鬼滅の刃

□栗の甘露煮
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伸ばした手をそのまま体に沿って降ろす。
本当はこのまま炭治郎の羽織を握って一緒に出掛けようと思っていたけど、どうやら出来そうにない。

玄関先から聞こえる『炭治郎さん』という声を拾ってしまった。
炭治郎に客が来ている。

俺の知らない声。
知らない音。

前を歩く炭治郎の歩調より遅く歩いて、廊下の先で見えなくなったところで引き返す。
このまま行けば向こうから「炭治郎さんにお客さんですよ」と呼びに来るきよちゃんと出会うのだろう。
一緒に散歩に行こうって話をしていたけれど、今日は一人で出掛けようか。
それとも。

意識を集中してその音を探る。
存外近くにいるようだ。

親分もあまり人が多いのは好きではない。
伊之助が良さそうなら、伊之助と散歩しよう。
もしかしたら鍛錬になるかもしれないけれど、もうそれで良いや。
炭治郎の音が玄関近くの部屋へと移動するのを聞き取ってから玄関に向かう。

あいつは今日もまたどんぐりを探すんだろうし、そしたら俺は近くで木の実でも探すかな。
出来れば食べられるやつ。
そろそろ栗とか実ってないかな。
あけびとか、柿とかさ。
栗が沢山拾えたら、そうしたら栗ご飯にでもしてもらおう。





炭治郎は人に好かれる。
妹が鬼だから余り深く他人と付き合えないんだなんて言っていたけど、禰豆子ちゃんは可愛いし人を傷つけたりはしない。
とても綺麗で可愛い音を立てる女の子だ。

そんな子だから、知り合った人達からも好かれている。
禰豆子ちゃんと炭治郎の為人を知っていて、それでも炭治郎たちを責める人を俺は知らない。

だからもう、いいかな。
同じ屋敷にいれば、こうして遠くからでも炭治郎の音を聞くことができる。
太陽を克服した禰豆子ちゃんは、夜のお散歩に行かなくても日中蝶屋敷の子達と遊んで過ごすことが出来ている。

…なら、俺が出しゃばることでもないよね。

そう。
禰豆子ちゃんはついに、太陽ですら克服した。
頑張って頑張って頑張って、そうしてあの兄妹は着実に苦難を乗り越えていっている。

だから禰豆子ちゃんが完全な人に戻る日も近い。
そうなった時ほんの微かにでも、禰豆子ちゃんは夜中に男と出歩いていたとか2人で散歩をしていたとか、そんな話が出てきてはいけない。
禰豆子ちゃんはとても綺麗な音を響かせてくれる女の子だ。
だからきっと、良い人と縁を結ぶ。

…俺もそろそろ自重しなくちゃ、だよなぁ。

いくら炭治郎が優しくて俺がすることに何も言わなくて、禰豆子ちゃんが一緒にお散歩に行ってくれたとしても、それで全てが許されるわけじゃあない。




伊之助を誘って山へと出向く。
案の定伊之助は山の更に奥へと向かって走り込んでいったし、俺は目当ての栗の木の下へと辿り着いた。
この辺の柿はまだ青そうだ。
なら今日は栗だよ、栗。
その辺の木の枝を拾って手に握る。
この枝はしっかりしてるし結構硬い。
これならいけるかな。
足下に落ちている毬から栗の実だけを取り出して背負い籠に放る。
結構実が詰まっている大粒の栗。
たくさんあれば、甘く煮ても良さそう。
甘露煮は日持ちするしおやつにも丁度良い。

余計なことは何も考えないよう、一心不乱に拾い続ける。
栗の木はあちらこちらに点在しているから、俺自身もまた山の奥へとどんどん進んでいった。
たくさんの栗を拾いつつあけびや茸を探し続け、籠に入りきらなくなるまで放り続けた。



どんぐりをたくさん集めた伊之助と合流して山を下りる頃には、そろそろ日も傾き始めていた。
急いで帰れば夜ご飯に間に合うかな。
駄目そうだったら明日で良いか。

背負い籠をとすんと揺らし均してから背負い直す。
羽織をかぶせて紐で縛ってあるから、多少走ったところで中身が飛び出してしまうようなこともない。

「走るぞ!!!紋逸!」
「待ってよ伊之助ぇ!」
背負い籠を負ぶっている俺にはお構いなしに、伊之助が走り出す。
うん。
伊之助のこういうところ、大好きよ。
俺がしょんぼりしていることには気付いているんだろうに、それには触れずにそっとしておいてくれる。
結構懐が深いんだよなぁ。
置いて行かれないよう後をついて走りながら、その背中を見つめていく。

…伊之助なら、もう少し俺と遊んでくれるのかな。
…あと少しで良いから。
…俺が寂しくないよう、傍に居て欲しい。

胸の奥がつきんと痛む。
結局伊之助もまた後ろを振り返ることすらなく、俺を置いていくのだとは分かっている。
炭治郎と同じように。
俺を置いて前へ前へと進んでいく、その頼もしい背中。





炭治郎は俺の理想の人だ。

強くて誰よりも強くて。
弱い人や困っている人を助けてあげられる優しさと強さを持っている。
泣きたくなるほど優しい音。
陽だまりのような温かさで、周囲の人を簡単に包み込む。
俺の理想以上の人だ。
綺麗な音を響かせて、皆が好きにならずにはいられない。
…だから俺も。好きになってしまった。

誰からも好かれる炭治郎は、誰に対しても好意の音を響かせている。
俺は誰からもそんな音を向けて貰ったことがなかったから、ついついこの音は自分だけに向けられているんじゃないかと勘違いしてしまった。
「好きだ」「一緒にいよう」なんて炭治郎が簡単に口にするそれらの言葉も、俺だけに向いているのだと。
何の根拠もなく、確信もなく、何故だかそう思い込んでしまっていた。

そんなの駄目だろ。
炭治郎にはもっとちゃんとした人が似合うだろ。
そう言って逃げたりもした。
こんなにも優しくて綺麗な音に、俺みたいなのはふさわしくない。
そう思って避けたりもした。

でも違った。
俺だけが特別なわけじゃなかった。
カナヲちゃんにも。
アオイちゃんにも。
しのぶさんにまで。
その人が言って欲しい言葉を、炭治郎はただただ自然体で紡ぎだしているだけだった。

俺が、炭治郎から紡がれる『好き』って言葉を欲しがったから。
炭治郎に恋仲なんだと思わせて欲しいと、そう願っていたから。
ただ、それだけのことだった。
俺の知らない人達だって皆、さも自分が炭治郎の一番なのだと思い込んでいる。
その姿を見て、「炭治郎が本当に好きなのは俺なのに」なんて思ってしまった。
俺のその心得違いこそが完全な思い上がりなのだと気付いたときには、抜け出せないほどの深みへと嵌まってしまった後だった。

先刻だってそうだ。
俺と約束をしていたはずなのに、炭治郎は来客を優先した。
そのまま俺のことを放っておいて、探す気配すらないままだ。

その前もそうだった。
その前も。
その前も。
するりと簡単に、炭治郎は俺以外の人を優先する。

…その程度なのだ。
炭治郎にとって、俺の存在は。



炭治郎は誰にでも言うのだ。
好きだ。可愛い。心から感謝している。俺は凄いと思っている。
そんな言葉を。
なんのてらいもなく、当然のような顔で口に出し激励し好意を伝える。
そうして産まれる、俺のような勘違い野郎たちの屍累々。

炭治郎から好きだと言われて、俺はそれを恋から来る好意なんだと勘違いしてしまった。
もしかして俺達は恋仲なんじゃないかと思い込んでしまった。

でもそうじゃなかった。
炭治郎は誰にでも同じようなことを言っていた。
誰に対しても好意の音を響かせて、そして相手から鳴る好意の音を素直に受け入れてくれているだけなのだ。

きっと自分1人だけが炭治郎の特別なんだと思い込ませてしまうほど、無自覚に無邪気に、他人に愛情を伝えているだけ。
炭治郎に慈しみを示されて勘違いしている人達を沢山見て、ようやく俺もそのことに思い至った。

おかしいとは思ってたんだよね。
こんな俺のことを炭治郎が好きなんてさ。
俺だって本気で悩んだんだぜ。
こんな俺が炭治郎の隣に居ても良いんだろうかって。
悩んで悩んで、それでもやっぱり炭治郎のことが好きで堪らなくて。
だから軽率に『俺も好き』なんて伝えてしまった。

勘違いが恥ずかしすぎて死ねるわ。



炭治郎は顔だって男前だし、女の子達からの恋文は引きも切らない。
俺に来るのなんてせいぜい果し状だよ、果し状。
何時に、何処で待つ。みたいなの。
行くわけ無いだろ。
俺は弱いんだぜ舐めるなよ。

だから、炭治郎にこんな俺なんかはもう要らない。
むしろ邪魔にしかならない。
炭治郎の周りでうろうろしてたら目障りになる。

今でさえもう、「なんで我妻はいつも竈門と一緒に居るんだ」なんて怪訝そうな顔で聞いて来る人が何人も居る。
その人達からは総じて不満そうな、妬心の音が響いている。

「そうね。…俺もそろそろ離れようかとは思ってるんだけど」
そう答えれば、嬉しそうに弾む音へと変化する。

…望まれていないのだ。
あんなお日様みたいな炭治郎のもとに、こんなヘンテコな黄色頭の俺なんて、ふさわしくないのだから。









■▽■△■▽■








「善逸さんが栗をたくさん拾ってきてくれたんですよ」
「伊之助さんからはどんぐりを貰いました」
夕餉を食べていると、なほちゃん達が楽しそうにそう教えてくれた。
その手のひらに載っている、つやつやのどんぐり達。

「そうなんです。伊之助さんと山に行って、たくさん栗を持って帰ってくれたんです。それで一緒に栗の皮剥いて、栗ご飯にしたんだよね」
「栗ご飯美味しいもんね」
「善逸さん、栗の皮剥くの上手だったね」
「でも任務が入っちゃったから、善逸さんだけ栗ご飯食べてないんだよね」
「栗はまだたくさんあるから、甘く煮て取っておいてあげようね」
「善逸さん、甘い物好きだもんね」
「饅頭に入れても美味しいから、帰ってきたら作ろうね」
すみちゃん達が幸せそうな匂いを出しながら、大粒の栗をもぐもぐと咀嚼している。

「…善逸が?伊之助と…?」
「あっちのお山に行ったみたいです。あけびと茸もたくさん貰ったんです」
「むかごも貰いました。明日はむかごと茸のお味噌汁にしようね」
「茸、お芋と煮ても美味しいよね」
「…炭治郎さん、どうかしたんですか?」
箸を止めてしまった俺を見て、きよちゃんが心配そうな匂いを醸す。

「…いや。俺は誘われていないなと、そう思って」
「炭治郎さん、お客さんだったからじゃないですか」
「次は誘われますよ、きっと」
「仲良しだもんね」
顔を見合わせて笑う仲良し3人組に向けて、どうにか笑顔を作って向ける。

…誘われなかった。
散歩に行こうと善逸を誘って、途中までは確かに一緒に玄関へと向かっていた。
でも気が付いたら何処にも居なかった。
屋敷を探して、庭を探して。
ずっと探していたのに見つけられなかった。
匂いを辿ろうとはしたけれど、うっすらと香るその匂いの中に微かな涙の匂いがしたから躊躇してしまった。
最近の善逸はこうして、哀しみの匂いに包まれていることがある。

そうして気が付いたらいつの間にやら戻ってきていたのだ。
何処へ行っていたとも言わず。
ただいまとすら言って貰えず。
伊之助と2人だけで、善逸は山へ行っていた。

…どうして。
何故。

頭の中でぐるぐると考える。
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