結界師二次創作「兄さんと僕。」
□罪と罰〜六郎の場合〜
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−どうして。なぜ。こんなことに。
−痛い。苦しい。熱い。つらい。誰か。
−もう嫌だ。嫌だ。嫌だ。
頭の中で、何かが大音量で喚いている。
体中が痛い。どこが痛むのかも、もうわからないほどに。
声が聞こえる。おそらく自分の声なのだろう。
揺さぶられるたび、抑え込まれるたび、反射として発せられる声。
−痛い、嫌だ、どうして。
…思考はループしていて、それより先には進まない。
六郎が覚えているのは、いつも通りの、ささやかな日常。
いつもと同じに、弟の部屋を訪れ、携帯のチェックを依頼する。
どういったメールにはどう返信すればいいとか、添付ファイルだとかの開き方とか。
この弟がいなければ、自分だけでは対処できなかったに違いない、とは思う。
だけど、自分のほうが年上なのだから。
多少のことは、この弟には言ってもいいのだとも思う。
いつも通りに自分の携帯を見ながら、七郎が話しかけてきた。
「…返信するのはこれで全部だと思うけど…後から確認してみてね。
…あれ、明後日の仕事、受けちゃったの?…しかも、また、夜行…?
こないだみたいに…資料を持っていくだけ、とかなら…他の人間でも、足りるんじゃ…ないの…?
…俺はこの日、扇家での会合があるから家にいてねって、…あなたには…お願いしてたと、思うけど?」
「お前がいればいいだろ?俺は会合だとか用はない」
「…相変わらずだなあ。…じゃあ、こういうのはどう?
…大好きな兄さんがいないと俺が寂しいから…、この日は夜行には行かないで…ずっと…家にいてね?ってのは」
「お前は俺がいなくても平気だろ?必要もないだろうし。なんでもお前の好きに決めたらいいさ」
携帯チェックが終わったのならもう用はない。
そのまま部屋から出ていこうと、扉に手をかけた、と思った瞬間。
…体が飛ばされた、と感じた。…風が。自分を吹き飛ばした。
気づくと、自分の体は七郎のベッドの上に飛ばされている。
何を、と体を起こして文句を言おうと思ったら、それより先に七郎が、自分の上に覆いかぶさってきていた。
弟のほうが、自分より随分大きい。
…普段はあまり気にしていなかったが、こうして抑え込まれると、自分の体の小ささ、力のなさに舌打ちをしたくなる。
「…どうして、そう思うの…?俺にとって、あなたが必要ない、なんて…?」
押しのけようとしたが、普段はへらへらしている七郎が、見たこともない顔をしているから。
…ぞ、と背筋に寒気が走る。
何か、怒らせてしまったらしい。それはわかっても。
−理由がわからない−。
「…何を、してるんだよ…どけ」
「俺が、いつもいつもあなたの言うことを聞く、なんて…思わないで」
「…お前、何を怒ってるんだ。急に」
自分を押さえつける手が、より力を増して押さえつけてくる。
「どうして俺が…あなたなしでも平気だと、…あなたは思うのって…聞いてるんだけど。答えて」
「…お前がいちいち他人を気にする必要はないだろ…。当主なんだから。
なんでもお前の好きに決めたらいい。どうせ誰も反対しない。
…扇家の人間や使用人は、必要があればいくらでも使ったり切り捨てたりすればいい。今まで親父がしていたみたいに…。それが」
…お前の役目だろ、とは最後まで言い切ることはできなかった。
それより先に、頬に鋭い痛みがして…口の中に、血の味が広がった。
…平手で殴られたのだ、七郎に。…どうして。
「当主なら?…扇家の人間には好きなことをしてもいいって…?…それを、あなたが。…俺に言うの」
…殴られた痛みと。受けた衝撃と。…さっきまでちゃんと、自分の弟だったはずの生き物と。
「あなたは…命じられれば、なんでもするんだよね…。…一郎兄さんたちに…従っていたみたいに。親父に…扇家のためだと、命じられれば。…なんでも」
…当たり前だ。それが一体、どうしたというのか。
声を出そうと思ったが、叶わなかった。自分の手首を握る七郎の手が。どんどん力を増してくる。
なぜ。こいつはこんなに怒っているのだろう…?しかも、自分に対して…?
…いつもの軽口のつもりだった。特に深い意味はない。この弟には、いつも言っているような。
多少の皮肉を込めて。弟の困ったような顔を見て。それで結構気がすんでいた。だけど…。
「…わかってないと思うから、言うけど。
…あなたは、幼い。情緒の面で。全然発達していない。
…相手の気持ちを考えない。
…自分のことばかり考えて。
…だから、俺が何を考えているか、…何を考えてきたのか。
…あなたは、考えたことも…ないんでしょう」
いっそ虚ろなまなざしで、七郎が囁く。
そうかもしれない。だって実際、目の前にいる弟が何を考えているのか、自分には全然わからない。
だけど、どうして。そんなことを。
…この、当主になった弟が、気にする必要があるのか。
わからなくて。だから、何も答えられず、ただ弟の顔を見つめる。
すると、弟の顔が。少しずつ、泣きそうな顔になってくる。
その今にも泣きだしそうな顔が、そっと、自分に近づいてくる。
目の前が暗くなって。何も見えないくらいに暗くなって。
…頭の上で、自分の両手首が一つにまとめられていく感触だけがリアルに感じられた。
…口の中がぬるりとして、まるで何かになめられているような感触がした。
口の中に広がる、自分の血の味が。…より一層、濃くなっていく気が…する。
…入ってきたのは。七郎の舌だ。…そう思ったが、体が強張って身動きが取れない。
外気温が急激に下がっていく気配がした。
自分の体も凍りついて、自分の意思では動かせない。
頭も凍りついていて、何も考えることができない。
ぎり、とした痛みで正気に返る。
…首筋に…噛みつかれたのだ、とわかった。
きっと血が出ている。だって、怖い顔で自分を見ている七郎の唇に、血がついている。
…それはきっと、自分の首筋から流れ出ている、血。
…もしかして…このまま…七郎は、自分を。
…殺してしまうつもりだろうか。
いつも思っていた。
自分が今生きているのは、あのとき兄たちに見捨てられ…、分離され…。…そこを、敵だったはずの正守に…助けられたからだ。
…兄たちを殺した弟が、自分だけを見逃すとは思わなかった。
…いつかは弟に殺される日が来るかもしれない、と思ったこともあった。
だが…最近の弟を見ていて、そんな考えを持っていたことも…忘れていた。
…今、なのか。
その考えは、ひどく自分自身を苛んだ。
仲良くやっている、とは言えないまでも。
…そんなに悪い関係でもない、とは思っていた。
…だったら、嬲ることなく。さっさと自分を殺してしまえばいいのに。
軽く首を振る。七郎がほんの少しだけ、自分の上から体を起こす。
「…お前が俺を殺したいんなら、好きにしたらいい。…どうせ俺はお前には勝てないんだし。殺したいんならさっさと殺せ」
七郎の目が、すっと細められる。
暗い目の色と、唇ににじむ血の赤と。
そんな場合でもないけれど、整った顔立ちは得なんだな、と思う。
「…俺に、殺されたいの…?」
「お前が…当主のお前が…俺を殺すって決めたんなら…今更抵抗する気はない。
…殺せよ。…お前の好きにしたらいいさ」
「ふうん…?…抵抗、しないんだ…?…俺が、あなたに…何を、しても…?絶対に…抵抗、しない…?」
…冷たい殺気が、自分の身を切りつけた、ような気がした。
それと同時に、手首の拘束が緩む。
だからといって…見逃す気は…なさそうだった。
…ああ、これは確実に殺されるな、と…。そう、思った。
ぎゅ、と固く目をつぶる。
剣呑で殺気めいた気配が、部屋の中に満ち満ちている。
…せっかく、居場所を見つけた、と思っていたけれど。…あっけなかったな。…ここで、終わりか。
覚悟を決めた、その瞬間。
ゆっくりと、自分の着ている着物の襟に…手がかけられる。
その手は、首筋から、胸元へと滑り降り…。…徐々に下方へとおろされていく。
そしてそのまま…ゆっくり、着物をなぞりながら…体の上を滑らせながら…おりていく。
その指も、帯のところでとまり。
今度は、帯に沿って、ゆっくりと袖口のほうへと…動かされる。
そこから…指が、差し込まれる。
めくりあげられたその部分から、ゆっくり動く指が侵入し、…自分の体を撫で始めている。
ざらりとした指の感触と。くすぐったい感触と。
身をよじらせそうになったが…我慢する。
…抵抗はしない、と…。自分で口にしたのだから。
袖口から、するりと指が抜け出す。
抜け出した指はそのまま帯の上を滑っていき…後方で着物を縛っている…帯の結び目に、手がかけられる。
…そのまま、ゆっくりと帯が引かれていく感触がする。
…どうして…。そろりと、閉じていた瞼を開く。
ゆっくりとした仕草で、解かれた帯が引き抜かれるのが見えた。
はらり、と…。着ている着物がはだける音がした。
そのまま着物を剥ぎ取られ…外気に肌がさらされる。
…着物に…血がつくから…?
だけど、今自分が着ているような着物一枚…くらい…。
…着たままでも…いいと思うのだ。
…。