結界師二次創作「兄さんと僕。その7」

□摩耗
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 父の言葉は絶対だった。

 母の温もりは知らない。

 そんな存在の女性が何処かにいるのだろうとは気がついていたけれども、あまり気にかけたことさえなかった。



 「…扇家の嫡男として、誇りをもて」

 「はい」

 「分家や使用人に侮られるような無様はさらすな」

 「はい」

 「勉学や修行に励むように」

 「はい」



 …思い出しても、父との会話はいつだってそんなようなものだった。

 父が進むべき道を照らしてくれる。

 だから俺は、その道を歩いていたらそれでいいのだと信じていた。


 
 偉大な風神。

 人の身で、あの雷神と並び立つ神にも等しき存在。

 誇らしく気高い姿にただただ心を奪われた。

 父の風にのせられた日には、興奮して眠ることさえ出来なかった。

 強く猛々しく、そして繊細で力強い風だった。

 その辺りの小山程度なら、その指先の力を奮うだけで切り崩してみせるほどに。

 心が沸き立つ。

 奇蹟を目の当たりにすることを許された我が身の誇らしさ。

 俺はこの父の血を引いているのだ。

 扇家の長男として生まれいづる栄誉を賜ったのだ。



 父は、幼い自分にもなにくれとなく手をかけてくれた。

 扇家長男としてふさわしい所作。身のこなし。受け答え。

 力強く生きていくための武道、修身。

 知識をみがくこと。

 知性や品性を備えること。

 たしなみとしての茶道。華道。

 土地神を祀る神社に産まれたゆえの、奉納演舞、舞踊。

 およそ考えうる最高の教育を与えてくれた。

 父の期待。それが俺自身に向けられているのだと思うと誇らしさに胸が高鳴った。



 父のために。家のために。

 それは俺の中では同義語だった。

 父の期待に応えられる成績を。結果を。

 求めれば求めるだけそれらは現実となった。

 俺が獲得した成果を見て、父が頷く。

 その満足そうな父の微笑み。

 それだけでもう、俺はどんな努力だって苦にすることなどなかったのだ。



 ―…いずれは俺が、このまま父の後を継ぐ。

 ―…扇家当主後継者となる。

 ―…父の口から、次期当主に一郎を指名するという重々しくも名誉な台詞を聞かされる。

 それだけが、俺の唯一の悲願となっていった。



 そして。そんな日々の中で7つ年下の弟、二郎が産まれる。

 俺は知っている。

 この家の恐ろしい歴史を。

 親兄弟で殺しあう。

 実の親が子を処刑する。

 大量殺戮。

 そんな血塗られた歴史を裡に秘めたこの家。



 父も当然そのことを知っている。

 そして懸念してもいる。

 父の子ども同士が争い血を流す。

 そんな悲惨な光景を父にお見せするわけにはいかない。

 だから、次々と産まれる弟たちを俺は心の底から慈しんだ。

 父だって、扇家が抱える無惨な歴史に我が子の名を刻みたくなどないはずだ。

 それできっと、7歳差になるよう子をなしていく。

 
 年が近しい兄弟ほど、その確執が深くなることをよくご存知でいらっしゃるからだ。



 修行に明け暮れる。

 自分自身の力を磨くことに邁進する。

 裏会幹部。その地位だって、家の後ろ楯があったからという理由のみで手に入れたものではない。





 …その頃になると、ちりちりと胸を燻る何かが夜な夜な俺を苦しめるようになっていた。



 立派な青年。

 後継者として相応しい。

 いい後継に恵まれた。

 これでご当主様も安泰でしょう。



 …そんな声を耳にする機会が増えていった。



 どうして風神はあの長男を後継者として指名しないのだろう。

 確かによく出来た人物のようだが、あの風神の功績と比べると。
 

 やはり物足りないか。扇家当主は、人柄だけではないからなぁ。



 …それと同時に、そんな囁き声を耳にしてしまう機会も、また。



 これ以上の何をどうすれば。

 考えうるものはすべて片端から試していった。

 力を強大にするためのまじない。
 

 数多の術式。

 体に次々と呪術の紋様が刻まれていく。

 聖痕のような傷が浮かび上がる。

 体を抉られるような痛み。

 比喩ではなく、何度も繰り返し血を吐いた。

 気付けは体が欠損している。

 まぶたが抉られ、鼻が削られた。

 だけどそんなものはどうでも良かった。

 天葢を被ること程度で、いくらにでも覆い隠すことが出来る程度のものなのだから。



 そのようなことなど気にもならないほど、溢れる力が俺を喜ばせていった。

 みなぎる波動。

 磨きあげた術が、それらの力を思う存分奮わせてくれるのだ。



 意気揚々と父の前に歩み出る。

 かつて風神と讃えられた頃とは違う、僅かに衰えた父の姿。

 だが、その風格や威厳は微塵も損なわれることなどないお姿。


 
 父が俺に言葉をかける。

 裏会での活躍。

 家業における功績。

 それをねぎらってくださる、温かなその声。



 ―…だが。

 いつまで経っても、俺が待ち望んでいる言葉をかけてはいただけない。

 次期当主に一郎を指名する。
 

 凛と響くあの力強い声で、そう仰ってはいただけない…。



 気ばかりが焦る。

 慈しんでいた弟たち。

 彼らにも声をかけ、ともに力を磨こうと俺の元へと呼び寄せた。

 俺を慕ってくれている可愛い弟たちは、俺の誘いに喜んで応じてくれた。

 家に残っているのはまだ幼い六郎。

 そして産まれたばかりの七郎だけ。

 力を磨き続ける。

 そしてついに、裏会最高幹部へと推挙される。

 …扇家の次期当主が、裏会などで身をやつすわけにはいかない。

 だがここには、父と並び立つ唯一の存在、あの雷神が在籍している。

 そして、裏会随一の兵力をもつと評されている鬼神さえも。



 父に認めてもらうためには、悪くない地位だとそう思えた。

 今まで以上に力を奮う。

 恐怖を司る。

 そうすることで、次期当主の地位に近づけるのならばなんだってする覚悟は出来ている。





 そして唐突に世界が終わりを告げた。

 末の七郎。

 まだたった7つの幼子が、扇家当主後継者として父の口から指名されたのだ…。



 世界は色を失った。

 無機質で乾燥した居心地の悪いものへと変貌をとげた。



 唯一の希望。

 七郎は幼い。

 ゆえに振れ幅が大きい…。

 今は傑出しているかのように見えたとしても、成長の過程でともすれば。あるいは。



 下の弟たちは七郎に辛く当たりはじめた。

 勧めもしないが止めもしなかった。

 七郎は扇家の次期当主として、父に指名された身。

 だから、傷が残るような真似や命を危険にさらすような真似だけを厳に戒めた。

 …小突いたり突き倒したり程度のことなら、だから俺は何も言いはしなかった。



 七郎がすくすくと成長をとげる。

 なんらの術さえ施してはいないというのに、すでにその力は別次元のもの。



 …父は俺を当主後継者としてはくださらない。

 それをまざまざと見せつけられた。



 狂ったように力をかき集めはじめる。

 なければあるところから奪ってくればいい。

 神佑地。土地神。無駄に力を持て余し、無為に年月を重ねているような奴らからそれを取り上げて何が悪い。


 
 最近呼び寄せていた六郎。それが俺に対してさかしらに意見などを口挟む。

 その口も風で捩じりこんでやるとおとなしくなる。

 俺の野望を邪魔する奴は許さない。…たとえ兄弟であろうとも。



 狂っている。俺はもう狂っている。

 自覚はあった。

 このままではいけないという理性も働かないわけではなかった。

 だがこの疲弊しきった心がそれを押しつぶした。

 酔っていた。この破滅へと向かっていく自身の運命の爛れた甘さにひたすらに飲み込まれていたかった。

 狂おしく酔いつぶれたままでいたかったのだ。



 …新たな希望が産まれた。

 このまま俺が狂ってしまったら父はどうするのだろう。

 家の恥。神佑地を荒し土地神を殺したことへの罰。

 もしも父が俺のもとへいらっしゃるのなら。

 風神と讃えられた力を奮い、俺の命を灰燼へと帰してくださるというのなら。



 そのときは、ただ一言死ねと命じてくださるだけでもいい。

 同じ罪に身を染めた弟たちを道連れにして、家のために死んでもいいとさえ思っている。

 父がそうしてくださるのなら。

 最期の瞳にその姿を映し出させてくださるというのなら。



 海岸での戦い。

 傷を押し付け六郎を切り捨てる。

 我ら兄弟の中でも最弱。

 その術も、…その心も。

 俺に対して意見を言った。

 他の弟たちはそのような僭越な真似をしたことなどないというのに。

 …そしてこの弟は、神佑地狩りや土地神殺しには加担していない。



 …だから捨てた。理由は自分でもよくわからないままに。




 どうか私に断罪を。

 父の、貴方の、その神と讃えられたその術で。どうか私の息の根をとめていただきたいのです。

 私をこの世に産みだした貴方にこそ、私の命の始末をつけていただきたいと、そう切に願っているのです。

 私はもう充分に努力した。

 方向を間違えてしまうほどに、狂気という名の毒に侵されてしまうほどに。

 この私を。だからどうか安らかな死をもって救っていただきたいのです。

 貴方に。あなたの手でどうか。



 焦燥した心と待ちわびる想いが交差する。

 闇夜の寺堂。そこで父を待ちわびる。

 余所とはいえ、神社を血で穢すわけにはいかない。

 そのくらいには、まだかろうじて心に残るものがあるのだ。

 月影に人のかたちが浮かび上がる。

 圧倒的な風の力。

 心が割れる。

 ひび割れた心が一気に割れはじけ辺り一帯に砕け散っていく。


 
 七郎。よりによって次期当主後継者。

 涙すら出ない。

 父は私たちを処刑するために、執行人として七郎を差し向けた。

 …ご老体だからか。車椅子だからか。

 …それが私の人生に対する答えだとそうおっしゃるのか。



 ―…死ねと。ただ一言、そうお命じくださるだけでよかったのに。


 押し出そうとした声が干からびる。

 ぐしゃりと希望が最後の一片までをも根こそぎ残さないまま塵になっていく。

 割れて砕けた心が体の自由を根こそぎ奪い去る。



 ―…あぁ…。


 なにひとつ出来ることさえないままに、割れた心のその後を追うように。

 くしゃりとつぶれた体が四方へと砕け散っていく…。

 

 
 



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