鬼滅の刃

□泣かされ善逸と泣かせた長男
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「…壱ノ型、霹靂一閃」
ずっと会いたいと願っていた月の色が、刹那の間に大きな鬼の首を落とした。

「…壱ノ型、水面斬り…!」

刃を振るう。
小さな鬼の首を落とす。

塵になるのを見届けていると、善逸が禰豆子の箱にしゃがみ込む。
「禰豆子ちゃんは俺が守る」
静かな声でそう言って、細く裂いた布地を差し込み、切れた肩紐を補修してくれているらしかった。
…瞳を閉じたまま、何も言わずに紐を直す。
その箱の上で、チュン太郎が「ちゅん!」と鳴いている。

しばらくぶりに見た姿に涙が溢れる。
その背中に後ろからしがみつく。

「…ごめん…!ごめん善逸…!」
溢れ出る涙が止まらない。
「…すまなかった…。俺のせいだ。…頼むから起きてくれ。逃げないでくれ。俺の話を聞いてくれ…」
縋り付く。
その体からは今も尚匂いを感じない。
「…好きだ…。好きなんだ、善逸…。本当にすまない。嫉妬してたんだ。…善逸に愛される女の子が羨ましくて…、それで、あんな酷いことを…」
無機質な匂いだけを放つ背中を抱きしめる。

「…好きだ…。本当にごめん…。俺はずっと…。善逸のことが好きだったんだ…」
幾分伸びた金色の髪の毛を、軽く肩の下で結んでいる。
…これだけの間、俺はずっと善逸に会えていなかった。

「…本当に…すまない…。好きなんだ…。善逸はもう俺のことを友人だと思ってくれないかもしれないが…。ただの友人では我慢できなかったんだ…。俺はずっと…善逸のことが好きだったんだ…」

泣きながら善逸の体をこちらに向ける。

顔が見たい。
…会いたくて会いたくてたまらなかった。

悲鳴のような泣き声が俺の口から迸る。

「…好きだ」
強く抱きしめる。
「好きなんだ…。善逸のことが」
「誰よりも…、特別に…。初めて会ったときから…ずっとずっと好きなんだ…すまない…」

温かな体。
それを抱きしめて、肩口をしとどに涙で濡らす。





「…んぁっ…?」
耳元で、何かが弾けるような音がした。



「たたたたた炭治郎!?…えっちょっと待ってここ何処!?何してるの炭治郎!?炭治郎の音だよね!?えっ何何何なのこれぇぇぇぇぇ!?」

慌てたように辺りを伺う気配。
…いつもと同じ、甘い甘い香り。

「…善逸…」
泣き笑いの顔で抱きしめる。

「…ありがとう。好きだ…」
「なに!?これ一体どういうことなの!?どういうことなのこれぇぇぇ!?」

きょろきょろと見回しているが、辺りにいるのは俺と禰豆子だけ。
観念したように、善逸の体から力が抜ける。

「…ちょ、…ちょっと離れてくれる…?何なのこの状況…?」
「…離さない。もう逃がしたくないんだ…。このまま、俺の話を聞いてくれないか」
「…は、なし…?」
怯えたような匂いがする。
「すまなかった。本当にごめん。…俺はずっと善逸のことが好きで…大好きで…。それで女の子に嫉妬して、あんな酷いことを言ってしまった」
「…は…?」
「好きなんだ。善逸のことが。最初にあったときから、ずっと…」
「…最初に会った時って…、それ最終選別」
「すまないその時のことは覚えてなかった。鼓屋敷で会ったときの話だ」
「いやそれお前の記憶力の問題じゃない?俺はずっと覚えてたのに」
「本当にすまない。…好きだ、善逸」
「…何言ってるのお前…」
「好きだ。俺はずっと、善逸のことを好きなんだ。…こうして…、抱き合いたい、睦み合いたいという意味で」
「…俺のこと…、苛々する…って…」
「善逸が語る女の子達に嫉妬していた。こんなに好きなのに、相手にされていないことが辛かったから。…いや、言い訳だな。…本当にすまなかった」
「…とりあえず…、離して…」
「嫌だ。…善逸の匂いと熱を…ずっとこうして感じていたい…」
「…ど…、どうして…」
「好きだから。…俺がずっと善逸のことを、愛しているから」
「…本当に…?」
「あぁ…。ずっとずっと…善逸のことが好きだ」

抱きしめていた体からふわっと力が抜ける。




「…良かったぁ…」
泣きながらその場にへたり込む。

「俺、炭治郎に嫌われたと思ってさぁ。もう傍にいられないと思ってさぁ」
大粒の涙が頬を伝う。
「良かったぁ…。安心したら力が抜けたよ俺ぇ…」
ぐすんぐすんと鼻を鳴らしている。
その額に口づける。

「いや、安心するのはもう少し考えてからにしてくれ」
「は?…あげて落とすの?…お前そんな酷いことするの?」
月の雫を湛えた琥珀の瞳が俺を睨む。

「いや…、どうやらあまり伝わっていないような気がして。…好きだ、善逸。愛している」
今度は頬に口づける。
「…ん…?」
「愛してる。…善逸と口づけたり、睦み合いたいというそういう意味で。…だから、それが嫌なら俺を蹴り倒してでも逃げてくれ」
「あ…?」
「好きだ。善逸。…俺のことを嫌いになってしまったのなら、逃げて欲しい…」

「え?だって、俺あんなに逃げて、炭治郎の音が聞こえないようにずっと避けてたんだぜ。なのにこんなふうにお前が追いかけて来るんなら意味ないんじゃねぇの?」
「…覚えてるのか?」
「覚えてるのかってどういう意味だよ?…お前が俺のこと苛々するっていったのは覚えてるぞ」
「…それは本当にすまない。…この数ヶ月、ずっと善逸は俺のことを避けていただろう?」
「…数ヶ月…?は?あれからだって…、数日…、じゃねぇの…?」
「大体5ヶ月だ。…会えなくて、寂しかった…」
ぎゅ、と抱きしめて匂いを吸い込む。
「え?え?なんでそんなことになってるんだ…?」
「…善逸が寝ていたから」
「いやいくら俺でも数ヶ月は寝れんよ」
「あぁ…。心臓が潰れるかと思った…。頼むから、もう俺から逃げないでくれ…」
「…さっきはお前、逃げろって言ったじゃん…。どっちなんだよ」

「俺は善逸のことを愛しているから、ずっと傍にいたいし触れ合いたい。それ以上のことを…したいと思っている。…だから善逸が嫌なら逃げて欲しい。…でも好きだから傍にいたい。…逃げて欲しくない」
「…なんで」
「好きだから。愛しているから」

善逸の体が硬直する。

「待ってくれ!俺が知っている恋の音はそんな音じゃない!」
善逸が俺の体を押し戻す。
「もっと軽やかで、鈴の音みたいな音なんだ。…こんな、地響きみたいな音じゃない」

いやいやと頭を振る。
そのたびに、月の光の欠片のような金色が視界に舞う。

…そこからか。
…まさかそこからなのか。


そういえば善逸は俺と禰豆子が恋人同士だと誤解してしたとき、恋人同士の関係を「あははのうふふ」と弾んだように言っていた。

確かにそれも恋人同士のありようではあるかもしれないが、断じてそれだけではない。
そんな「あははのうふふ」だけで完結するようなものではないと、既に俺は身に沁みて知っているのだ。

「…すまないが、俺が善逸に恋していることに間違いはない。善逸の耳にどう響いているのかはわからないが。…まごうことなく、今俺からは恋の音がしているはずだ」
「だって…、恋の音って言うのはさ…」
「…好きだから嫉妬をするし、相手の全てが欲しいと願ってしまう。…今だってずっと、俺は善逸のことを愛しているし、…このまま口づけたいと願っている」
戸惑ったような顔が愛くるしい。
その顔に笑いかける。
「好きだ。善逸」


そう言えば、と思い出す。
前に善逸が『恋』していた時の話をしていた。
それは鬼殺隊に入る前どころか、育手の『じいちゃん』に拾われる前。
それは一体いくつの時のことなのだろう。
『じいちゃん』の話を聞いたことはあるが、そこに至るまでの話を聞いたのはほんの片鱗だけだ。
『じいちゃん』に引き取られ、厳しい修行をこなし、そしてあの最終選別で俺達は同じ山に登った。

つまり…善逸が『恋』に振り回され騙されていた時と言うのは、随分昔の話になる。
付き合ってきた彼女の数は7人。
そう言っていた。
ならば。…その最初の1人に恋したときには、年齢1桁だった可能性もある。

そのくらいでしかない年齢の子を誑かし、貢がせ、他の男と駆け落ちをする…。

それはかなり…年上の女性なのではないだろうか。
善逸と同じ年頃の女の子がやるにはあまりにも悪辣過ぎる。
そういえばそもそもこの喧嘩の発端になったときの善逸は、「年上の女性が好き」だと明言していた。
つまり、善逸を騙してきた女達は皆、善逸よりもかなり年上だった可能性が高い。

…その年齢の子どもが相手なら、そりゃ騙すために「好きだから結婚して」と口説き堕とし言いくるめながらも、手を繋ぐことさえしないということがあるのかもしれない。

…もちろん騙す方が悪いのだが。




我が身を顧みる。
年下。更に男。
善逸に惚れられる要素がどうにも薄い。

だがその程度のものなら、努力次第でどうにでもなる。
だって抱きしめているこの体からずっとたゆたっている匂いは、拒絶の匂いではないのだから。

こうしている今も、『吝かではない』といった匂いが香っている。
俺に対する『好意の匂い』は消えていない。

ならば俺は引かない。
とりあえず押して押して押して。
それから押し倒す。



「…本当に、…好きなの…?俺のこと…」
「あぁ。ずっと愛している」


善逸がこくりと喉を鳴らす。
色んな逡巡が浮かんでは消える。そんな顔をしている。

「…待て…、だから待てって…」
なにやら混乱しているらしい善逸の手を引きながら山を下りる。




藤屋敷へと戻る道すがら、ぽつりぽつりと語る。
今まで何があったのか。
どう思っていたのか。

ゆっくりと、俺達は話を交わした。
その間俺が握りしめ続けていた手を、善逸が振り払うことは一度も無かった。

禰豆子を背負い藤屋敷に辿り着いたのは、もう明け方の方が近いという時刻だった。
そんな時刻でも屋敷の人達は嫌がるそぶりすらなく俺達をもてなしてくれた。

少し冷めた湯を借り、握り飯とお茶だけもらい、離れへと案内される。
「…夜分遅くにすいませんでした」
「いいえ。…鬼狩り様に使って貰えて、光栄です」
優しく笑う老女の顔が、俺の心に染み入ってくるかのようだった。


延べられた布団に膝を抱えて座り、善逸が俺の顔を見つめる。
「…ん…。炭治郎…。落ち着いた音になってる…」
ほっとしたように笑む。

「炭治郎からはずっと…。何かを我慢しているような…押し留めているような、抑え込んでいるような…、そんな音がしていた」
乏しい灯のもと、ぽつぽつと声を聞かせてくれる。
ずっとずっと聞きたいと願っていた、ちょっと掠れた甘い声。

「何か言いたいことを抑えている…言えないことに苛々しているのは音で分かってた」
傷ついたように顔が歪む。

「俺を見るたびにそんな音させてるから、こうして優しくしてくれてるけど、本当は俺のこと友達だと思っていないんだろうな、とは思ってた」
「…そんなことは…」
「他の奴らといるときは、穏やかな優しい音なのに。…俺が近寄ると、ぴんと張られた糸のような、それを弾くような、そんな音がしてたんだ」
ぎゅ、と手のひらを握り込む。
「お、俺はさぁ。ずっと炭治郎や伊之助とは仲良くしたいと思っててさぁ。…初めてなんだよ。友達とか言える奴。…なのにさぁ、お前の音、俺がいるときだけどんどん怖くなって来ててさぁ」
琥珀の瞳に涙が滲む。


「…それであんなこと言うからさぁ…。あぁ、炭治郎はもう、俺とは友達ごっこも無理なんだなって…」
浮かぶ涙を指先ですくう。
「…それはまごうことなく恋の音だ。…善逸を怖がらせてしまったのなら申し訳ない。…だが、俺は本当に心底善逸に惚れている。それは信じて欲しい。…その上で、だが」
俯いている善逸の顔を下から見上げるようにする。

「俺は善逸ほど耳が良くないから、善逸がどんな音を聞いているのかは分からない。…考えたんだが、恐らく善逸が知っている鈴のような恋の音と言うのは、互いに互いの想いを通じ合わせた直後とか、そんな時期なのではないかと思うんだ」
すくった涙を舌に乗せる。
しょっぱいのに何処か甘くて苦い。そんな味がした。
「恋の音、がどういう音なのか俺にはわからない。だけど今俺の体から響いているだろう音は、まごうことなく恋の音だ。それだけは分かって欲しい」
善逸の頬を両手でくるむ。

「…恋をすると、俺は相手のすべてが欲しくなる。…他の誰も、善逸には触れてほしくはないんだ。…俺は鼻がきくから、善逸の匂いを嗅ぐだけで幸せになる。…そして、他の人の匂いが善逸についていると、それはやはり不満に感じてしまうこともある。…善逸が触れてきたり、…今のように寝間着を着崩していたりすると…。…欲情してしまう。…恐らくそうした時の音は、善逸にとって怖い音なのだろうとそう思う」

「…なっ…、おまっ…!?よ…、欲情って…、えっ…!?」
ぽん、と耳まで朱くなる姿を見て顔が崩れる。
そんな俺を見て、慌てたように善逸が寝間着の前を合わせていく。
…相変わらず詰めが甘い。
裾から覗く白い足はそのまま、隠すことを忘れているようだ。

「可愛い、愛おしい、と思うと同時に…。口づけたい、押し倒して、服を脱がせて、抱き合って睦み合いたいと、そう願ってしまうんだ」
「…何なんだよ!?…俺だぞ?…一緒に風呂入ったりしただろうが!…男だぞ俺は!?」
「知っている。その上で言っている。…正直今考えると、以前からずっと、無防備に風呂に入っている善逸のことを俺はよく見ていたと思う。…風呂の話をされただけで、色々と思い出すものがあるんだ」
この屋敷の風呂は狭かったから、別々に入った。
だから俺はしばらく善逸の裸を見てはいない。
…それでもこうして話題にするだけで、その体の隅々までをも思い出せてしまうのだ。

顔を赤らめる。
善逸の体。白い肌。…綺麗に筋肉の付いた体。しなやかな足。
それらをまざまざと思い出してしまった。
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