結界師二次創作「兄さんと僕。その7」
□さらさら
1ページ/2ページ
甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
部屋の中を見渡すまでもなく、匂いのもとはわかっている。
「姉さん、お香変えた?」
ふにゃんと笑み崩れる。
六郎姉さんがいい匂い。可愛い。本当食べちゃいたい。
傍らで本を読んでいる六郎姉さんがくすんと鼻を鳴らす。
「あぁ、匂いがするか。新しいのをいただいたから試してみたんだ」
くすんくすんと自分で自分の着物に焚き染められた匂いを嗅いでいる姿は大変愛くるしいけれど、今何か聞き逃せない台詞を聞いた気がする。
「…いただいた…誰に…?」
俺の姉さんに新しいお香を贈る。
つまりそれは、俺に対する宣戦布告。
姉さんときたら本当にかたくなで、俺の贈り物でさえなかなか使ってはくれないほどだというのに。
誰かに何かを贈られたからといって、簡単に使ってくれる姉さんではないというのに。
きっと無理矢理、それを使うように強要されたに違いない。
それが男なら許さない。塵にしてやる。
「ぬらさんだ。頂き物らしいが、自分で使うには匂いが若々しいからと俺にくださった」
「…あぁ…」
ぬらさんが相手では何も出来ない。
きっと本当に親切心でくださったものなのだろう。
「…爽やかに甘いね。姉さんにぴったりのいい香り」
匂いにつられたふりをしながら、姉さんの着物に顔を近づける。
姉さんの小さくてささやかなお胸ときたら、着物に埋もれてしまうくらい実につつましやかだ。
だからお胸なんてかけらも意識してないふりを装いながら、胸元にちょっぴり顔を近づける。
あと少しで触れてしまえそうな距離。
だけど本当に顔を埋めてしまうわけにはいかない。
その絶対領域をしばし味わう。
「…桃のお香かな?そういえば節句も近いし」
あまり怪しまれない程度に堪能してから顔を離す。
姉さんが警戒心を覚えたりしない距離。
それを見極めていくのも実に楽しい。
「気に入ったのならお前も使ったらどうだ。まだあるぞ」
「姉さんとお揃いかぁ。それもいいね」
にこにこと笑う。
近頃の姉さんの、俺に対するこの警戒心のなさときたらどうだ。
無理矢理夜行から連れ戻したあの日の怯えが嘘のよう。
家の中でも寛いでいて、たまに仔猫のように居心地のいい場所を見つけて昼寝をしていたりすることもある。
この部屋でだって、ともすればいともたやすく転がってみせる。
俺のことなどかけらも警戒していないかのように。
それだけ信頼されていると思うと、今度はかえってよこしまなことが出来ない。
せっかく穏やかに日々を過ごしてくれているというのに、またあの恐怖に彩られた紅い瞳で見つめられたりしたら俺の心が折れてしまう。
だからなんとも思っていないふりで。
姉さんの小さなお胸なんてちっとも意識していないふりで。
仲のいい姉弟。
姉さんにそう思って貰える距離を保ち続ける。
しばらく部屋の中に、姉さんが本のページをめくる音だけが響く。
俺の方は手元の資料を見るふりをしているだけで、ちらちらとずっと姉さんの横顔を見つめている。
小さな躰。薄いお胸の小さなおっぱい。まさにちっぱいうすうす。
俺の両手でくるんだら、きっとすっぽり納まっていい感じになってしまうに違いない。
花開く前の、蕾のままの清純な躰。
男として育てられていた頃のまま、男物の着物を身に付ける。
だけどそれでも、紅い着物を好んで着ているところが可愛らしい。
たまに女性物の着物を着てくれることもある。
おとなしい古典柄の小紋や紬。
帯も地味な半幅が多い。
…もう少し、華やかな着物を身に付けてくれたらと切に思う。
「…姉さん喉乾かない?お茶にしようよ」
「あぁ…。…そうだ。それなら茶菓子がある」
なにかを思い出したように、姉さんがふっと天井を見つめる。
「…茶菓子…?」
「待ってろ。取ってくる」
ふわりと甘い香りを漂わせながら、姉さんが席をたつ。
…ものすごく嫌な予感がする。
姉さんはあまり買い物をしない。
出入りの業者や使用人への言付けで足りるからだ。
時には俺が使いを引き受けることもある。
…業者にも使用人にも、姉さんに関することなら必ず俺に報告するようにと言ってある。
適当に見繕え、なんて姉さんに言われて、本当に適当に見繕われたりしたらたまらない。
だからそういうときは俺が見立てることにしているのだ。
俺は姉さんにとってたった一人の弟なのだから当たり前だ。
むしろ喜んでそうする。俺の権利だと言ってもいい。
なんならもっと気軽に言いつけてくれても構わないのだ。
姉さんに関することなら俺はどんな苦労だっていとわないのだから。
…だけど、姉さんから茶菓子を頼まれたなんて報告は聞いていない。
そんな報告を受けていたら、間違いなく俺が自分で買いに出る。
―…貰い物だ。
―…何処かの不埒なやつが、俺の姉さんに菓子を渡した…。
一番に思いつくのはこうした不埒の常連、良守。
菓子を作って配るのを趣味にしているあのこだぬき。
また何かを作って、姉さんに渡したに違いない。
それともあの甘いものが大好きな正守さんか。
やたらと姉さんを気にかけるから、あの人にだって気を許したり出来ない。
慌てて俺も自室へと駆け戻る。
行きしなに使用人へ、姉さんと二人分、甘いほうじ茶ラテを用意するよう命じる。
.