鬼滅の刃

□とある鬼殺隊士を襲った一連の不幸とその顛末
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「…すごいな、善逸。本当に綺麗だ」
炭治郎の口から賞賛の言葉とため息が漏れる。
「すごく…、そう、色っぽいと思うぞ!婀娜っぽいというか、艶っぽいというか、胸の辺りがドオンッとなってくるような美しさだ!」
炭治郎が手放しで褒めたのに、善逸は泣きそうな顔で炭治郎を見上げている。

「…こんな…、こんなさぁ…!!きつく縛る必要あった!?すでに苦しいんですけど!?遊郭の時はこんなにきつくなかったじゃん!なんで今回はこんなにきついのさぁ!!俺泣いちゃうよ!?」
「そんなにきついのか?」
「もうっ!ほんっとうきついのこれ!襦袢も!着物も!帯も!全部ぎゅうぎゅうに縛られちゃってるからね!?もうこれ全部ほどいて俺が自分で着付け直した方がましだわ!この程度なら俺にだって着ること出来るんだからな!?こんなんで鬼に対峙しろとか、お前に人の心は残ってないのかぁぁ!」
びしぃっと宇髄を差しながらも、善逸は潤んだ瞳から涙を零すことはこらえている。
きっと須磨達渾身の化粧を崩したくないのだろうなと気が付いて、炭治郎の胸がほっこりと温まる。

「別に緩めても良いがな。戦いの最中に着崩れしても影響出るだろ。それに今度の鬼は女好きだぞ。そもそも脱がされる前提の遊郭と同じように着付けでもしたら、お前あっという間にひん剥かれて犯されるぞ。せめてもの時間稼ぎにきつく結んでいるんだろうが」
呆れたような瞳で宇髄が見下ろせば、善逸の喉からひぇっという小さな声がまろび出る。
「…これで良いです…」
かたかたと震える善逸を見て、隣の先輩が再び喉を鳴らした。

「ほら、お前達も着替えてこい。帯刀するのは構わねぇが、明らかに鬼殺隊だとわかる格好は駄目だ。…今回は着物を着ていけ。隣の部屋に用意してあるからよ」
くいっと顎で示しながら、宇髄が善逸の腰を抱く。
「良い女になったじゃねぇか。ほれ、練習だ。三味線は問題ないから唄いながら舞う練習してみせろ。…お前が拒否するのなら、今からでも胡蝶の継子を連れてくるぞ」
「やりますよ!やればいいんでしょうが!!」
「ははっ、その意気だ。なぁ、この任務が終わったら俺様の4人目の嫁にしてやろうか。そうしたらこいつらと同じ屋根の下だぞ?」
「いくら綺麗でも人妻でしょうが!あんたの嫁とか冗談にもならんわ!男前は滅べ!」
文句を言いながらも宇髄の手を払いのけない善逸の後ろ姿を見て、炭治郎は眉を顰めながら退室した。

「…竈門…。どうしよう俺…。もう駄目かもしれない…」
蒼白な顔の先輩隊士を見て、炭治郎は然もありなんと天井を見上げる。

金の髪。潤んだ琥珀の瞳。
頼りなげに見上げるあの視線。
怯えている様子が、あの格好と相俟って清純な色気を醸し出している。
あの瞳で見つめられ、縋り付かれでもしたら。
いくら長男でも危ないのではないだろうか。
そう考えた。

「…最初はさぁ…、あんな男で子どもで賑やかで、いくらなんでもないだろって思ってたんだよ…。なのにさぁ…。なんなんだよあの色気…。たゆんたゆんじゃねぇか…。しかも酌して唄って舞うとか、そんなの後ろから見てるのかよ…。なぁ頼むよ。俺が堕ちそうになってたら、横っ面張り飛ばしてでも止めてくれよな竈門…」
「…わかりました…」
はふっと息を吐く。
もうすでにこの先輩からは手遅れなんじゃないかという匂いがしている。
だがそれは口にはしない。
自覚させてしまった方が進行する病だとわかっているからだ。

そうして男2人でもそもそと着替えていると、壁越しに柔らかな高音が耳に届いた。
思わず耳を澄ます。
高く低く、すべての音程が綺麗に紡ぎ出されている。
時折掠れたような声がして、それがまた艶めかしく耳を穿つ。
部屋を隔てていてもなお薫る善逸の甘い匂いが、ふわりふわりと衣擦れに合わせたかのように揺れながら鼻に届く。

…あぁ、情欲をかき立てられるとはこういうことか。

すんっと鼻を鳴らす。
瞳を閉じれば、先刻瞼に焼き付けた善逸の甘やかな姿が脳裏をよぎった。



心底楽しんでいると言った顔をしている宇髄に背中を押され、渋々と言った体で善逸が歩き出す。
夕暮れ時の畦道を、とぼとぼと歩く善逸の背中で踊る華を見つめる。
あれは牡丹だろうか。
善逸にとても似合っている。
…牡丹の花言葉。
以前禰豆子から聞かされたそれを思い出す。
…確か、そうだ。『恥じらい』『乙女の舞』。そういった意味があった。本当に善逸のことを言っているようだ。

そうしてしみじみと視線を這わせていると、くるりと善逸が振り返った。
「重いだろ。俺だけ何も持ってないし、何か持つよ」
ん、と差し出された手を見つめる。
確かに荷は重い。
用意された弁当。酒瓶。敷布。三味線。3人分の日輪刀。
確かにある程度の重さはあるが、鍛えている隊士が息をあげるようなものではない。
隣の先輩が上擦ったような声を出す。
「いやいや!女の子に持たせるようなことは出来ないって!」
「何言ってるのよ。男だって知ってるでしょうが」
「いや、善逸。村の人達が見ている。善逸はあくまでも可憐な乙女として振る舞ってくれ。これは俺達が全部持つから」
「あぁそう?ごめんなさいね」
「善逸はこれから一番大変な任務をこなすんだ。俺達も控えているから、頑張ってくれ」
「嫌なこと思い出させるなよぉぉ!!…女の人達、全員無事だと良いけどなぁ…」
ぼそりと呟くその横顔からは、いつものように任務から逃げ出しているときのような匂いは窺えない。
力強く頷くことでそれに応える。
隣の隊士からは、ふわりと強い恋の匂いが揺蕩っていた。



「…こんばんは…」
囁くように挨拶をして、社の中に体を滑らせていく。
神社の中にある社はがらんどうとしていて、炭治郎達が身を隠すような場所はない。
そこで神社から衝立を借り受け、扉の脇に設置した。
もとより従者として付き添っているだけの者だから、存在を感じてもたいして興味を持たないだろう。
この鬼は若い娘しか襲わないのだ。

粛々と準備を始める。
厚みのある華やかな布を敷き、その上に酒瓶と中身を湛えた盃を並べ、持参してきた弁当を並べる。
明るいうちに行灯を配し、鬼の姿を捕らえやすくする。
布の下には善逸の手の届くところに日輪刀を忍ばせている。

三味線を横へと置き、日が沈みきるのを待つ。
頃合いを見て、善逸がべべんと三味線を鳴らし始めた。

囁くような声を乗せ、善逸が綺麗な正座の姿勢で唄を紡ぐ。
切ないような、艶を含んだ声が風と共に流れていく。

それが現れたのは僅かの後だった。
誘われるかのようにぬるりと姿を見せるそれを見て、隣の隊士がひゅっと息を飲む。
伝承通りの、八つの尾を持つ異形の蛇。
人の身丈の3倍ほどはあるだろうか。巻き付かれでもしたらひとたまりも無い。
それを見つめて怯えたような匂いをさせながらも、善逸は唄と三味線を止めない。

くつくつと笑うような音を立て、蛇が杯に湛えられていた酒を飲み干す。
それを見て取り、善逸が酒瓶から杯へと酒を注ぐ。
蛇は舐めるような目線を這わし、善逸の体へと尾をひとつ差し向ける。
つるりと撫でるように背中を這われ、善逸がぴくりと体を震わせる。

…この匂い。神のような、鬼のような。
炭治郎は眉を顰める。

様子を見ているうちに、鬼が新たな杯を空にする。
大きな杯に湛えられていた酒は、杯三杯分で一升になる。
酒の中にはほんの僅かに藤の毒が混ぜ込まれている。
そのことを気付かせぬよう、酒精の香が強いものを吟味してある。
神ならば藤の毒など意味は無い。
だが、鬼であるのならば効くはずであった。

新たな酒を注ごうとする善逸の袂から、するりと尾がひとつ滑り込む。
そのまま胸元を蠢く尾の這う跡が、僅かな明かりにも浮かび上がる。
別の尾が裾を割り込み、善逸の足を撫でる。

微かに震えながら酒を注ぎきった善逸が、空いた手でそっと尾を払いのける。
「…お戯れを…」
羞じらいを浮かべた、そのまろい頬が赤く染まる。

炭治郎はすぐにでも飛び出していきたかったが、姿を消した娘達のことが頭をよぎる。
ここで自分が邪魔をすれば、善逸の苦労まで台無しにしてしまう。
ぎりりと奥歯を噛みしめそれに耐えた。

そこで気付いた。
…弁当の中身が、減っている。
この蛇は、酒を飲んではいるが弁当には触れていない。
善逸もまた、触れるようなことはしていない。

ならば何故だ。
くん、と鼻を蠢かす。

もしかしたら、近くに娘達がいるのかもしれない。
望みの糸は細くて頼りないものではあるけれども、それでも可能性がある以上辿らなくてはならない。
蛇の匂いと善逸の匂いに占められていた頭を切り替える。

善逸の頬を撫で、唇をなぞっていく尾のことを一旦頭から篩い落とし、ひたすらに娘達の匂いを探すことに心を傾ける。


「…主様はきっと、名のあるお方なのでしょう…?」
善逸が囁く、その柔らかなまろい声。
羞じらいと、怯えと、震えに満ちた声が響く。

「長らくこの地を守り、土地を、人を育んできた…。なのにどうして、娘達を拐かすようなことをなさるのです…?私のことも、どこぞへ連れて行かれるおつもりですか…?」
蛇の尾が、善逸の尻をつるりと撫でる。
そのままさわさわと弄るように蠢いていて、炭治郎の集中が途切れそうになる。
善逸はその尾を振り払わない。

とんとんと、別の尾が三味線を叩く。
それを見て取り、善逸が息を吐く。

「もしも、私が主様を満足させることが出来れば…。そうすれば、娘達の居場所を教えていただけますか…?」
問うように囁くと、蛇がぐつりと音を立てた。

それを聞き取った善逸が三味線を弾き、その音色に唄を乗せる。
その唄は、遊郭でもたびたび耳にしていた男女の情欲の唄。
姿だけはあくまでも清純な乙女のようでありながら、いっそ妖艶ともとれる唄声が流れていく。
善逸の尻を弄っていた尾が、さわりと胸元を撫でていく。

それを何かの合図だと聞き取ったのか、善逸が三味線を置き立ち上がる。
唄は紡がれたまま、袂から扇を取り出し広げていく。
華やかな着物を纏った姿で、ゆったりとした袖を揺らしながら善逸が舞を舞う。
少し掠れた甘い声。
情炎をたっぷりと乗せた艶のある唄。
手指の先までがゆうるりと、男を誘うかのように蠢いていく。

すでに隣にいる隊士からは憧憬と情欲がかき立てられる匂いしかしない。
目を見開き、その肢体の全てを焼き付けようと吸い寄せられている。

…堕ちたか…。
なるほど確かに、隣に堕ちている人がいれば、こちらは逆に冷静になれる。
善逸の舞を見ながら、唄に聞き惚れながら、それでも炭治郎は鼻を蠢かす。

弁当の中身が少しずつ減っていることに、恐らく善逸も気付いている。
踊りながら這わされる視線が、ちらりちらりと社の中を彷徨う。

きっと善逸は今、その耳で娘達の存在を探そうとしている。
生きているのか死んでいるのかもわからないが、それでも善逸は生きていると信じている。
蛇の中から聞き取った音だろうか。
ならば己もそれを信じ探し続けるのみ。

すんすんと嗅いでいるうちに、ふと風の匂いに気が付いた。
締め切られている社の中に、別の風が吹き込んできている。
そこから香る、娘の匂い。
善逸とは異なる、娘の匂い。

舞っている善逸の背中の帯を、蛇の尾がずるりと這う。
ひとつ。ふたつ。みっつ。
焦れたように善逸の帯びに絡みつくそれらの尾を、不可思議な面持ちで見つめる。

…何をしているのだろう。

帯締めを引き千切ろうとする尾の動きを見て気が付いた。
…脱がそうとしているのだ。
牡丹の帯が引き抜けず、お太鼓結びのようにはしゅるりと解けない。
それで苛立っている。

綺麗な牡丹を見つめる。
きつく縛られているという、善逸の悲鳴も。

今だけは宇髄さんに感謝する。
きっとこうなることを見込んで、脱がされないよう着付けていたのだ。
考えながらも意識を鼻に向け続ける。
あと少し。あと少しでこの匂いの源がわかりそうなものなのに。

「…帯締めを千切るのはおやめください…」
善逸が舞うような仕草で尾を払う。

「主様がご所望ならば、私が自分で解きますから。…以前の娘達はどちらです…?教えて頂けませんか…?」
お願い、というように両手を合わせ、瞳を濡らしている善逸が上目遣いで蛇の瞳を覗き込む。
羞じらうようにふわりと笑んで、「…教えてくださいまし…」と囁いた。

ぐつり、と煮えるような匂いが沸き立ち、蛇の尾が善逸の帯を軽く叩く。

「お待ちください…。先に、これを解かなければ…」
帯の隙間から、帯締めとは別の紐の先端を示す。

「ねぇ、主様…。どちらなのです…?私もいずれはそちらへ伺うことになるのでしょう?ねぇ…?」
婀娜っぽい笑みが、善逸の清純なまろい頬に浮かぶ。
ゆうるりとした仕草で、焦らすかのように紐を少しだけ解く。
その紐の先端を見せ付けるかのように、ちゅっと唇で柔く食む。
琥珀の瞳で見つめられた蛇が、尾の先端を善逸の体に巻き付ける。

そうして別の尾が1つ、社の奥、ご神体がしまわれているのであろう壁の辺りを彷徨う。

「…皆様、ご無事なの…?」
蛇の尾を掻い潜るようにして、善逸が紐を解き続けていく。
滑らかな音を立てて引き抜かれた紐を、善逸が柔く蛇の尾に巻き付ける。
はらりと崩れおちる牡丹が、絹の擦れる音を立てながら床の上へと滑り落ちていく。
「ねぇ…。主様…?どちらにいらっしゃるのです…?」
解けた帯締めを、善逸が蛇の体に巻いていく。
解いた帯を蛇の瞳の辺りに巻き付け、引き抜いた簪で固定し視界を奪う。
それでも蛇は抵抗せず、ぐつぐつとした音を鳴らしながら善逸の体に尾を巻き付けている。
その尾の1つが、神棚の辺りをゆるりと示し、とんとんと床を叩くような仕草をした。

蛇の視界を奪った善逸が炭治郎の方を振り向く。
振り返ったその目線はすでに清純な乙女のものではなく、鬼殺を生業とする剣士のそれだった。
その視線が炭治郎を見つめ、刹那の間に神棚のある板戸へと向けられたかと思うと、再び炭治郎の目線と絡み合う。
炭治郎は頷く。
匂いの源。
その場所からで間違いは無い。

炭治郎が走り出したその刹那。
目映い光と共に、雷の鳴る轟音が社の中を覆い尽くした。
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