鬼滅の刃

□ピアノと善逸
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「嫌だからね」
ふいっとそっぽを向く。

「俺、行かないから。明日は俺、オフでしょうが」
手元の冊子のみに視線を送る。
無料配布で置かれていた日帰りレジャー特集。
俺はずっと明日のオフを楽しみにしていたんだ。

「1ヶ月ぶりのオフに、仕事なんてするわけないでしょ。俺よ?仕事なんか大嫌いだよ」
宇髄さんの方は見ない。

「まぁそんなことは言わずに。綺麗な服を着て、格好良い人気俳優達と一緒に、美味いもの食べさせてやるから」

「だからそれは俺の仕事でしょうが!!大体俺が野郎とご飯食べてどうするのよ!?せめてそこは可愛い女の子連れてきなさいよ!!」
ばんっと机を叩く。

「明日は俺、温泉行って、温泉浸かって、足湯も浸かって、また温泉入って、名物のタラの芽天麩羅を腹一杯食べるって決めてるの!行かないからね俺!」
「そんな地味旅行なんざ、敬老会の連中にでも任せておけ。それより明日はお前、良い服着ておけよ。9時には迎えに来るからな。…逃げたりしたら承知しねぇぞ。…向こう1年、オフなんざないと思え」
「横暴!パワハラ!そもそも最初にちょっと臨時に弾いてくれたら良いとか言ってたの宇髄さんじゃん!なんでこんなことになっているのさ!?」
「桑島さんにも、了承を貰ったからだな」
にやりと笑う。
くそう。
男前滅びろ。
歯ぎしりで返事をする。

「明日はまず相手方と顔合わせして、軽くピアノを弾いて歌って貰う。それから相手方と食事をして、」
「そしたらオフ?…昼からでも温泉行けそうだな」
「最後まで聞け。…そのまま夜まで相手方と一緒だ」
「なんでさ!?野郎と一日中顔をつきあわせてるなんて拷問か!鬼!!!鬼上司!!!」
「…それだけ鬼鬼と連呼できるのなら大丈夫そうだな。…いいか。…明日だけは絶対に逃げるんじゃねぇぞ」

威圧する『音』で宇髄さんが俺を牽制する。



…この人は時々少し怖い。
優しい人なのも優秀な人なのも知っているけれど、なんだか色々見透かされているような気がするのだ。


昔からじいちゃんとは懇意にしているらしく、聞こえすぎる耳のせいで進路が閉ざされていた俺にこの道を示してくれた。
小学校も中学校も、在籍はしていたけれども周りの音が怖くて馴染めなかった。

高校への進学も打診されたし、成績的には問題なかったらしいけど、なんとなく疲れてしまう未来しか見えなかったので辞退した。

学歴もなく、コミュニケーション能力もなく、聞こえすぎる耳のせいで余計なストレスを受ける地毛が金髪の男。

…駄目だわ。自分で言ってるだけで詰んでる。
宇髄さんが拾ってくれなかったら、何をしていたのか自分でも想像が付かない。
正直まったく理解できないうちに、何故だかこんなことになってしまっているとも言えるのだが。

少なくとも自分の腕で稼ぎ、生きていくことが出来るようにはしてくれた。
あまり人と関わらなくても、話をしなくても、最低限の関わりのみで生きていけるように。
煩わしいことから、逃避できるように。

…じいちゃんの心労を、削減できるように。
…じいちゃんの手を、煩わせないでも済むように。

だから俺はこの人には逆らえない。

いや、文句は言うよ。
だって鬼上司なのは本当だし、オフは少ないし人使いも荒い。

最初はピアノを弾いてくれればそれだけで良いって言っていたのに、次から次へと三味線だの琴だのまで持ち出されたのには辟易した。

俺がそれを弾いたり、音に合わせて歌ったりする。
宇髄さんはその様子を録音したり録画したりして、それを売ってくれる。
顔を出せとか言う人もいたようだけど、宇髄さんがどうにかしてくれたらしく、録画されても手だけとか遠景だけとか、顔が映りそうな所には薄い布を掛けたように処理をしてくれる。

なんせ俺、生まれつきの金髪なので。
ちょっとでも目立ちそうなことはしたくないのだ。
普通に町を歩いてるときに、知らない人に話しかけられるかもしれないなんて嫌だもの。

撮影も録画も宇髄さんの他には綺麗な女性3人のみで行ってくれるから、安心して歌を歌える。
そう思ってたら、綺麗な女性3人の全員が嫁だとか巫山戯たことを言われて切れた。

そりゃ切れるだろ。
巫山戯るな男前だからって良い気になるなよ滅べって呪いもした。
お嫁さん達は綺麗だしスタイル抜群だし性格も良いし仲良しだし腕も良い。
それを聞いてからしばらく宇髄さんとは口を聞かなかったし、ため息だってたくさんついた。
男前だというそれだけで、100ぺんくらい山に埋めても許されるとは思うんだよね俺は。



宇髄さんが置いていった団子にむしゃりとかじりつく。

…人に会うのは好きじゃない。
…知らない人の音は怖い。


平気なのは宇髄さんとお嫁さん達とじいちゃんと…、あとはせいぜい兄貴くらい。
まぁ兄貴からはたまに俺のことを面倒くさいだの疎ましいだの思っている音がするから苦手ではあるけれども。


はぁ、とため息をつく。
今まではこんなことがなかったから油断していた。
音楽なんてやってはいるけど、俺は演奏会もコンサートも何もしない。
とにかく人前には出ない。
ただ歌って演奏してその音源を売るだけ。
未成年のうちは保護が必要だというのが宇髄さんの言葉だけど、それ以上にきっと俺のために采配してくれているのだとそう思う。
「お前は自尊心が低いから。もう少しお前自身の価値を理解しろ」なんて宇髄さんは言っていたけど、俺は自分自身に価値なんて見いだすことは出来ない。

外へ出るとき使用しているワイヤレスイヤホンを用意する。
…相手方と会うときにもこれをつけていたら流石に失礼だろうか。
俺はつけていても相手の声程度なら楽に拾えるし、髪の毛で隠すことは出来る。

…会ってから決めよう。
どんな奴かはわからないけど、宇髄さんが紹介してくる相手なら、そんなに悪い人ではないよね、きっと。


日帰りレジャーの冊子を放る。
…食べてみたかったな。名物だという、タラの芽の天麩羅。
特に好物だとかそういうこともないんだけど、今回はなんだか気になってしまったのだ。

こてんと横になる。
今夜はこのまま寝てしまおう。








雀の鳴き声で目を覚ます。
いつも同じ雀が同じような時間に囀っている。
ベランダの近くに巣でも作っているのだろう。
このマンションは宇髄さんが用意してくれた完全防音の部屋だけど、ベランダの窓は少し薄いから俺の耳には聞こえてくる。
日課になっている餌やりのため窓を開ける。
「…おいで、チュン太郎」
名前を呼ぶと俺の手のひらに飛び乗ってくる可愛いやつだ。
その手のひらに米粒をぱらぱらと落としてやる。
ちゅん!と鳴きながらそれを啄む姿に胸の中がほっこりする。

「ほら、手乗り雀だ」

誰に見せるわけでもないけど、少しだけ掲げてみせる。
全く逃げないし人に慣れている。

宇髄さんも知らない、俺の友達。
たまに不服そうな音を立てるから、米粒だけじゃなく小豆なんかも与えているけどまだ何か足りないらしい。

「…お前がしゃべれれば、何が食べたいのかわかるのになぁ」

そう言うと、手の上でチュン太郎が「ちゅんちゅん!」と甘えるように鳴いた。






…さて。
宇髄さんは「良い服を着ておけ」とそう言っていた。
残念ながら俺はあまり服を持っていない。
演奏する時だって、いつも同じような上下黒のシャツとズボンだけだ。
まぁそもそも私物をあまり持っていないのもあるんだけどね。

最低限の家具と家電はじいちゃんと兄貴が揃えてくれた。
一番大きな部屋の真ん中に、威圧感を放ちながら鎮座しているグランドピアノや積んである三味線と琴、作曲の時に使っている道具達は宇髄さんが揃えてくれた。

それらを除いたら、あとは細々した生活道具がいくつかあるだけ。
何故か昔から、俺はあまり物を持つのが得意じゃない。
本は図書館で借りれば間に合うし、自分のCDだのDVDだのを置いておくほど強気な心臓は持ち合わせてなどいない。
怖くて売れ行きも確認していないから、口座に振り込まれる金額だけでなんとなく見当をつけている程度だ。
それでもこんな部屋に住んでいられるのだから、いくらかは売れているのだろうと思う。
…知らんけど。

演奏用に使っている黒の上下を眺める。
たまに着物で歌うときもあるから着物もあるし着付けだって出来るけれど、今日会うのは男。
気合いを入れたって何の得にもならない。

仕事だったり演奏するとき用の服が半分。
残り半分が部屋着。

…今日は演奏する。でも、録画はしないらしい。

なら部屋着で良いんじゃないの。
だって会うのは野郎なんだし。

うんうんと頷く。

黄色の長袖Tシャツ。
黄色地の真ん中に「雷おこし」と黒の筆文字で書かれていて、周りに白抜きで雷おこしが描かれている。
なんだかしっくりくるから俺のお気に入りでもある。
それに黒のハーフパンツで良いか。
本当なら、今日の温泉で着ようと思っていた服だ。
もぞもぞとそれに着替えて身支度をする。
宇髄さんは時間に正確だから、それまでに支度をしておかないといけない。


9時丁度にチャイムが鳴る。
財布と携帯と、イヤホンとハンカチちり紙。それだけを持って部屋を出る。
俺の格好を見て「地味だな」と呟いていたけれども気にしない。

そもそも本来なら俺は今日オフだっつうの。
そこに仕事をねじ込んできたのはこの人なんだから。


ぷんくすと膨れてみせる。
次のオフにはもう、タラの芽の天麩羅はないかもしれない。
折角の季節限定メニューだったんだから、このくらい膨れてみたって良いだろう。




マンションの地下駐車場から車が滑り出す。
あまり音がしないし、外からの音もある程度遮断できている。
正直助かる。
普通の車だと俺、街中の音も聞き取ってしまって疲れてしまうのだ。
赤ん坊の泣き声なんかは気にならないし可愛いねぇって思うんだけど、それに対して「母親は黙らせろ」「町へ出てくるな」「公共の迷惑」とか言ってる奴らの声まで拾ってしまった日には一日中憂鬱になってしまう。
それで疲弊する俺を知っているから、宇髄さんもお嫁さんもじいちゃんも、俺の耳を気遣ってくれる。
まぁじいちゃんは車運転しないんだけどね。
うちで運転するのは兄貴だけ。

兄貴の車に乗るときはいつも後ろに乗るので、助手席の景色や音は知らない。
一番広くスペースを取ってある助手席はじいちゃんの専用席だ。
じいちゃんは片足がちょっと悪くて杖を使うから、後部座席は乗り降りしにくい。
だから兄貴の車はじいちゃんの乗りやすさが最優先。
…俺は二の次だ。兄貴の車はいくらでも外からの音を拾ってしまうから少し苦手。

宇髄さんのこの車は、詳しくないけど、きっと高い車なんだろう。
イヤホンなしでも外の音が聞こえない。
しかも運転手が宇髄さん。

くそう。男前が格好良い車に乗って颯爽と街中を走らせるなんて、何処のCMだよ。
いやCMでも見たことないわ。
売り出してる俳優だのミュージシャンだのたくさん抱えているのに、そのどいつよりも一番の男前が社長とかあり得ないんですけど!
もう本当あり得ないんですけど!!
面白くないんだわ、俺。


それからしばらく黙っていると、静かに車が駐車場へと滑り込んでいく。
料亭だろうか。
車が止まり外へ出る。
静かな自然の音と、それから…、自然じゃない音。
ちょっと緊張する。
そっとイヤホンを耳に入れる。
俺にしか聞こえない程度の微かな音が流れていくのを確認して息をつく。

…変な音は聞こえないけど、念のための自己防御。
…自慢じゃないけど、俺は本当に弱いんだぜ。舐めるなよ。


歩き出す宇髄さんの背中を目印に後を追う。
そういえば今日会う人がどんな人なのかは聞いていなかった。
人気俳優だとは言われてたけど、あまり詳しくないから聞いても分からないかもしれない。

TVやラジオでも、俺の耳には演じている俳優の心音や感情音まで聞き取れてしまって煩わしくなるだけなんだ。
なので俺の部屋にはそうした機器は一切ない。

肩をすくめる。
初対面の相手に対して恥をさらしてしまうかもしれないが、宇髄さんが何も説明してくれてないのが原因なんだから俺のせいじゃないよね、きっと。




「…ここだ、善逸」
宇髄さんが扉を示す。
重厚そうな赤い扉。


…なんだろう。この音。
その扉の向こうから、とても綺麗な音が聞こえてくる。
宇髄さんが開けるのを待ちきれない。
前に出て扉を開ける。
耳にしていたイヤホンを外す。

何の隔てもなく聞こえてくる、泣きたくなるような優しい音。
聞いているだけで涙が零れ落ちそうだった。
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