』

笑いながら言っていた、あの言葉が胸に込み上げる。

友人ではない。
家族ではない。

…なら、この獪岳というのは一体誰だ。

善逸の匂いが鼻腔の奥によみがえる。
優しくて強い。
柔らかく甘い、とても心地良い匂い。

そして最近薫るようになっていた、あの匂い。
仄かに残り香のように薫る、憧憬のような、憧れのような…恋のような、あの。
…あの匂いは。
…一体、何処から。




善逸には何度も何度も告白をした。
愛している。
俺と恋仲になって欲しい。
将来を約束して欲しい。
こんなことは善逸しか考えられない。

その度に「それは駄目だよ、炭治郎」。
そう言われた。

寂しそうに、切なそうに微笑みながら、それでも頭を振りながら、善逸はただひたすらにそれは駄目だと繰り返した。


…この男がいるからなのか。
…だから俺には、この男の名前を一度も教えてくれなかったのか。


灼けるような痛みが胸の中へと広がっていく。
焦がされた恋情が悲鳴をあげる痛みの匂い。
それが己の身の内に充満していくのを嗅ぎ取った。




焚き付け途中だった風呂に薪を5本ほど足して部屋へと戻る。
あとはもうこれである程度は沸くだろう。
部屋の障子を開けたところで、丁度部屋の掃除が終わったらしい善逸と顔を合わす。
盥に張られた水で洗われていた布きれ。
それが善逸の手で絞られて、ちゃぷんと水滴を盥に落とす音が耳に響いた。

「…どうしたの炭治郎。なんか不穏な音してるけど、何があったんだよ」
こてんと小首をかしげる仕草に、腹の奥底が刺激されてしまう。

「好きだ。善逸」
その髪の毛に手を伸ばす。
柔らかな毛先を指に絡めて唇を押し当てる。

「ちょ、急にどうしたのさ…!風呂の焚き付けは終わったのかよ!?」
真っ赤になって琥珀の瞳を彷徨わせているところまでが可愛くて堪らない。
「…善逸。話があるんだ。」
そう言って綺麗に掃き清められている畳を指さすと、善逸がきょとんとした瞳で正座して俺を見上げた。

「どうしたの炭治郎。調子でも悪いのか。…辛そうな音がしてる。ちょうど掃除も終わったところだし、横になっておくか?」
心配そうに見つめる琥珀の瞳。

…この瞳で、愛しい男を見つめるのだろうか。
…俺ではない、他の男を。

俺と善逸は今、こうして家族のように同じ部屋で暮らしている。
間借りしている蝶屋敷の離れではあるが、俺にとって善逸は紛れもなく家族だ。
そしてこのまま正式な家族になりたいと、伴侶になって欲しいと、そう願っている。
…家族には隠し事などしないはずだ。
だからきっと、問えばこの『獪岳』という男が誰なのか、きっと教えては貰えるだろう。

そうは思えど、やはり胸の中にもやが掛かったようになり落ち着かない。
普段はあれだけ賑やかで、聞いていないことだっていつも教えてくれるのに。

…どうして、俺はこの男のことを知らないのだろうか。


先ほど見た手紙の男が。
この瞳に見つめられ。
この体を抱きしめて。
そうして。

頭を振る。
考えられない。
考えたくもない。


…駄目だ。
…絶対に。
…それだけはどうしても、我慢することなど、出来そうにもない。





「…好きだ。俺と恋仲になって欲しい」
座っていた善逸の前に腰掛け、その琥珀を見つめる。

「…駄目だよ、炭治郎。何度も言ってるだろ。駄目だ。…そう言うわけには、いかない…」
くらりと揺れた瞳が畳の上へと落とされる。

「理由を聞かせて欲しい」
「そんなの…」
伏せられた瞳に、金の睫が影を落とす。

「他に、好きな相手がいるのか」
所在なげに畳を彷徨う腕を捕らえ、己の両手でくるみこむ。

「そんなんじゃないけど。…お前はさ。可愛い女の子と結婚して所帯を持つんだよ。それが一番まっとうで幸せなことなんだ」
「理由になっていない」
ばさりと断じる。

「俺はずっと善逸のことだけを愛している。他の誰かなんて考えたことすらない。それでどうして俺が幸せになれると思うんだ」
逃げようとしている手をきつく握りしめる。

「善逸からはずっと、優しくて強い匂いを感じていた。…そして、甘い匂いも。最近はそこに、別の匂いが混じってきている。…本当は誰か、ずっと好いている相手がいるんじゃないのか」
言うと、途端にびくりと跳ねる。

「…俺、用事思い出した…」
「逃がさない。…頼むから、逃げないでくれ」
震えている手をきつく握る。

「…その人のことを、愛しているのか」
尚も問い詰めると、金の頭がくらりと所在なげに揺らめく。

「黙っていても匂いで分かるぞ。…好いた相手が、いるんだろう」
「嗅ぐなよ…。知られたくないことくらい、お前にだってあるだろ」
素っ気なく言い返され、胸の奥がひりひりと痛む。

「…俺じゃ、駄目なのか」
ひたと見据えると、琥珀の瞳が逸らされる。

「…善逸の想い人は、男なんだろう」
「なんでよ。俺は女の子が好きだって、炭治郎も知ってるだろ」
「相手が女の子なら、善逸はもっと必死になるんじゃないか。なのに…最初から諦めている匂いがしている」
「…だから嗅ぐなって言ってるだろうが…」
善逸から焦る匂いを嗅ぎ取って確信する。
相手が女の子であっても諦めきれないというのに、ましてや男だというのなら、尚更諦められるようなものではない。

「そいつは善逸のことを幸せにしてくれるのか」
「…俺は幸せだよ」
「善逸からは時折寂しい匂いがしている。それなのに幸せなのか?そいつは俺よりも善逸のことを幸せに出来るのか?俺以上に善逸のことを愛しているのか?」
「…何が言いたいのさ」
「その男は、善逸のことを誰よりも愛しているのか?…俺以上に?」
善逸の視線を捕らえようと見つめているのに、どうやっても目線は合わない。

「…優しい、人だよ…」
しばらくの沈黙の後。
善逸がようやく、それだけをぽつりと呟く。
その体から確かに薫る、恋慕の匂い。
鼻腔を擽るその甘い匂いが別の男に向けられている。
目の前の景色がぐらりと揺らぐ。

「…嫌だ。渡したくない。…絶対にだ」
頭を振る。
どうあっても考えられない。

「…炭治郎はさ、女の人と所帯を持つんだよ。あれだけたくさん炭治郎のことを想ってくれている女性がいるじゃないか。その中にはきっと、炭治郎のことを幸せにしてくれる人だっているんだぞ」
「それで?俺を想ってくれている女性がいたとして、そのことが何の意味を持つんだ?」
我ながら険しい声が出る。
今はそんな話などしていないのに、善逸に告白する度、いつの間にやら何故か俺の将来の話へと切り替えられていく。
そのことが酷くもどかしい。

「善逸が思い描いているその女性は、どれだけ俺を幸せにしてくれると言うんだ?隣に善逸がいないのに、それでどうやって俺が幸せになれる?」
「そりゃ…、その人が子どもを産んで…、家族を増やして…」
「それが善逸の考える『幸せ』なのか?」
「…、…幸せでしょうよ…」
いつもは快活な琥珀の瞳が、どんどん虚ろになっていく。

「それで?その女性は、俺と同じくらい、いや、それ以上に禰豆子のことを大切にしてくれるのか?他の隊士に襲われている禰豆子を無条件で庇ってくれるのか?禰豆子に花を贈ってくれるのか?夜の散歩に連れ出して、花冠を作ってくれるのか?その日の出来事をあれこれと話しかけて、禰豆子を楽しませてくれるのか?禰豆子をまるで普通の女の子であるかのように扱って、鬼のことなど何の関係もないと、そう言い切って守り抜いてくれるのか?」
「そりゃ…、きっと…、そう…」

「いいか。俺は一度だって、善逸にそうしてくれと頼んだことはないんだ。禰豆子も俺も、何一つ頼んでいない。…だが善逸は、自分から進んでそうしてくれているんだ。鬼は怖いと、出会したくないとあんなに泣いていたのに。それでも、禰豆子のことを守ってくれた。そのことに俺達がどれだけ感謝しているか、本当にわかっていないのか?善逸の存在に、俺がどれだけ救われているのか。…他の誰も、善逸の代わりになどならない」
「禰豆子ちゃんは可愛い女の子だし、炭治郎だって凄く優しい良い奴だよ。俺程度のやることなんか、誰にだって出来る」
「出来るわけない」
頭を振る。
このことについて何度話し合っても平行線だ。

「俺のことなどどうだっていい。善逸がどれだけ何を言い募ろうと、俺を慕っているという女の話をしようと、俺の気持ちは変わらない。善逸のことだけを愛している。添い遂げたいと思うのも、恋しいと思うのも、全部善逸だけだ」
「………」
「いいか。禰豆子のことだけで俺は、善逸のことを愛しているわけではないぞ。善逸と過ごして、その為人を知って、色んな顔を見て。…それで俺は善逸のことをどんどん好きになっていったんだ」
俯いている善逸と視線を合わせようと、下から見上げる。
ついっと視線を逸らされて、善逸は俺と目を合わせようとしない。

「だから今度は善逸のことを聞かせてくれ。…恋しいと思う相手がいるのか?」
問うと善逸から辛そうな匂いが漂う。

「そいつは、善逸のことを大切にしてくれるのか。俺以上に、善逸のことを愛しいと思っているのか」
「…相手のことなんて、わからないよ…」
ゆるゆると頭を振る様子も力弱い。
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