鬼滅の刃

□善逸は眠っていたから何も知らない。
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「鼻がきく、ね。ならきっとお前にもあるんだろうよ。恵まれた天賦の才とやらがな」
「え?」
「…霹靂一閃を放ち鬼を屠ったにも関わらず助けた相手に殴られるってことは、先生が虚仮にされてるってことだ。…そんなことはさせねぇ。カスのためじゃない」
「あの…、」
「もう追ってくるなよ。邪魔だ」
「待ってください!善逸がまだ、起きてない!」
「カスなんざ知るかよ」
「でも!善逸は!あなたに会いたがるかも知れない!」
大声を上げながら掴んだ男の袖を引く。

「なんだお前。そんなに善逸が大事か。あのカスに懸想でもしてんのか」
「えっ!?…いや、ちが、…っ、そうじゃ、なくて…!」
かあぁっと顔に熱が集まる。
そんな俺の姿を見て、男が楽しげに声を上げて笑った。

「ハハッ、そりゃ面白え!いっそ転がってる今のうちに押さえつけて抱いてしまえばどうだ?足腰立たないほどにな」
「…そんな真似、卑劣極まりないッ!」
羞恥に身を焦がす。

「抱けないとは言わないんだな?」
「…それ、はっ…!」
「こんなカスが鬼殺隊だとか、やっていけんのかよ。男に懸想なんざされやがって。いっそ今すぐ抱いて、辞めさせてやった方が良いんじゃないのか」
「そんな真似、しません…!」
「ハハハッ」
完全にからかわれている。
どんどん顔が赤くなる。

「その、勾玉は…!」
「ァア?」
「…大事な、ものなんですか…!?善逸の名前を出したら、そしたら…さっきからずっと、…気にしてる、から…!」
掴んだままの袖を引く。

「これは俺を捨てた親がおくるみに入れてただけのゴミだ。何度捨ててもあのカスが拾って来やがるから、それで持っているだけだ」
「…善逸が、…そうですか」
「親に愛された証なんだからとか言ってたっけな。あいつには何もないからな。だがどちらにしても俺もあいつも、親に愛されず捨てられたカスなんだよ」
「………」


「あなたは。…善逸のことを、好きなんですか」
「嫌いに決まってんだろうが」
「善逸、の、方、は…」
「そりゃあ大嫌いだろうよ。殴る蹴るは日常だったからな」
「…殴る蹴る!?善逸を!?」
俺の怒気が伝わったのか、男が楽しそうに笑う。

「…ククッ…。それでもそのカスは、俺のことを心から尊敬しているぞ。俺の悪口を言っていたというそれだけで、上の隊士達に殴りかかるくらいにはな」
「…善逸は、優しい男だから」
「ベソベソ泣いているだけの軟弱だろうが」
「…取り消して欲しい!善逸は優しくて強い!!」
声を荒げれば、男が俺を見つめる。

「お前、どんだけあのカスのことを好きなんだよ。言ってやろうか。俺が言えば、善逸も股くらい開くぜ」
「…はあっ!?」
「言ってやろうか。股ァ開いて犯されろって。俺が善逸に炭治郎の魔羅をしゃぶって来いって言えば、善逸はしゃぶるぜ」
「善逸を愚弄するなッ…!」
殴ろうとする手をするりと躱される。

「お前、あんなカス相手に勃つのかよ。気色ワリィ」
くくっと笑われ、一層激しい怒りが胸を焼く。

「これだけ軟弱なカスが、どうやって最終選別まで漕ぎ着けたと思っている。呼吸すら知らなかった、痩せこけた餓鬼が。本当に独りきりであの修行を切り抜けられたと思っているのか?…命の恩人なんだよ、俺は。こんな餓鬼の体に興味はねぇがな」
「…あなたは、善逸の何なんだ…!」
「善逸に言ってやろうか?炭治郎の魔羅をしゃぶってやれって。その小さな口で全てを頬張って吸って舐めて精を飲み込んでこいって。全裸になって股ァ開けって。なぁ?」
楽しそうに笑う顔が、急に醜悪に歪む。

「気色ワリィんだよお前。あいつに懸想なんざしやがって。…カスの手紙に何度も何度も出てきやがって。クズが」
がつんと顔を蹴られて目眩がする。
握っていた袖も振り払われ、あっと思って見上げた時には、すでに男は姿を消していた。







「炭治郎が助けてくれたのか?ありがとうありがとう!この恩は忘れないよぉ!」
おんおんと泣きながら、目覚めた善逸が俺の体にしがみつく。
頭に巻かれた包帯の白が、夜目にも眩しい。

家族を殺された男はしばらく前に隠に連れられ、ふらふらと町の方へと向かっていった。
今は残った隠達が、殺された人達のために土を掘っている。

「善逸は大丈夫なのか?傷が痛むだろう?」
「もう大丈夫だよ。さっきまでは頭の中でわんわん鳴るほど耳鳴りすごかったけどさ」
少しだけ痛そうに、包帯を撫でている手を見つめる。

「…炭治郎!?お前、怪我してるじゃないか!唇が切れてる!ごめんなぁ、俺が役に立たなかったからさぁ」
泣きながら善逸が懐を探る。

「いや、大丈夫だ。すぐに治る」
「どうしよ、何もないや…。隠の人達も手が放せそうにないし。…あっ…」
彷徨わせていた琥珀の視線が茂みの中に向いている。

「蓬!これ、傷薬になるんだよな。ちょっと待ってろ」
そう言って、千切った蓬を口に入れる。
それをそのまま食む食むと何度か噛む。
その度に、柔らかそうな唇がふにふにと蠢く。

『言ってやろうか?炭治郎の魔羅をしゃぶってやれって』

あの男の声が脳内で反響する。
ぶんぶんとかぶりを振ってその言葉を払いのける。

善逸が蓬を噛んだ唇を開くと、その内側で赤い舌がちろりと蠢く。
噛んだ蓬を、善逸が口からとろりと自身の手のひらへ吐いていく。
指先ですくいとったそれを、そっと俺の唇の端に塗り込めた。

「かすり傷だから、これでなんとかなるかな。…ごめんなぁ、炭治郎。俺が弱いからお前にばっかり負担掛けちゃうよな…」
鼻腔を擽る、蓬と善逸の匂い。

「…ありがとう…。俺は何もしてないぞ。鬼を切ったのは善逸だ」
善逸の手を握る。
「いや、それはねぇよ。俺は弱いんだぜ舐めるなよ」
「舐めてない。善逸は強い。俺は本当に何もしていないんだ」
「…ん?じゃあ、俺らの他に、誰か居たのか?」
「いいや。誰も。…誰もいなかった」
握っている手に力を込める。

「…あぁ、そうなの…?」
善逸の視線がちらりと、倒されている5本の木々へと向けられる。

きっと善逸には俺のついた嘘のことはばれている。
そもそも俺は嘘が得意ではないし、善逸の耳は誤魔化すことが出来ない。
それでも俺はどうしても、あの男の存在について善逸に教えることはしたくなかった。








■▽■△■▽■











雷の呼吸を操り、その場を離れる。

獪岳は覚えていた。
今まで自分がどうやって生き延びてきたのか。

自分の代わりに幾度となく他人を差し出した。
そして危うくなる度、全てを投げ出しそのまま逃げた。

仲間を売り、先生を売った。
そうして独り死ぬはずだった自分だけは、辛うじて無事に生き延びた。
後に、生き残ったのは先生と一番小さな少女だけであったと聞いた。
あの時の記憶は今も胸の中にある。

だが変わりたいと思った。
鬼に立ち向かえる強さが欲しいと切望した。

今度はあんな鬼なんかに諂うことなく、日輪刀で切り捨てる。
そう思い、先生の元で修行を続けた。

鬼は切られるもの。
この手で、俺が切る。

獪岳に切られるとき、命乞いをした鬼もいた。
勿論逡巡すらせず、容赦なく一息で屠った。

だが。
先程見た霹靂一閃は。
あの、八連の技は。

先生の元で修行していたときの善逸は、壱ノ型以外は全く使えなかった。
先生から頼まれ、獪岳は善逸の修行に何遍も付き合い、死にそうになっているところを何度も救った。
それでも善逸はすぐに泣き出し、逃げ、隠れ、無理だ出来ないと喚き続けた。
だけど先生はそんな善逸を叱りこそすれ、一度も諦めることがなかった。
善逸がどれだけ泣いても、逃げても、その都度叱咤し激励し、家へと連れ戻していた。

何故だ。
どうしてだ。

…俺がいるのに。

俺はあんなカスなんかとは違う。
弐ノ型も、参ノ型も肆ノ型も伍ノ型も陸ノ型も、使えるようになったのだ。
それなのに。
どれだけ修行を重ねても、どうしても壱ノ型だけが使えない。

その壱ノ型を、八連。
鋭い雷鳴。眩しい雷光。

俺が手に出来なかったもの。
それをあいつは、あそこまで強靱な刃へと叩き上げてみせた。

しかも、あれには恐らくまだ充分な余裕がある。
八連程度なら、連発も出来そうなほど。
…まだまだもっと奥深く、あの型を極め抜いているのだと知れるほど。

胸が騒ぐ。
何処か胸の奥深くで、足りない足りないと叫ぶ声が聞こえる。
穴の空いた柄杓で水を汲み続けさせられているような焦燥感。
善逸を見る度、あの霹靂を目にする度、どれだけ己が足りていないのかを思い知らされる。

どれだけひたむきに努力し続けても、あの領域には及ばない。
努力では、あの才能を超すことは出来ない。
置いていかれる背中だけを見せつけられ続ける。
いっそあの炭治郎とか言う男が、善逸を無理矢理押さえつけて犯しでもすれば気が済むのだろうか。
そう想像してみても、どうもそんな程度では気が晴れそうにもない。

なら、自分が組み敷いて犯せばどうだろう。

…あんなカス。
…犯す価値もない。

先生。
先生。
先生。

獪岳が今までそう呼んできた人は2人いる。
うちの1人は自ら裏切り鬼の前へと差し出した。

だが、もう1人の先生は。
獪岳に雷の呼吸を教えてくれた、元鳴柱は。
その人だけは常に、獪岳のひたむきに努力していく心根を疑わなかった。

獪岳が努力し、その積み重ねた修練が実を結ぶ過程を、誰よりも喜んでくれた。
新しい型を習得する度、その努力を尊び褒めてくれた。

だからもう、獪岳は嘘をつかなくなっていった。
弱いものを騙し、奪い取ろうとは思わなくなった。
その必要を、感じることさえもうなかった。

食事が足りなければ、獪岳が言うより先に、先生が気付いてすぐさま量を増やしてくれた。
雨風をしのげる家。暖かな蒲団。温かな風呂。
それらを毎日、欠かすことなく差し出してくれた。
甘い物だって、修行の後に食べようとそう言って、良く買ってきてくれた。

獪岳が好きだからと、豆大福もたくさん。
善逸は饅頭や団子が好きだからと、饅頭や団子もたくさん。
そうして2人が甘味を頬張っている姿を、幸せそうに見つめていた。
先生にはずっと、奪い取る必要もないほど、物資的には満ち足りた生活をさせて貰って来たのだ。

日々続けられる、地獄のような鍛錬。
足の筋肉。全身の筋肉。その繊維の1本1本までをも感じ取り思う儘動かすための厳しい修行。
だがそれでも間違いなく、獪岳は愛されていた。

だからもう、嘘はつかない。
だからもう、弱い者から奪わない。騙さない。
先生が誇りに思ってくれるような、そんな剣士になる。

あれだけ自分のことを嫌っている弟弟子の善逸ですら、獪岳が今までの人生で散々嘘をつき欺し人から奪い取って生きてきたことを知らない。
ただ乱暴で口が悪く、善逸のことを蔑んでいるということのみで、獪岳のことを嫌っている。

だがまた、嫌うと同時に尊敬されていることも分かっている。
そのことが獪岳の中でどれだけの苛立ちを増幅させているかを、善逸は知らない。
知っているのは先生だけだ。

憎いのかと問われれば、それはまた違うとも思う。
泣いてばかりいるのに、先生からは獪岳と同様大切にされている。
善逸は毎日食事を支度し、洗濯や掃除をし、先生や自分に対し甲斐甲斐しく世話を焼きながら、寝る時間を削って夜中に鍛錬を繰り返していた。
それだけ修行を重ねても、それでも善逸は壱ノ型以外がまったく使えない。
だがそうして得たたった1つの技を、善逸は極め抜き、磨き抜いたのだ。
あの強靱な、霹靂一閃。

善逸に対する嫌悪の念。
それは常に獪岳の中で燻っている。

善逸を殴り飛ばしたあの男に抱いた嫌悪の念とは、また別のところにある嫌悪。
鬼を切った善逸を背後から薪で殴ったあの男。
あれもまた哀れで惨めな生き物だ。
きっとこれから、我が身の不甲斐なさと惨めさを噛み締めながらそれでも日々を生き長らえる。
自ら死を選ぶ気概など欠片もない程度の、ただのゴミ屑。

炭治郎というあの男は、死骸を見て激しく動揺していた。
足が震えるほど。
離れていた自分にすら、その狼狽が知れるほど。
それを見た善逸が手を伸ばそうとしていた、刹那の出来事だった。




先刻出会った赫灼を思い出す。
『炭治郎。伊之助。大事な友達。大切な仲間。大好きな宝物』
善逸からの手紙にはそう書いてあった。

くだらない。
心底くだらない。

仲間が何の役に立つ?
鬼殺の現場ですら、重荷になるだけだ。
他の隊士に守られたことなど一度もない。

友達。
もっとくだらない。
そんな奴らと共に時間を過ごして何になる。
何の役にも立たない程度の代物でしかない。

くだらない。
馬鹿馬鹿しい。

…あのカスには似合いだ。

苛々する。
地を駆けながら呼吸を使う。

ー…霹靂一閃。

抜刀した刀の鞘から、金属の擦り合わされる嫌な音が響いた。


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