鬼滅の刃

□綺麗な子と目が合ったのでその場で求婚してみた
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「んぁっ…」
ぱちんと爆ぜるような音がして目が覚める。
先程まで目の前にいたはずの鬼がいない。
音も聞こえない。
どうしたんだろ。
辺りをきょろきょろと伺っていると、とても綺麗な音が聞こえてきた。

力強くて、嘘偽りのない音。
きっとこの音の持ち主は、誰かを騙したり自分を偽ったりすることが出来ないに違いない。
そう思えるほどに、とても綺麗な澄んだ音色。

思わずそちらを振り返ると、見たこともないほどの美少女が、まるで俺を心配するような音を立てながら、じっと俺のことを見つめて佇んでいた。


「…結婚してくれぇ!!」
その少女の手を握る。
こんなに心配そうに俺を見ているなんて、きっとこの子は俺のことを好きに違いない。
この子から響く音。
綺麗で爽やかな音。
濁った音が欠片ほども含まれていない、清水のように清涼な音。
握りしめたその手のひらは思っていたより硬く厚くはあったが、近くで聞いた心音の滑らかな音色にはもう首ったけだった。

「俺はもうすぐ死ぬんだ!だから君に結婚して欲しいというわけで!!」
黒い服を着込んだ体にしがみつく。

結構ふっくらしている…?
いや、というより…がっちり…?

でもそんなことは最早気にならない。
むしろ良いじゃないか。
やせっぽちより断然良いね!

「頼むよぉぉ!俺と結婚してくれえぇぇ!!!」

涙を零しながら懇願すると、綺麗な瞳が驚いたように俺を見つめる。
その、春の萌葱色をそのまま写しとったかのような色。
清廉な若草色の瞳。
まるでじいちゃんの山で見た、あの5月の新緑の色。
しばらく無言で見つめ合う。


「…結婚するって言えば、お前はこのまま俺と一緒に帰るのか?」
「えっ!?声!?…えええええっ!!??顔っ!!!???…男ぉぉぉ!!!???」

髪が逆立つのではないかというほどの驚愕。
そして。

「えええええ!!!???結婚してくれるの!?俺と結婚してくれるの!?こんな可愛い子が結婚してくれるんなら、もう男でも女でも関係ないよぉ!!だって女の子は皆俺とは結婚してくれないしさぁ!!」

ぎゅっと自分の両手で可愛い子の両手を握り込む。
「可愛いねぇ可愛いねぇ!天女かな!?天から舞い降りてきた天女さまかな!?ねぇ本当に俺と結婚してくれるの!?」

「…いいから帰るぞ、紋逸」
「誰だよそれぇ!あ、俺は我妻善逸だよ!名前を聞いても良いかなぁ?」
「…嘴平伊之助」
「伊之助って言うの?良い名前だねぇ」
蕩けるように笑うと、伊之助が訝しむように俺を見ている。

「結婚してくれるんだよね?約束だよね?ねぇねぇ!」
「うるせぇ。いいから行くぞ」

先へと足を進めながら、伊之助が振り向きざま俺の頭をぱちんと叩く。
その衝動で髪が揺れて頬に掛かる。
…頬?

「あれぇ?」
なんだろう。
頭が何か変。
髪の毛が変。
触ってみると、なんだか髪の毛がとても長い。背中の中程と肩の中間くらいまではあるだろうか。


…そう言えばじいちゃんが言っていたっけ。鬼の中には血鬼術を使うような奴がいるって。そのせいかな?

幸い腰には刀がある。
なんだか立派な拵えの刀だけれど、じいちゃんが貸してくれた刀ってこれだったっけ?何か違うような気もするけどまぁいいや。俺の腰に差さっているんだから俺が使っても問題ないでしょ。

頭を触ると、その長い髪は紐で縛ってあるようだった。
なのでその紐をちょっとずらして、その紐の上辺りに腰の刀を一閃させる。

このまま捨てて帰っても良いようなものだけど、こんな変な色の髪が散らばってたら山にとっても邪魔にしかならない。なんで髪の毛って腐らないんだろうな。不思議だよね。

そう思ってそのまま手拭いに包む。
あとで燃やせばいいや。
なんか立派な髪紐がついてる。高そう。じいちゃんこんな洒落たもの持ってたっけ。
後で返さなくちゃ。

そう思って手拭いごと袂に入れて前を見ると、驚いたような、戸惑ったような音を鳴り響かせ、伊之助が俺を見ていた。

「切ったのか。お前」
「え?邪魔だったし。どうしたの伊之助」
「…お前…。何も覚えていないのか…?」
「え?何を?」
「いや、いい…。俺じゃ手に負えねぇ。しのぶのところ、行くぞ」
「しのぶ?誰?」
「…いいから来い」
硬い手のひらがぎゅっと俺の手を握る。
「…へへっ…」
その手の熱が嬉しくてへにょりと笑う。
こんな風に手を握られるなんて初めてのことだ。
なんたって過去に付き合ってきた7人の女の子達は、俺と手を繋いでくれたことなど一度も無い。
なのにこの子の方から繋いでくれた。
しかもこの子からは、とても綺麗な音が絶え間なく流れている。
「あったかいねぇ。…俺、誰かにこうして手を繋いで貰うの初めてなんだ。…あったかいねぇ」
そう言うと、若草色の瞳が何故か苦しそうに歪んだ。



そのまましばらく歩いて山を下り、そこからは走って進んだ。
伊之助の足はとても速くて驚いた。
もしかして鬼殺隊なんだろうか。
そう言えば、じいちゃんが昔着ていたと言って見せてくれた隊服ってこんな感じだった気がする。
俺も足は速いほうだけど、その俺を先導しながら息も切らさず進んでいく。

それにしても何処へ行くんだろう。
知らない道だからちょっと不安になる。

じいちゃん、心配してないかなぁ。
まぁ、この山にいる鬼を切って来いって俺を追い出したんだから、切るまでは帰れないのは分かってただろうし。
さっきの山にはもう鬼の音がしなかったから、きっとこの彼が切ったのだろう。
強そうな音が響いているし、きっと伊之助は強い。
こういう場合はどうしたら良いんだっけ。
じいちゃんへはどう報告したら良いんだろう。
鬼殺隊の人が先に切ってたから、鬼は何処にもいなかったのって言えば大丈夫かな?
嘘じゃないし、それならじいちゃんだって怒らないよね。

そんなことをつらつら考えていたら、なんだかなかなかに立派な屋敷の前で伊之助が止まる。
「…ここに入るの?俺なんかが入って大丈夫?」
首を傾げて問うと、一瞬じっと俺を見つめた。

「…綺麗な瞳だねぇ」
世辞じゃなくそう言った。
この音と相俟って、本当に綺麗な色を見せてくれる瞳だった。


見回した屋敷の中からは色んな音が聞こえてくる。
たくさんの人がいるのだろう。
話し声。人が蠢く音。厨の音。耳に馴染んだ、鍛錬をしている音。

育手の家だろうか。
でも、怪我をしている人も何人かいるな。
治療所と鍛錬場を兼ねている場所。

そう見当をつける。

伊之助を見ると、彼はまだ俺のことを見つめていたようだった。
聞こえてくるその音は、心底俺のことを案じているような音。

嫌悪の音も、俺を騙すような音も聞こえてこない。
純粋に、俺のことを心配してくれている。
好意を持ってくれている。
そのことが嬉しくて顔が綻ぶ。

「ここに入れば良いの?伊之助は本当に俺と結婚してくれるんだよね?そうだよな?」
「しのぶが先だ。いいから行くぞ、善逸」
強い力で手を握られ引っ張られる。

…ちょっと加減を知らないみたい。
知らないだろうけど俺は弱いんだぞ。

だけどこんなに綺麗な子なんだからまぁ良いや。
へらへらと笑み崩れる顔が止まらない。




「しのぶ。紋逸が変だ」
「善逸だってばぁ!なんでそんな呼び方するの?泣くよ?」
俺の言葉は意にも介さず、伊之助が勢いよく目の前の扉を開ける。
手を引かれ連れて行かれたその部屋の中には、とても綺麗な女の人がいた。
うわぁ顔が良い!この人も美人!顔だけで飯食っていけそう!
まぁそうは言っても伊之助の方が美人ですけどね!
なんたって、俺と結婚してくれるんだから。
俺にとってはこの国一番の美人なんだよ、伊之助は。

脳内でのみ感想を言う。
口に出すのは流石に失礼だろう。
俺は女性に失礼なことをしない男だぜ!

…だけどちょっとこの人、音が怖い。
それに他にも沢山人がいる。

ちょっと怯む。
知らない人は怖い。
驚いたような、奇異なものを見るような目で俺を見て、そして大抵の場合拒絶するような音を出すからだ。



ちょこんと伊之助の服の裾を摘まむ。
背後に回り、伊之助の音にだけ集中する。
そのまま一寸隠れるように伊之助の陰に入り込む。

「…善逸くん…?」
しのぶさんと呼ばれていた女の人が俺を見ている。
この人からはあまり感情の音が聞き取れない。
まるでじいちゃんみたい。
俺の耳に音は聞こえて来るのに、他の人ほどその心情を悟らせないようにしている人だ。

「…髪を切られたんですか?」
気の毒そうに俺を見ている。
「こいつが自分で切った」
「自分で?伊之助くんは止めなかったんですか?」
「腰の刀で一閃だぞ。…俺が間に合うわけないだろうが」
「…それは、まぁ、…なんという…。…ところで善逸くんは一体どうしたんです?」
「覚えてねぇぞ、こいつ。俺のこともしのぶのことも」
「え?」
「俺が行ったときにはもうこいつが鬼を切った後だった。塵すら見てねぇが間違いない。それで俺を見たと思ったらこうだ。何がどうなってるんだ。なんとかしろ、しのぶ」

「善逸くん?私のことがわかりますか?」
「…え…。綺麗なお姉さん…?」
初めて見る顔なのに、この人からは見知った人に掛けるような音が聞こえる。
だが間違いなく初対面だ。
流石にこんな音を立てる綺麗な人と会ったことがあれば、俺は絶対に覚えている。

「血鬼術でしょうか…。善逸くん?鬼を切ったときのことを覚えていますか?」
「…知らないです。俺は弱いので鬼なんて切れませんし切ったこともありません」
聞かれたことに答えれば、なんだか音が怖さを増した。
何を言っているんだろうこの人。
ぎゅっと伊之助の服を握る。

今の俺が頼れるのは伊之助しかいない。
完全に信頼できる音を出しているのは伊之助だけだ。

「…あの…、俺、じいちゃんのところへ帰らないと。修行の途中だったんです。じいちゃんが心配してるといけないから、俺はここで」
名残惜しいが伊之助の服から手を離す。
その手を伊之助がぎゅっと握る。
心配そうな、その音。

なんなんだろう。
何か俺、変なことに巻き込まれてでも居るんだろうか。
どうにも怖くて堪らない。
今すぐじいちゃんにしがみつきたい。

「…善逸くん…?もしかして…。…善逸くんは今、いくつになりましたか?」
「…16ですけど…」
「あなたの言うじいちゃんとは、桑島さんのことですね?私は蟲柱の胡蝶しのぶです。善逸くんのおじいさんとは知己の仲です。…修行とはどういうことですか?」
「じいちゃんの、知り合い?柱?…あの、俺、この修行が終わったら最終選別に行くことになっていて…」

俺の手を握る伊之助の指に力が増す。
しのぶさんの背後にいた3人の少女達が息を飲む。

「…善逸くん。座ってください。話をする必要が有りそうです」
「はぁ…」
ちょっと戸惑う。
伊之助を見上げると、伊之助が俺の手を握ったまま傍らの椅子に座って俺を見上げる。
なのでどうにか伊之助の隣に腰を掛けて、ぎゅっとしがみつくように伊之助の手を握る。


「…善逸くんは、2年分の記憶を失っているようです。今の善逸くんは18歳です。その間に大きな戦いがあり、たくさんの方を失いました。残念ですが、桑島さんも、…、その戦いで命を落とされています」
「ぇ…」
息を飲む。
室内の心音を聞く。
嘘偽りの音はしない。

そのまま何も考えられない時間が続いた。
静謐な音。
悼むような音。
周囲の誰からも、この綺麗なお姉さんの言葉を否定するような音は聞こえてこなかった。

涙がぽろぽろと頬を伝う。
何も考えられない。

「…立派な人だったとは、聞いている」
まるで俺を慰めるかのように、伊之助ががしがしと俺の頭に手のひらを突っ込んでくる。
その温かさを感じて、また泣いた。

しばらくぽろぽろと泣いていると伊之助が抱きしめてくれるから、その胸に顔を埋めておいおいと泣いた。
ぐすんぐすんと鼻を鳴らして泣き続け、ようやく落ち着いた頃には伊之助の服はぐしょぐしょに濡れていた。


「…ごめん…」
言うと、また頭を撫でられる。
「泣けて良かったじゃねぇか。…気にするな」
その手が温かくて、また伊之助の胸に顔を埋める。

「…あの…、兄貴は…。獪岳って言うんですけど…」
「…残念ですが…」
痛ましい、という音がしのぶさんから響く。

「…ぅ…」
それを聞いてまたひとしきり泣いた。
嫌な奴だったし俺のことを嫌っているのは知っていたけど、ずっと尊敬していたし憧れてきた。
ひたむきに努力し続けるあの背中をずっと追いかけて目標にしていた。
いつの日か隣に並んで戦うことが夢だった。
その夢がもう叶わない。
獪岳がいない。
じいちゃんがいない。
それがあまりにも辛くて、伊之助にしがみついたまま声を上げて泣きじゃくった。

泣きついている俺をどうしたら良いのかわからない、と言う風に伊之助が俺の頭を撫でる。
その手のひらが気持ちよくて、またその胸で泣いた。




どのくらいの時が経っただろうか。
俺が泣いている間、皆静かに俺のことを待っていてくれた。

落ち着きを取り戻してきたとき、そっと眼前に盆が差し出される。

「…飲んだ方が良いです。脱水になりますよ」
髪を2つに結んだ気の強そうな女の子が、俺の前に茶と饅頭を差し出してくれる。

「…ありがとう…」
礼は言うが手はつけない。
今はそんな気にはなれない。

くすんくすんと泣き続ける。
その間中ずっと、俺の背を撫でる伊之助の手のひらの熱を感じていた。
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