鬼滅の刃

□甘えたいからって何でも許されると思ったら大間違いだからな炭治郎
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あ。まただ。

ちょっとお茶のお代わりを貰ってくる間。
ほんのちょんの間。
それなのにもうこんなにも、炭治郎の周りには人が集まって来ている。

すうっと目を眇める。
隅の方に熱い焙じ茶の入った急須を置いて、近くの人に指差してここにお茶があることを教える。
その人がまるで自分の手柄であるかのように炭治郎のもとへと急須を運んでいくのをちらりと見ながら、足早に縁側をあとにする。

楽しそうに弾む会話。
明るい笑顔。
皆で笑い合い並ぶ縁側。

明るくて眩しい。
まるでお日さまみたいだな。

暖かくて気持ち良いけど、お日さまは皆のものだから。
近寄りすぎれば駄目になる。
だからこのくらいが丁度良い。
同じ屋敷の中にいてくれるだけで、俺はこの音を聞くことが出来る。

優しい音を聞くだけで。
それだけで俺には分不相応なほどの幸せだ。

頷きながらそっとその場を後にする。
楽しそうな炭治郎の笑い声が、耳の奥で何度も何度も反響を繰り返していた。






■▽■△■▽■







蝶屋敷の裏手の山に差し掛かる辺り。
誰も来ない、俺だけの秘密の場所が此処にある。

金木犀の群生を超えたところ。
そこに聳える、大きな紅葉の木。
秋の気候に色づいた葉が、さわさわと心地好い音を立てている。
まるで炭治郎のように赤味を帯びたその葉の色。

金木犀の匂いがきついからと炭治郎も伊之助も近寄らない。
他の人達はそもそもこんな場所に用はない。

そこで紅葉の木に登り、枝に腰掛けてぼんやりと紅葉にけぶる空を見やる。
そろそろ夕焼けの時間だから、綺麗な茜雲がたなびいている。

聞くともなしに耳をすませば、カナヲちゃんと炭治郎が並んで歩いている音が聞こえてくる。
先刻皆で飲んでいた茶を2人で片付けているらしい。
カナヲちゃんから鳴る楽しそうな音。

使い終わった湯飲みや急須を厨に運ぶというただそれだけのことでも、炭治郎と一緒ならこんなにも楽しいことになるんだ。
カナヲちゃんから聞こえる軽やかな音が、俺にもそのことを思い出させてくれる。


日が沈み辺りが月明かりに照らされるその頃までずっと、俺は独り紅葉の木の上で変わっていく空の景色を眺めていた。
耳に届く微かな音。
炭治郎から零れる優しさの音。
その音だけを捉えながら、じっと静かに月を見上げた。








■▽■△■▽■








「…何処へ行っていたんだ?こんなに冷えて」

部屋に戻れば、何故だか炭治郎が仁王立ちで待ち構えている。
あれ。
炭治郎、今日は別の部屋が用意されてたはずだよな。
なんで俺の部屋にいるんだろ。

まぁいいけどさ。
此処は別に俺の部屋って訳じゃないし、蝶屋敷の一室だし。
勝手に入ろうが何をしようが構わんけどさぁ。

何でこいつ怒ってんのよ。
ぐつぐつした音が聞こえてくるんだけど何でさ。

話の途中で他の人達に割り込まれて弾き出されて、俺の方が不機嫌になっても良いくらいじゃないの。
なのに実際不機嫌なのは炭治郎の方って、なんか納得いかない。

「散歩だよ、散歩」
「1人でか?」
「なんでよ。関係ないだろ。炭治郎には」

炭治郎が人に囲まれていたとき、1人寂しく木に登ってましたとか言えるわけ無いだろ。
どんだけ惨めなんだよ俺。
昔からずっと、何かあったら逃げ込む先は木の上ばかりだわ。
他に行くところなんて何処にもないもの。
言わせんな莫迦。
まぁ、どうせ匂いでばれるんだろうけどさ。

「…匂い、が…」
「匂い?」
「…善逸の匂いが…、花の匂いに埋もれてしまっているから…」
「…そっか」
ばれてないならそれで良いや。
金木犀の残り香で誤魔化せるのなら、花が咲いている間はこれからもあの場所に通い詰めよう。
そう心に決める。

炭治郎がずっと色んな人に囲まれていたのを俺は知っている。
でも炭治郎は俺が何をしていたのか匂いでは分からない。
そのことに何故だか酷く安堵した。

「話の途中でいなくなるから、心配したんだ」
「別にたいした話もしてなかったしなぁ」
何の話をしていたのか、今となっては思い出せない。 
その程度の些末事なのだ。
特段気にして貰うほどのことでもない。

炭治郎の周りを取り囲んでいた人達の、新しく鍛錬用の人形を開発したとか、綺麗な花が咲いていたから蝶屋敷に持ってきたとか、その方が随分大事な話なんだしさ。

「善逸には誰か好ましく思う相手がいるのか、と聞いていたんだ。先に善逸が茶のお代わりを貰ってくるからと席を立ってしまったが。…どうだろうか。教えて欲しい」
「そりゃ俺は皆の事が大好きよ。禰豆子ちゃんもなほちゃんもすみちゃんもきよちゃんもみーんな大好きです!」
胸を張れば、炭治郎が眉を顰ませる。

そんな顔すんなよな。
名前も知らない相手に求婚するより断然ましだろうが。

少なくとも綺麗な音を立てる女の子達だぞ。
名前も為人もよく知ってる。
どの子も本当に良い子だ。
それに何の不満があるのさ。

それに俺、一応気を遣っているんだぞ。
お前さんに気がありそうなカナヲちゃんだのアオイちゃんだのの名前は出してないだろうが。
お前からだって2人に対しては好意の音が響いているし、俺の口から名前が出たら嫌な気分になるだろ。
俺だって気を遣ってるのに、なんでそんな不機嫌な音立ててんのさ。
意味が分からんわ。

そりゃ俺だって自覚してるよ。
あまりにも女の子を口説きすぎて気持ち悪いとか言われてることくらい。

仕方ないだろ。
そうやって誤魔化しておかないと、時折とんでもないこと口走りそうになるんだわ。
そうなったら1番困るのお前さんだからな。
わかってんのかそのへん。
わかってないんだろうな。
この堅物デコ真面目め。

呆れたような瞳で見てしまったけれども、これは俺のせいじゃないからね。
人の心の機微に疎すぎるお前のせいなんだわ。
だからそんな顔で俺のこと見てるんじゃないよ気まずいだろうが。

荷から着替えと手拭いを取り出す。
確かに言われるでもなく俺の体は冷えている。
夕餉の前に風呂へ行きたい。
鍛錬してるとは言え、風邪を引かないなんて保証はないしね。

「…風呂なら、離れの風呂も沸かしてあるからそっちへ入ってくれ」
「あれ?そうなのか?そういや今日、人が多かったっけ」
炭治郎の元へと集まっていた人達を思い出す。
炭治郎に向ける好意の音。
会えて嬉しいという歓喜の音。
確かにあの人達が皆泊まっているのだとしたら、母屋の風呂だけでは事足りないに違いない。

「順番とか決まってるのか?俺はいつでも良いけど」
声を掛ければ、炭治郎から鳴る音が奇妙に跳ねる。

「いや、…こちらの風呂に入るのは俺と善逸だけだ」
「それは勿体ないだろ。誰か母屋の人呼んできたら良いんじゃないの」
「必要ない。…先に入ってきてくれ」
「母屋、結構人がいるじゃんか。友達なんだろ。呼んで来いよ」
「良いから。…先に入ってきてくれ、善逸」
何故か逆らいにくい雰囲気で炭治郎が言葉を紡ぐ。

珍しいな。
頑なになるときは頑固で梃子でも動かないけど、こういうことには柔軟な奴なのに。
耳で探れば、母屋にいる人達は別に全員がこの屋敷に泊まるわけではないらしい。

なら、母屋の風呂で良かったのにな。
態々沸かすなんて贅沢じゃない?

首を傾げながらも風呂へと赴く支度をする。
流石にこの気候の中、ずっと外で風に吹かれていたのは良くなかったかもしれない。
木の葉が揺れる音も、幹の中を水が伝っていく音も、俺には心地好すぎたんだ。
だからついつい長居をしてしまった。
冷たくなっている腕をさすれば、炭治郎の音がどくんと跳ねる。

まずいかな。
冷え切っているのがばれてるのかもしれない。
そそくさと部屋を飛び出し、風呂場へと駆け込んだ。




たっぷりの湯を浴び風呂釜に浸かり、ほっこりとした体に寝間着を着込む。
冷えるから羽織をはおって、それで部屋へと戻ればそこにはまだ炭治郎が陣取っていた。
何故かもう隅の方へ蒲団は出されているし、炭治郎の荷物も置いてある。

「どしたの。自分の部屋へ戻らなくて良いのか?」
目を丸くして問いかける。

「食事は皆で食べる方が美味しいんだろう?善逸の分の膳も後で持ってくるから、一緒に食べよう」
「そりゃ、良いけど…。あっちで皆と食べなくて良いのか?待ってるんじゃないのか?」
母屋の音に耳を澄ませようとすれば、炭治郎の両手が俺の耳をそっと塞ぐ。

「俺は。善逸と。ここで。食べる」
一言一言を区切りながら、炭治郎がゆっくりと塞いだ手のひら越しに囁いていく。
うん?と小首を傾げれば、炭治郎がお日さまの笑顔でふわりと笑う。

「俺も風呂に入ってくる。戻ってくるときに善逸の分も膳を貰ってくるから、一緒に食べよう」
にこやかな顔で去って行く後ろ姿を見つめる。

温かい笑み。
柔らかな音。

…これはあれだな。
…また、気を遣わせちゃったのかね。
炭治郎の音が遠ざかったのを確認してから、ふうっとため息を吐いていく。

話の途中で不意に居なくなったから、きっと機嫌を損ねたとでも思われているのだろう。
放っておいたから拗ねている子ども。
だからそれをあやすために、炭治郎はこうして俺との時間を捻出してくれている。

今まで幾度も繰り返されてきた光景。
それをさせたくなかったから静かに離れたというのに、結局却って気を遣わせてしまっている。

…情けないんだよなぁ。俺のが年上なのに。
畳の上に寝転がって天井を見上げる。

夕焼け空も月も何もかも、ここからは窺い知ることが出来ない。
まるで今の自分みたいで、それが酷く滑稽だった。








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