鬼滅の刃

□善逸は眠っていたから何も知らない。
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「知るかよ。なんで俺らがお前らを守らなければならないんだ」
冷たい声が夜陰に響く。

「間に合わなかった?…はっ、知るか」
吐き捨てるようなその声。

「俺らのせいか?」
嘲笑が漏れる。

「なら、何故お前が助けなかった」
地に倒れ臥す男に向かい言い放つ。

「お前が自ら鍛錬して鬼を切っていれば、お前の家族は無事だったんだろう。お前の鍛錬不足を俺らになすりつけてんじゃねぇよ」
はははっと笑う声が静寂に響いた。








■▽■△■▽■











鎹烏に導かれるまま走り抜けた。
鬼に襲われている人間がいる。
そう聞いて、善逸と2人で必死に走った。

襲われているという家すら見えないうちから、風に乗り漂う血の臭いが鼻についた。
急がなければ。
そう思って善逸を伺えば、刹那の間にとんっと地を蹴っていた。


『霹靂一閃、八連』

それだけ聞こえた。
足場があるのかどうかすらわからない夜陰の中、光の軌跡が夜空を飾る。
須臾ののち雷鳴が轟き、鬼の匂いが急速に薄れていった。





善逸の後を追いその家へと駆けていく。
蹲り頭を抱えている男の横で、鬼の首が3つ、塵になりかけていた。



家の中を覗く。
一面の血の海。
あの日の記憶が呼び起こされる。

腕の中で子どもを庇うように事切れている女性は、母親だろうか。
小さな子ども。
それらが細切れに千切られていて、何人居るのかさえ分からない。
噎せ返るほどの血の臭い。
死んだ人間だけが放つ、独特のあの死臭。

千切れてはみ出した臓物。
転がる手首。足首。
もう二度と動かないと知れる、複数の体。
この家の中に生きている人間は、ただの1人も存在していなかった。


「…あ、あ、あぁ…」
膝が震える。
血に濡れた黒髪が、冷たい土間の上に散らばっている。
目の前が昏くなっていくその時。

…新たな血の匂いを、俺の鼻が嗅ぎ取った。










「…善逸っ!?」
慌てて駆け寄る。
地に伏している金色の髪。
その後頭部に、赤い血の色が滲んでいる。

その傍らに立ち尽くしている男の手には、太い薪が握られていた。

「…お前らがもっと早く着いていればッ!…誰も死なずに済んだのにッ!!」
血走った瞳の男が薪を振り回す。

「…あんな一瞬で…!あんな一瞬であいつを倒せるんなら!!…どうしてもっと早く来なかったんだ…!!」
獣のような咆吼が耳に刺さった。

「…返せッ!返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せッ!!」
闇雲に薪を振るいながら向かってくる男をなんとか躱す。

「…間に合わなくて済まなかった…!だからといって、善逸を傷つけていい理由など何処にも存在しないッ!命を助けられていながらその相手を背後から殴るとは、卑劣極まりない!!」

叫びながら、男を大人しくさせる方法を模索する。
手刀だろうか。それとも頭突きか。
どちらにしてもあの薪が邪魔だった。




そうして逡巡していた刹那。
ドゴッと言う音と共に男の体が横合いに吹っ飛び、欅の木に転がり当たって止まった。




「…五月蠅いんだよ、クズが」
とんっと地に舞い降りた、漆黒の髪の男を見やる。
その体を包んでいる漆黒の隊服。
ならばこの男もまた、鬼殺隊の剣士なのか。

「烏に言われて来てみれば。…鬼の首は切れている、善逸は寝ている」
馬鹿にしたような笑い声が耳についた。

「…お前もッ!こいつらの仲間なのかッ…!」
頭を振り立ち上がった男が、尚もその手に薪を握り込む。

その薪が、2つに折れた。
いや、切られた。
目にも見えない、一弾指にも満たない間で。
目の前に居るこの隊士は抜刀し、そして納刀した。
握りしめていたそれがずるりと落下していく様を、男は呆然と見送っていた。

そして雷鳴が轟いたと思った次の瞬間、周囲の木々が5本、地響きを立てながら倒れていった。

「…弐ノ型、稲魂」
にやりと口角を上げ、隊士が笑う。

凄まじい剣戟だった。
瞬きの間の五連撃。
幹も太い木々が一度に5本。
炭焼きを生業としていたから知っている。
それらの木々は例え斧で切ったとしても、相当な時間が掛かり力が折れるほどの大木だった。

「ハハハ!」
笑う男が、切られた薪を握りしめたままの男に向かう。

「やってみろよ。同じ事を」
「…な、…、な…」
がくがくと震えている男は、その場で腰を抜かして立ち上がることさえ出来そうにもない。










「…そんな力があるのならどうして…!俺達家族を守ってくれなかったんだ…!」
へたり込んだままの男が、涙を流しながら咆吼する。

「知るかよ。なんで俺らがお前らを守らなければならないんだ」
冷たい声が、夜陰に響いた。









「何故!何故!!…もっと早く来てくれなかったんだ…!!あんたらが間に合ってさえいれば!!」
「間に合わなかった?…はっ、知るか」

「あんな…!あんな力があるのなら!!」
「俺らのせいか?」

「後少しでも早ければ、誰も死なずに済んだんだっ!」
「なら、何故お前が助けなかった」

「お前らは鬼狩りだろう!?鬼を狩ることを生業にしているんだろう!!だったらお前らが切れよッ!!それが仕事なんだろうが…!!」
「お前が自ら鍛錬して鬼を切っていれば、お前の家族は無事だったんだろう。お前の鍛錬不足を俺らになすりつけてるんじゃねぇよ」

浴びせられる辛辣な言葉に、蹲ったままの男は何も言い返すことが出来ない。
呆然とし薪を手放した男の指が、虚しく土を掻く。








「…うっ…!うううううっ…!!」
体を丸め込み、ついに男が泣き崩れる。

それを見た漆黒の男が、口の端を歪めて笑い声を漏らした。
「良いご身分だなァア?」
ぐつぐつと笑う声が、耳に刺さった。

「いくらだ?お前が思う命の値段は」
嘲笑と共に、慟哭している男に語りかける。

「鬼殺が生業だから?給金を貰っているから、命を掛けるのは当たり前なのかよ。ならその金額を俺が払ってやるよ。…ほら言ってみろ。お前が思う命の値段はいくらだ。くれてやるから、今からお前、鬼を切りに行ってこいよ」
煽るように腕を振る。

「良いなぁお前、楽しそうで」
心底そう思っているかのような、その笑い声。

「家族が鬼に喰われてくれたから、お前は独りだけ無事だったんだろう?」
慟哭していた男が、ヒッと喉を鳴らす。

「家族が喰われていくその傍らで、自分だけが助かるために、独りきりで家から飛び出したんだろう?」
くくっと笑う、その昏い声。

「泣かれなかったか?父ちゃん助けてって。…あァ、そんな暇すらなく全員喰われたのか?」
声を掛けられている男の全身からは、血の気が引いていた。

「それをまるで我が身の不幸であるかのように、泣いて喚いて責任転嫁か」
慟哭がやんだ静寂の中、漆黒の男の笑い声だけが闇に響く。

「我が身の不幸を嘆いて泣くのは、さぞかし気持ちが良いんだろうなァ」
愚弄し、嬲るかのようなその冷笑。

「楽しそうだなァ。さぞかし満足なんだろうよ。己のことを可哀想可哀想と泣いていれば、そこのそいつも一緒に泣いてくれるだろうよ」
漆黒の男の視線が善逸の上を這い、顎が善逸の体を指した。

「そこのカスはチビでみすぼらしくて軟弱なカスだが、てめぇよりは強いんだよ。…巫山戯てんじゃねぇぞ」
刃物のように怜悧な気配を浴びせられ、家族を失った男はそのまま声もなく地面に這いつくばった。







「…あの、俺は竈門炭治郎と言います!あなたは誰なんですか」
立ち去ろうとする隊士の背中を追いかけ問う。

「…竈門、…炭治郎…?」
歩みを止めないままの男が、それでもちらりと俺の顔を見つめる。

「善逸のこと、ご存知なんですか」
「知るか。あんなカス」
「善逸はカスじゃない!そういう言い方は止めて貰いたい!!」
腕を引けば、存外容易く歩みを止めた。

「何か用か」
「いえ、…善逸とは、どういう関係なのかと思って」
視界の端で、善逸はまだ伏せているままだ。
隠の来る匂いを嗅ぎ取り、ひとまず託そうとそう決める。

「無関係だ」
吐き捨てるようにしながら、漆黒の男もまた善逸に対し視線を這わせた。

「…その首の勾玉…、大事なものなんですか」
「何故そんなことを聞く」
「話している間、ずっと気にしていたようだったので。俺の耳飾りも、形見で大切なものなんです。それと同じような匂いがする。…俺、鼻が利くんです。だから匂いでなんとなくわかる」
「…カスの耳と同じようなものか」
「善逸のことを。…あなたは知っているんですか」
「知るか」
明らかに知っているようなのに、男の返答はにべもない。

「善逸とは、どういう関係なんですか」
「カスのことなんざ知るかよ」
「でもあなたは、善逸は耳が良いってことを知っている」
「赤の他人だ」
「…でも今、庇いましたよね。…善逸が殴られたから。それであなたは彼を、あそこまで追い詰めた」
「だから知らねぇって言ってるだろ」
しっしっと、まるで犬の子でも追い払うかのように手を振られる。

「待ってください。俺はまだ、あなたと話がしたい」
「知るかよ。そもそもどうせ善逸がもたもたしてたんだろうが。きっとまたいつものように、鬼が怖いだの任務が嫌だの泣き喚いていて、それで間に合わなかったんだろう」
「…いいえ。鬼の襲撃を烏から聞いて、すぐに2人で走りました」
「なら、お前のせいだな。善逸1人で走っていれば、間に合っていた」
くっくっと笑う男からは、善逸に対しても俺に対しても、友好の気配は微塵も感じ取れない。

「ああそうだ。お前を置いて1人で先に走って来ていれば、あの死骸共はきっと助かっていた。だから、あいつらが死んだのは善逸のせいだ」
「違います!そんなことは絶対にない!」
「なら、お前の足が遅かったせいか。…どっちにしろ知るか、こんなカス。俺には関係ない」
走り出そうとする手を思わず掴む。

「霹靂一閃、八連」
「…あァ?」
「あれを見たんですよね。…それできっと、あなたの匂いが」
「…はァ?匂い?」
「俺は、鼻がきくので」
「ふん」
「…とても、複雑な匂いをさせているので」
男の黒い瞳が、不穏な色に染まった。
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