鬼滅の刃

□炭善一丁!
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「善兄!それは駄目だよ!」
売り物のパンを並べながら思わず叫ぶ。

「なんでさ?町内会の斡旋で買ったばかりなんだぜ?」
唇を尖らせながらくるりと1回転してみせる善兄を、思わず家族だけの休憩所として使っている店の奥へと押し込んでいく。
良かった。
たまたま今、店内にはお客さんがいない。
だから善兄のこの姿を見たのは竈門家の家族だけだ。
本当に良かった。
善兄の動きがとろくさくて本当に良かった。
今だけはそれに心の底から感謝する。


「そんな焦った音立てて、一体どうしたのよ竹雄くん?」
「その格好で人前に出ちゃ駄目だって言ってるんだよ!」
「言い方ァァァ!!!なんだよ似合ってるだろ!?皆とお揃いの祭りの衣装だぜ!?」
「似合ってるとか似合ってないとかそんな話はしてないの!良いから出掛けるの禁止!」
叫べば善兄が頬を膨らませる。

「なんで駄目なのよ!?竈門ベーカリーが皆お祭り屋台準備で忙しくしてるから、俺が神輿に参加してやろうって言ってんのにさァ!」
「気持ちだけ!気持ちだけ受け取っておくからとにかく着替えて!」
「嫌だ!竹雄くんの頼みでもそれは嫌なんだァァ!!」
善兄がかぶりを振る度、金色の髪の毛がふわふわと頬の辺りに揺れていく。
それが陽の光を弾いて本当に綺麗だ。
兄ちゃんが騒ぐ理由もちょっと分かる。
まぁ本当に、ちょっとだけなんだけどさぁ。

「町内会の斡旋で揃えたものばかりなんだぜ!?祭りで神輿担ぐのに男手がいるからって鱗滝さんに誘われたの!竈門家の皆はお店があるだろうから俺だけでもって!」
両手を広げて、一式揃えたという衣装を見せ付ける。

頭に白の鉢巻き。
水色の法被。
それを黄色の帯紐で結んでいる。
恐らく法被の下に着ているものはこの晒しのみなのだろう。
ていうか、晒しって着るもの何だっけか。
巻くものだろ?
少なくとも衣服ではないよな?

そして何より、この白の短パン。
とても短い。
そして体のラインにフィットしている。
しすぎている。
法被だってそんなに長くはないから、善兄のお尻が半分ほども見えている。
そして足下には草履。
しかも生足。
短パンから下には何も身につけていない。
太腿もふくらはぎも、まるで隠されていないその姿。

…こんな状態の善兄を外に出したなんて知られたら、俺が兄ちゃんに叱られる。
もしかしたらあの渾身の頭突きが飛んでくるかもしれない。
背筋がぞっと震える。

「皆同じの着てるの!ほらぁ外!外見て御覧よ!皆同じの着てるじゃぁない!!」
「皆は良いけど善兄は駄目!兄ちゃんに怒られるよ!?」
伝家の宝刀を抜けば、善兄が一瞬怯む。

「…炭治郎が何を言っても関係ないし!!買ったの俺だし、神輿担いでお祭り参加して、屋台冷やかすの楽しみにしてたんだからな!!」
「ならせめて兄ちゃんが戻ってくるまで待って!あとちょっとで焼き終わるはずだからさぁ!善兄だって、兄ちゃんと喧嘩したくないだろ!?」
言えば唇を尖らせながらもしぶしぶと椅子に腰掛ける。

「…せっかく、お揃い買ったのにさぁ…」
ぶつぶつと言っている善兄の前に饅頭を置く。
すると手を伸ばして饅頭に齧り付くから、饅頭様々だ。

「あ、竹雄くんも食べる?ほら」
言いながら、握っていた饅頭を綺麗に半分こして渡してくれる。
善兄のこれって結構特技だよな。
おにぎりでも饅頭でも、見事に半分こしてみせる。
手渡されたそれをもくもくと頬張りながら、改めて善兄の格好を見やる。

緩い法被。
紐1本で縛っているのだから当然なんだろうけど、元々善兄は浴衣も着物も緩く着るから胸元も足下もはだけていることが多い。
家族だけの場所でなら兄ちゃんも黙っているけれど、人前でそんな格好しようものなら、般若の形相で止めに入る。
そして胸元に巻かれた白色も眩しいその晒し。
剥き出しの腕。
曝け出されている生足。
こうしてみると、本当に善兄って鍛えてるよな。
晒しの上からでも綺麗な筋肉の形を見て取ることが出来る。

そういえば体育祭でもいつもアンカーしてたって兄ちゃん言ってたもんな。
負け知らずのぶっちぎり一等賞だって、何故か兄ちゃんが自慢しまくっていたから覚えている。

普段はゆるゆるとした動きに見える善兄だけど、実際の運動神経はかなり良いし、力もある。
重たい小麦粉の袋だって、善兄は軽々と持ち上げることが出来るくらいだ。



そんな善兄は、実は兄ちゃんのお嫁さんだ。
男の人なのは分かっているけれど、それでもまごうことなくお嫁さんなのだ。

善兄は、兄ちゃんが入学した高校の1年先輩だった。
それで一目惚れした兄ちゃんが、高校生活全てを費やして善兄を口説き堕とした。
それはそれは凄まじい猛攻だったと、姉ちゃんが笑っていたのを覚えている。
姉ちゃんは善兄を口説き堕とす件に対しては、いつでも兄ちゃんの味方だった。
だけど兄ちゃんが善兄を口説き堕とした以降はずっと、一貫して善兄の味方をしている。
善兄と兄ちゃんが大喧嘩したときはいつだって、姉ちゃんが善兄に味方をしてあの恐怖のデコピンをかましているのだ。

俺達弟妹も善兄の味方をして、母ちゃんも味方をして、そうして皆が兄ちゃんを説得する。
それで折れた兄ちゃんが善兄に謝って、善兄が許して終わるのが常だ。


だけど、今回のこれはきっと、姉ちゃんだって兄ちゃんの味方をするに違いない。
確信めいた予感があるのだ。

姉ちゃんが善兄の味方をしなかったのは過去にたったの1回のみだ。
それでも最終的には姉ちゃんも折れた。

町でも評判の美人だと言われている姉ちゃんの、あの固まった顔。
兄ちゃんが俺達家族と一緒に住もうと善兄を誘って、それに善兄が拒絶の意を示したあの時。
『ただでさえ兄弟が多いんだから邪魔になるでしょ』、『いいや善逸は俺と結婚するんだから俺と同じ部屋で問題ない』、とひとしきり騒動を繰り広げていたあの時。

それで怒った善兄がぷいっと出て行って、3日帰ってこなかった。
そしてあらわれた4日目。

「はい。これ。これなら俺も一緒に住んで良いよ、炭治郎」
そう言ってにっこり笑った善兄の笑顔。
その手に握られていた書類の束を見て、家族一同固まった。
姉ちゃんも固まった。
俺だってあんなに驚いたのはあの時が初めてだ。


善兄の手に握られていたのは、竈門ベーカリーの裏手にある土地の権利書。
そして建設予定の間取り図。
竈門ベーカリー裏口直結の渡り廊下。
完全防音に作られるというその間取り図は、すでにビルだった。

1階に、善兄の仕事部屋。
重たい物が多いから1階にしか配置出来なかったんだよねごめんねぇ、と何故か謝られた。
そして2階に、セカンドリビング。洗面所に風呂場。母ちゃんの部屋。
というか、この竈門ベーカリーにあるメインリビングや風呂場よりも綺麗で使いやすそうな諸々の設備。
3階に、花子、茂、六太の部屋。
4階が、姉ちゃんと俺の部屋。そして納戸。
そして5階が兄ちゃんと善兄の部屋。もう一つの部屋は客間らしい。
たまに泊まりに来る伊之助親分達が泊っていく時用の部屋だと、善兄はそう言っていた。
しかも全室が完全防音。
全フロアにトイレと洗面台付き。
屋上は平らな庭になっていて、バーベキューまで出来ると言う。
小さいけれど、ホームエレベーターなんてものまでついている。

「…どうしたんだこれは!?」
「…善逸さん!?」
兄ちゃんが怒鳴っていたけど、俺達も全く同感だった。
あの姉ちゃんでさえ、声を荒げた。

「なんかさぁ、宇随さんに言われた仕事受けてたら、いつの間にか報酬が貯まってたのよ。だから。買った」
「買った!?」
「そう。間取りはまだ変更できるけど、土地はもう買った」
「まさかまた借金してきたのか!?」
「トラウマ抉って来てんじゃねぇよ!?今の俺に貸してくれるとこなんてあるわきゃないでしょうが!未成年!俺まだ未成年!!19歳だからね!?」」
「じゃあこれは一体!?」
「大丈夫だよ。即金で買ったし、建設会社もちゃんとしたところだって宇随さんも言ってたし」
「だからってこんな…!」
「俺の竈門家貯金舐めるなよ!?つっても、全部宇随さんのお陰なんだけどさぁ」

その時俺達弟妹は初めて知った。
いつもぽやぽやしていて賑やかな善兄に、音楽の才能があったこと。
それを宇随さんという人に見出され、作詞作曲を手がけていたこと。
俺達が見ていたドラマやCMに使われていた曲が、善兄の作ったものだったこと。

それなのに善兄本人は、まったく芸能界に関与しておらず、俳優さんやタレントさんの知り合いが1人も居ないということ。

「ええぇ!!あのドラマに出てたゆうきちゃん、知り合いじゃないの!?私大ファンなのに!!!」
花子が悲痛な叫びを上げていた。
兄ちゃんはひたすら黙って考え込んでいた。

「…善逸…」
そして兄ちゃんがあげたのは、ふつふつした怒りを感じさせる声だった。
「炭治郎」
それでもはっきりとした声で、珍しく善兄が兄ちゃんの言葉を遮った。

「俺、炭治郎のことが好きだよ。竈門家の皆のことも本当に大好き。禰豆子ちゃんも葵枝さんも花子ちゃんも、いっとう大事な女の子だ。…だけどさぁ。俺は弱いの。自分に自信もないし、今だって本当にお前さんの傍に居て良い人間なのかどうか自信がない」
声を上げようとした兄ちゃんを、善兄が手で遮る。

「でもさァ、俺だって精一杯頑張ってきたの。それで貯まった金を、竈門家の皆のために役立てたい。むしろ竈門家のために頑張ってきたんだわ。それでこの土地が売りに出てるって聞いて、すぐに契約したの。宇随さんに建築事務所も紹介して貰って、俺にしては珍しくあれこれ考えたんだわ。俺が炭治郎と一緒に住もうと思ったら、どうしてもピアノや楽器は持っていかなきゃならない。今の竈門ベーカリーには置き場がないのにさ。それにもう皆大きくなってきてるし、部屋はいくつあっても足りないくらいだろ?炭治郎も竹雄くんも竈門ベーカリーを継ぐから、結婚するまで誰もこの家からは出て行かない。…今のままじゃ、部屋数が足りないんだ。炭治郎もそれは分かるよな?」
普段は賑やかな善兄なのに、その時だけは静かに話を続けていた。

「…だから、交換条件だ。炭治郎がこれを受け入れてくれるんだったら。そうしたら、俺は炭治郎と結婚する」
「善逸!?」
「俺なんかと結婚したいなんて物好き、お前さんくらいだしさ。…だから、俺で良ければ貰って欲しい。土地と家付きだけど。それでも良かったら」
「…俺はもう二度と手放さないぞ」
「良いよ。来世でも一緒になろう」
「心も狭いし、結構根に持つ」
「知ってる。それでも俺、炭治郎の音がいっとう好きだよ」
「…愛してる。結婚しよう」
「喜んで」

そうして善兄は俺達の義兄になった。
家と土地付で。

後で善兄が小さな声で兄ちゃんに、「…あんな家で一緒に住むとか絶対に無理だったんだよ。…俺の声が大きいの、お前だって知ってるだろうが」と言っているのを聞いて、残念ながら色々と察してしまった。



それで今ではこうして、一つ屋根の下で皆一緒に住んでいる。
元々使っていた部屋達は、そのままだったり物置にされたりしている。
ちなみに善兄は、結婚を機に作詞作曲の仕事は後回しにして、本気で竈門ベーカリーの手伝いに専念するつもりでいたらしい。
嫁いできたんだから当然だとかそう言って。

そんなある日、善兄の言っていた宇随さんという人が現れた。
その人は大層な美丈夫で、兄ちゃんのことも姉ちゃんのこともよく知っているようだった。
「そうは言ってもお前、そんな稼ぎでこの税金払えると思ってんのか?良いから曲作ってこい。ド派手に売ってやるよ」と何らかの明細を見せられていた善兄が、「こんなことある!?」と叫び出すまで、善兄はパン屋の店員として、よく働いてくれていたのだ。

そして一緒に住むようになってから、善兄は積極的に地域とも関わるようになっていった。
時間に余裕があるからと通学路で旗振りをしたり、町内会の会合に参加したり、小学校のボランティアに参加したりと一生懸命だった。

それもこれも全てが兄ちゃんへの愛情故になんだなぁと思うと実に感慨深かった。
それを言うと善兄が照れまくってブリッジを始めてしまうから言わないけど。
兄ちゃんのどやさ!顔がちょっと、いや、かなりムカつくから言わないけど。

だからこそ、善兄のこの格好はまずいのだ。
兄ちゃんは完全に善兄のことを囲い込んでいるし、はだけた服装どころか襟ぐりの広いシャツを着ているだけで「はしたないぞ!善逸!」などと叫ぶほどには善兄にぞっこんだ。

そしてそれについては、俺も完全に同意見だ。
何故ならそういう襟の広い服を着ているときの善兄の首筋には、朱い痕がいくつか散っていることが多いからだ。
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