鬼滅の刃

□泣かされ善逸と泣かせた長男
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それきりだ。

会いたい。
会って謝りたい。

そう願っても、俺が近寄れば音で気付かれる。

生き物が発する音。
善逸の耳はそれを聞き分け分類している。

…俺と会うか、会わないか。
それを決めることが出来るのは善逸だけ。

疾風迅雷の足。
匂いを辿って追いかけたくてもそれを許さない。
俺が追いかけるより先に、音に気付いた善逸が走って姿を消してしまう。

善逸が本気で俺に会いたくないと願うのならば、その想いを叶えることは実に容易いことだった。

三日経ち、十日経ち、一月が過ぎて行く頃。
明確に避けられているのだと、実感せずにはいられない頃。

…その噂を聞いたのだ。






霹靂一閃。
雷の呼吸を使う隊士が、次々鬼を斬り殺している。

実際にその場にいた他の隊士達ですら、刃も見えない刹那の間。
気がつけば鬼の首が切れている。
六連。八連。十連。神速。
ただひたすらに鬼を狩り続けているのだと。
…瞳も開けず、まるで眠っているかのような姿で。



「まったく瞳を開けることなく、鬼を切るんだぜ」
興奮しながらそう言っていたのは誰だっただろうか。
「夜道で、しかも山の中だろ。それでも瞳を開けないんだ。なのに滅茶苦茶速くて、姿を目で追うことすら出来ないんだ」
どうやら彼は、先行隊として山に入り鬼と交戦し、怪我をしていたところをその隊士に救われたらしかった。
「最初の鬼を切ってからも、指示が的確でさ。なんでわかるんだろうな。まだ鬼がいるからそちらには行くなとか、陣形を取れとか。あの隊士がいなかったら、絶対に俺達死んでたぜ。それがかすり傷で済むなんて、どれだけ礼を言っても言い足りないよ」
蝶屋敷へと手当に訪れていた間中、ずっと喋り続けていた。
「鬼を切ったって言ったけど、切ったところは見てないんだよ。いや、見てたんだけど見えなかったんだ。そんなことあるかって話だろ?でも本当なんだ。切られた鬼の首が塵になるところは見たのに、その隊士の刃は一度も見ていないんだぜ。俺達。…どんな色に変わってるんだろうな、あの人の刀は」
恋い焦がれるような熱の匂いがした。
「鬼は3匹いたんだ。全部その隊士が1人で切り倒してた。俺らだって頑張ったけどさ。強かったんだよ鬼。なんせ鎹烏が、先行隊だけで15人送り込んだくらいだぜ。それから遅れて追加であの人が1人だけ来たんだ」
何を思いだしているのか、ふるりと震えていた。
「…すげぇ綺麗な金の髪でさ。宙に飛ぶ度月明かりにふわぁって淡く光るんだよ。まつげも金色で、月明かりを零したみたいに映えるんだ。でも冷静な人でさ。俺がお礼を言っても素っ気ないの。…だけどさ。その場にいた隊士達の名前、全部覚えてくれたんだぜ。すごくないか?お前覚えられる?見えてないのに、声だけで全員の名前」
身振り手振りで自分の体験談を話していた。
「藤の家紋の家に辿り着いても、それでも瞳を開けないんだぜ?だからやっぱり目が見えない人だったのかもしれないな。あんな綺麗な髪してるんだから、きっと瞳も綺麗な色をしてるんだろうな。見てみたかった。俺」
ぼぅっと、まるで熱に浮かされたみたいに頬を染めていた。
「…また会えるかな。…いや、会いたい。どうしても。…ちゃんとお礼を言わなくちゃと思って、次の日の朝一番で部屋に行ってみたんだよ。…そしたらもう次の任務に行ったあとだったらしくて。…お礼も言いたいし、何の型使ってるのかも聞きたいし…。すげぇ人だったけど、まだ若そうに見えたんだ。…仲良くなりたい。…あの人の瞳…見てみたい…」
何処か遠くを見つめるような憧憬の瞳に映っていたのは、どんな姿だったのだろうか。




…琥珀だ。
…月明かりを集めたような、琥珀の色をしている。
月明かりにけぶる髪。
さらさらと揺れる度、くすぐるような甘い匂いが満ちていくんだ。
月明かりのもとではどこか儚いその色も、陽の光のもとで見ると、また雰囲気が変わることを俺は知っている。

耳が良いから音で覚えている。
最終選別の時だって、同期全員のことを覚えていたのは善逸だけだ。

そう思いながらも何も言えなかった。
善逸のことを、他の誰にも話したくはなかった。
…俺だけで言い。
…知っているのは、俺だけで。



あの金の髪。
月明かりに融けるような、あの甘やかな髪。

…お前達のものじゃない…。
…語るな…。
…何も知らないお前程度のものが、善逸のことを軽々しく、嬉々として語ってくれるな。
ちりちりと炎が胸の中を焦げ付かせていく。

…知らないくせに。
…泣いて、喚いて、任務は嫌だと泣く姿を。
…女の子にすぐ惚れて、ふられて泣く姿を。
…甘い物に目がなくて、口の端に餡子をつけながら、嬉しそうに頬張っている姿を。
…それでも…。他人の大切なものだからと…、命をかけて守ってくれる姿を。
…泣きたくなるほど優しい音だと、俺に向かって笑ってくれるあのまろい笑顔を。
…癒されていると、そっと握ってくれるあの手の温かさを。
どくんと心臓が跳ねる。


俺は何を。
これではまるで恋している男のそれだ。
まさかそんな。
…善逸は大事な友人だ。
だからこんな、何も知らない奴に語られてて、それで不愉快になっているだけだ。

…だがこれが…伊之助の話だったらどうだっただろうか。
…こんな…。
…胃の中に石塊を放り込まれたような、重苦しい気持ちになっていただろうか。

そこまで考えて気付く。

そうだ。
俺は確かに嫉妬している。
善逸に助けられたという、怪我をしているこの男に。
…善逸のことが好きだと、好ましい男性だと、何らてらいもなく言える女性に。
…善逸から、好きだ結婚してくれと、そう言われている女の子達に。

ちくちく胃が痛む。
手を当てて自嘲する。

…平べったい胸。女性とは比べようもないほど堅い体。
…指を絡ませられるような長い髪もない。
…善逸よりも年下の自分。

つまるところ、俺はそれが気に入らなかっただけなのだ。
善逸が語る恋の話に、俺は存在していなかった。
見知らぬ女性に求婚しに行こうかと、そんなことを笑顔で言う善逸に、もっと自分を大事にしてくれと叫びたかった。
…そんなに誰でも良さそうなことを言いながらも、善逸は決して俺を選ぶことがないのだというそれだけのことで腹を立てていた。

…善逸の恋の相手として、俺は対象外なのだという…、その事実がとてつもなく腹立たしかった。

それが許せなくて、我慢できなくて、それでその衝動をすべて善逸にぶつけてしまった。
浅ましい欲望に気付く前から、俺はこんなにも善逸を独占したくてたまらなかった。

…それで善逸を傷つけた。

至らないのは俺だ。
恐ろしい欲望に蓋をして、溢れだしたものからも目を背けていた。


謝りたい。
会って、顔を見て、俺が全部悪かったのだとそう。

…あんな。
…善逸が泣き言も言わず、駄々もこねず、無茶な任務をこなしているのは俺のせいだ。
謝って。それで。
…許して貰えるとは思えない。
それでも、謝らなければ。
悪いのは俺だけだ。
…善逸は何一つ悪くない。

そのことだけは、伝えなければ。

善逸を探そう。
会いたい。
会いたくてたまらない…。





任務の度に善逸を探す。
同じ任務をこなす隊士達や藤屋敷の人達に消息を聞き込んでいく。

善逸に救われたと、あの型は素晴らしいと、熱を帯びた声で話す人達の焦がれるような匂いを何度も嗅いだ。
月の光を集めたような、あのけぶる金の髪。
雷鳴のあと倒れ臥している鬼の姿。
人口に膾炙するには充分なほど、神秘的な話の数々。

善逸の後を追いかける。
だけれど、匂いを辿る前には逃げられてしまう。
焦燥感ばかりが募る。

前回の任務で見掛けた。
藤屋敷で一緒になった。
そんな言葉を聞く度に、会いたくて会いたくて、たまらなく胸が苦しかった。



急だった遠方の任務を終え蝶屋敷に戻ったとき、そこにはやはり善逸の姿はなかった。
蝶屋敷で見たと聞いたのは一昨日。
どうやら俺は、またしても追いつけなかったようだった。

縁側にいた伊之助を捕まえる。

「…善逸を見なかったか」
「昨日まではここにいたぜ」
「…何か変わったことは」
「知るか」

若草色の瞳が俺を見つめる。

「何だ。あいつのことが気になるのか。喧嘩してるんだろお前ら」
「…喧嘩ですらない。俺がただ一方的に悪いんだ」
「ふぅん」
気のない返事に唇を噛む。
「…善逸の噂を聞いた。…たくさんの鬼を切っていると」
「紋逸はあれだろ。寝ているときの方が強い。遊郭の時もそうだった」
「…それは…知っているが…」

伊之助に相談したい。
どうにかして善逸と話をしたい。謝りたい。
…なんとか間に立って貰えないだろうか。

だけど伊之助の瞳も冷ややかだ。
あの場に伊之助はいなかったが、誰かから話だけは聞いているらしかった。

…伊之助もまた、俺を責めているのだ。



「前にあいつ言ってただろ。なりたい自分があるんだって。誰よりも強くて弱い人や困っている人を助けてあげられる人間になりたいって」
「…あぁ…」
「寝ているときのあいつがまさにそれだろ。攻撃も的確で状況把握能力にも長けている。上弦相手でも怯まねえで言いたいことを言う。なりたい自分の姿、そのままじゃねぇか」
「…」
「霹靂一閃だって、一体何連まで可能なんだろうな。…起きているときより寝ているときの方が、あいつは明らかに速くて強い」
「…そんな…」
そんなことはない、とは言い切れなかった。
あの列車の時も、遊郭の時も。
俺も禰豆子も、何度だって善逸に助けられてきたのだから。


「寝ている間にあれだけの攻撃を繰り返していて、起きたら何も覚えてもねぇってことは、体に負担が掛かってないって事だろ。起きているときの能力だけでも、あれだけのことが出来るんだ。寝ている間は色んなものが削ぎ落とされてもっと強え。…潜在的に強いんだよ。あいつは」
「あぁ。善逸は強い」
…そして優しい。
何度繰り返しても、善逸には届かなかった言葉を思い出す。

「でも起きているときのあいつは弱味噌だろ。すぐに泣き言を言って逃げようとする。…でも本当に悩んでいるときは、誰にも相談せず自分だけで何とかしちまう」
「そうだな…」
「…だからもう起きていたくないんじゃねぇのか。誰よりも強くて、心も強くて、あいつのじいちゃんとやらが期待していた理想そのままじゃねぇか」
泣き言も言わねぇみてえだし、と伊之助が続ける。

「…だからずっと寝ていることにしたんじゃねぇの。怯えねぇし、逃げねぇし、泣かねぇし。人の役に立ちたいって言う夢をそのまま体現してやがる。…本人が起きたくねぇから、起きないんだろうが」
「…いつかは、起きるんだろうか」
「俺が知るか。本人に聞け。本人に」

…それが出来ればどんなに。
ぐ、と唇を噛みしめると、伊之助が眉を顰める。

「…いつかは起きるだろうが。いつもはあいつ、鬼を倒した後には起きて来やがるのに。…何やってんだか」
伊之助から、仄かに「寂しい」という匂いがした。






それからまた日々が過ぎていった。
焦り。苦さ。
眠りの浅い日々が続いた。
…あの甘い匂いを、もうどれだけ嗅いでいないのだろうか。
弾けるような笑顔を、どれだけ見ていないのだろうか。

会いたい。
会いたくてたまらない。

禰豆子もずっと寂しそうにしている。
いつも遊んでくれ、夜の散歩に連れ出してくれ、花をくれていた人が、突然に奪われてしまったのだ。
わけもわからないうちに。
…不甲斐ない長男ですまない…。
謝っても、禰豆子には伝わらないようだった。



その夜は単独任務だった。
善逸の話を聞き込むことが出来ないのは辛いが、今はただ独りでいたかった。
誰かといると気鬱になる。
…善逸に会ったと、そう言われてしまうだけで胸が騒ぐ。

禰豆子の箱を背負ったまま鬼の匂いを追いかける。

…鬼の数は2体。
それぞれが殺した人間の数は30ほどだろうか。
強くはないが、弱くもない。

基本鬼は群れないが、中には連携してくる鬼もいる。
早々に倒さないと厄介なことになるかもしれなかった。


…匂いが濃くなった。
視界に姿を捉える。

大きな鬼と…、それより一回り小さな鬼。
それが獣の死骸を貪っている。

小さな鬼と目線が絡む。

「…水の呼吸…、参ノ型、流流舞い」
小さな鬼の両手を落とす。

首を落としに行ったのに避けられた。
悲鳴を上げて大きな木の裏に隠れてしまう。
この鬼はすばしこい。

ギヤアァァァァッ…!!

大きい鬼が咆吼する。
「…俺の妻にっ!俺の妻に何をしたァァァァァ!?」
鋭い爪が縦横無尽に俺を責め立てる。
…夫婦だったのか。
夫婦で襲われ、鬼になった。
そういうことなのか。

小さい鬼を庇うように大きな鬼が爪を繰り出す。
それを避けながら足を繰り出す。
めまいがする。
最近眠りが浅く、食事も残しがちだった。
…剣士の基本は体だ。

俺は一体何をしているんだ。
善逸を傷つけ…それで自分自身をもこうして粗末に扱ってしまっている。
自嘲の笑みが昏くたゆたう。

反面、この2人は。
鬼になっても、愛しているのか。
…鬼ですら。…こんなにも互いのことを大切に。

大きな鬼の咆吼と爪の攻撃に瞬間気を取られる。

「…禰豆子ぉ…!」

小さな鬼が手をかざすところは見えていた。
切り落とした腕が復元している。
それも見えていた。
だがそれがいきなり数倍にも伸びてしまうところまでは予想できなかった。
攻撃を避けた瞬間、禰豆子を背負っていた箱の肩紐が切り裂かれた。
避けた俺はそのまま、禰豆子とは反対方向へと飛び降りてしまった。

無防備な箱が転がる。
振り返り叫ぶ。

小さな鬼の鋭い爪が、箱を切り裂き貫こうと狙っている。
「漆ノ型、雫波紋突き!」
再び小さな鬼の両手を切り落とす。

「禰豆子…!!」
禰豆子の箱に意識が向かった。

その瞬間、大きな鬼の鋭い爪が間近に迫っていることに気付いた。

…避けきれないっ…!?

息を飲んだ瞬間。
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