鬼滅の刃

□大丈夫、俺が面倒見てやるからな炭治郎!
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「たぁんじろぉぉぉ…!!」
大きな涙の粒を零しながら、善逸が俺の胸へと飛び込んでくる。
ばさりと互いの羽織が擦れる音。
それと共に舞い上がる馥郁たる香りが胸を抉った。

「聞いたぞ!無茶しちゃったんだろ!?大丈夫か!?大丈夫じゃないよなぁぁ!!痛そうだもんなぁぁ!!」
ぐりぐりと胸元に顔を擦りつけられる度、涙の匂いと共に芳香が立ち上る。

「炭治郎だもんな…!そりゃ見過ごせないよなぁぁ!!ああぁでもでも無茶はしないでおくれよぉぉ!!」
ぐすんぐすんと鼻を鳴らす度、ぶわりと巻き上がる匂いの渦。

「…本当に、痛そうだもんなぁ…」
涙に濡れた頬を拭うことすらせず、善逸の両手が柔らかく俺の手を握る。

「炭治郎が助けた子、無事に親元へ帰って行ったらしいぞ。ちょっとした怪我だけで済んだって聞いた。…炭治郎は、本当にすごいよなぁ。…でもやっぱり、痛そうだもんなぁ…」

琥珀の瞳からまた、大粒の涙がぽろりと流れ落ちていく。
その雫を掬い取ることさえ出来ない自分の指が、どうにももどかしくて仕方が無かった。





任務で出向いた先の村。
夜中に突如鬼に襲われ、一家が逃げ惑っていたところへ到着した。

住んでいたであろう家は業火に包まれ、燃え上がる炎に照らされた鬼の姿は夜目にも恐ろしい姿をしていた。

それでも辛うじてその首を切り落とし、家人の無事を確かめようとしたとき。
「…お母ちゃん…!七郎がいない!!」
花子と同じ年頃の女の子がそう叫んだ。

「…七郎…!!」
母親らしき女性が叫ぶのと同時に、俺の鼻は家の中に生きている人間の匂いを嗅ぎ取った。

「七郎ぉぉ!!」
家の中へと駆け込みそうになっている女性の肩を掴み、「俺が行きます!」そう叫んだ。

燃え落ちていた扉の隙間から中へと飛び込み、匂いの元へと急ぐ。
煙を吸ったのか、朦朧としたまま座り込んでいる幼子を見つけ羽織に包み保護したときだった。
灼けた梁が燃え落ちてきて退路を塞いだ。
羽織に包んだ子どもを小脇に抱え燃える梁を両手で押しのけ、外へ飛び出した瞬間家が崩れる轟音が響き渡った。

母親が子どもを抱きしめ、その周囲を幼い子ども達が取り囲んだ。
その光景をぼうっと眺めている間に、隠の人達が到着し俺は蝶屋敷へと運び込まれた。

後から後藤さんに、七郎と呼ばれていた子どもは多少煙を吸い軽い火傷や擦り傷を負ってはいたが無事であること、母子達は隣村の実家へと身を寄せることになり俺に礼を言っていたとのこと、父親は早くに亡くなり、支え合って生きていた家族が全員無事で喜んでいたことなどを聞かされた。

「そうですか。それは良かった」
本心からそう言った。
兄弟姉妹、全員が無事。
あの、花子と同じ年頃の女の子。
あの、六太と同じ年頃の男の子。
火に飛び込もうとしていた母親。
…全員が、無事。
つんと流れ出そうになっていた涙を、俺は辛うじて堪えた。





「…それにしても、両手かぁ…。そりゃしんどいよな…」
くすんとしゃくり上げながら、善逸の手が両手に巻かれた包帯の上をすりすりと撫でていく。

「大丈夫だ。すぐに治るとしのぶさんも言っていたから」
無理に笑うと、濡れた琥珀が上目遣いで俺を見つめる。

「なんでこんな時まで長男してるんだよ。…俺はお前さんの弟じゃ無いからな。俺の前でお兄ちゃんぶったって無駄だぞ」
握っていた俺の手を頬に当てる。

「…俺の耳は誤魔化せないからな。苦しいって音がしている。…俺にはわかるんだからな、炭治郎」
琥珀の瞳がちろりと俺を睨み付ける。

「…痛かったよなぁ…」
ぐるぐる巻きの包帯の上から、辛うじて覗いている指先にさらりとした金色の髪の毛が伝う。

「…善逸…」
思わず抱きしめようと伸ばしかけた手を押し留める。
駄目だ。
不用意に触れてはいけない。
…我慢できなくなる。

ちり、と胸の中がひりつくように感じた。
俺はずっと、この優しい男に恋をしている。
情火を燃やす相手として、善逸ただ1人だけを。ずっと。
だけれど、善逸は違う。
俺に縋り泣きついてきてはくれるけれどもそれだけだ。

…俺の音が好きだから。
…善逸はずっと、禰豆子のことを好きだから。

だから俺は、善逸に手を伸ばしてはいけない。
許されてはいないのだから。




大事なものに触れるかのように俺の両手を手のひらに載せて、善逸が大きく頷いていく。
「大丈夫だからな。治るまで、俺がついてる」
「…善逸…?」
「もうしのぶさんには許可を取った。この手が治るまで、俺が世話してやるからな炭治郎」
「え」
「だってお前、ここの女の子達にお前さんの世話させるわけにもいかないでしょうが。…実は俺も今、肋が折れててさぁ。ちょうど療養しなきゃいけないんだよ。でも両手は無事だからさ。いつも世話になってるし、俺が全部面倒見てやるからな、炭治郎!」
「なんだって?」
「俺のこと、お兄ちゃんって呼んでも良いぞ!そのうち禰豆子ちゃんと結婚して、本当にお義兄さんになるかもしれないしなぁ!」
「ならない!…そもそも、もし万が一善逸が禰豆子と結婚した場合、善逸は俺の義弟になるんだぞ!?」
「えっ!?俺の方が年上なのに!?」
びっくりしたような顔で、それでも善逸の両手は俺の手を離すことはなかった。





その日から善逸の献身が始まった。
嵐のように騒々しくなっているだろう俺の音について、善逸は何も言及しなかった。
分かっているのか、分かっていないのか。
それすら俺には理解することが出来なかった。





「はい、たんじろ。あーん、して?」
嬉しそうに笑みながら、食事の膳を取り分けては甲斐甲斐しく口元へと運ぶ。
あーん、と言う度に見える口内に、腹の奥がずくりと疼く。

「ほら、今度は里芋。…ちょっと大きいから、半分に割ってやるな。はい、あーん」
口を開けると、嬉しそうに箸で運び込む。

「次は味噌汁の椀、いくぞ。こぼさずに飲めよ?」
そう言いながら、俺の顔の至近距離で椀を傾ける。

「たくあん、食う?…次に食いたいものあったらちゃんと言えよ?」
善逸は耳が良い。
音で分かるのだろう。
俺の食事の折りを見ながら、甲斐甲斐しく食事を運び続けてくれる。

もぐもぐと咀嚼し飲み込んでいく。
そして次の「あーん」が続く。
食事の膳が空になるまで。
その後、茶を飲むまで。ずっと。

「化膿止めの薬だってさ。なんか苦そうだけど、炭治郎はちゃんと飲めるもんなぁ」
楽しそうにそう言って、口元へと薬湯を運ぶ。

「いいこ、いいこ」
薬湯を飲みきった俺の頭を撫でてから、嬉しそうな匂いをふわりとたてる。

「ほら、口直し」
茶の入った湯飲みを傾ける度、顔の傍で善逸の吐息が甘く匂う。

そうしてようやく善逸は、冷め切った自分の膳に手をつけ始める。
先に食べてくれと言っても駄目。
ならせめて俺が急いで食べ終わろうとしても駄目。
善逸はよく俺のことを頑固だとか堅物デコ真面目とか言うけれど、善逸だって相当なものだと思っている。


俺には良く噛んでから飲み込めなんて言うくせに、善逸は自分の膳は急いで食べる。
そうして頬にご飯粒をつけていたりするものだから、ついつい包帯の巻かれた指先でそのご飯粒をすくいとってしまう。
すると「あぁ」と小さく呟いて、俺の指先のご飯粒をちろりと伸ばした舌先で掬い取る。

その度に俺からはきっと凄まじい音が鳴り響いていると思うのに、善逸はまったく動揺しないし言及しない。

…それでもう、我慢がどんどん出来なくなった。
何処までしたら気が付いてくれるのか。
…そちらの方に、気を取られるようになってしまった。

だから。
ならばと今度は、唇の端についたご飯粒を俺自身の舌先で掬う。
ぺろりと舐めると、擽ったそうに笑って、「ありがとね、炭治郎」。
そう言って眉をへにょりと下げた。

なのでその次は、舌先で掬い取るついでのように唇を舐めてみた。
それでも動揺した匂いは感じ取れない。

だから、唇をぺろりと舐めた後、唇を柔らかく食んでみた。
するとようやく大きな瞳をぱちくりとさせて、「ご飯粒、そんなについてた?」なんて明後日の方向で驚いていた。

…通じていない。
…相手にもされていない。

わかりきっていたその事実が、胸の奥で重苦しく蓄積されていく。





「ん。…行こうぜ」
そういって俺の腕を引く。
「いや、…いい!」
「何言ってるんだよ。ほれ、厠行きたいんだろ」
耳が良すぎるのも本当に厄介だ。

「ほら、我慢しすぎてると漏らすぞ?お前だって、今更おしめとか嫌だろ?」
「…1人で、大丈夫だ!」
「いや駄目だろ。両手使えないのになんで遠慮するのよ。何のために俺がいると思ってるわけ?」
「いや、本当に大丈夫だから…!」
「良いから。行くぞ。あんまり抵抗するなら、抱っこで行ってやろうか?うぃっひひっ」
面白そうに笑って、ほら、と俺の腕を取り歩き出す。

善逸の手で病衣を寛げられ、男根を握られ、用を足す。
肉刺の潰れた剣士の手が、それでも柔らかく俺のものを握る。

そうして我慢し続けていた用を足すと、また「いいこ、いいこ」なんて頭を撫でられる。
水分を控えようとすると、「体に悪いだろ。決められた量は摂取しなさいよ」と眉をしかめられてしまう。
まさに八方塞がりの状態だった。

厠はまだ良い。
いや、良くはないのだけれども。
その時だけ、目を閉じていれば。
…それで終わるのだから。
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