結界師二次創作「兄さんと僕。その7」

□雪のように。
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 甘い林檎をしゃくりとかじる。

 途端、甘酸っぱい爽やかな味が口いっぱいに広がっていく。

 蜜の入ったその林檎。

 七郎が仕事先で買ってきたとそう言っていた。

 今朝収穫したばかりの露地ものというそれは、瑞々しくて歯触りがいい。

 たまにはこうした果物もいい。

 普段の手をかけた菓子もそれなりに楽しいが、季節ならではのこうした水菓子もなかなかいい…。



 しゃくりしゃくりと林檎をかじる。

 …そういえば、聖書の中でのこれは禁断の果実だったか。

 一番初めに作られた男と女が、この果実を食べることで楽園から追い出されてしまう…。

 そう考えてみれば神も身勝手なものだ。

 男と女を作っていながら、そうした行為や感情を禁じるなんて無粋な真似をするから。

 だったら最初から出来ない作りにしておけばよかったのに。

 …中途半端な事をするから…。だからあんな蛇なんかにつけこまれてしまう…。


 
 ふっと感慨にふけってしまう。

 この禁断の果実を買ってきたのは七郎だ。

 たいした意味もなく土産にしたのだろうと思いながらも、穿った見方をしてしまう。

 …本当は、禁断の果実のつもりで俺への土産にしたんじゃないのか…。

 自分だけは仕事だからとそう言って、このおやつの時間にここにはいない…。

 俺にだけ。…この果実を口にさせようと、そう…。



 軽く頭を振る。

 毒されすぎだ。たかだか土産の林檎ひとつにこんな。

 しゃくしゃくと林檎を頬張る。

 気がついたら一玉分を食べきっていた。
 

 甘酸っぱくて美味しかったからいけない。

 少しは腹を開けておかないと夕飯が食べられない。

 苦笑しながら立ち上がる。

 せめて神社の辺りまで、散歩でもしよう…。



 この時期はやはり風が冷たい。今日はどんよりと空も低い。

 吹き抜ける風もまるで頬をさすかのように冷気に満ちている。

 …雪でも降るのか…。薄暗い空を見上げる。

 突き刺さる風を感じながら、細い山道に足を進める。



 ―…兄さん…。六郎兄さん…。


 
 時折熱に浮かされたように、七郎は俺を求めてすがりついてくる。

 肩に顔をうずめ、胸に顔をうずめ、そして膝の上に顔をうずめる。

 この若さでこの扇家の当主。

 その重圧はいかばかりかと思い突き離せないままその頭を撫でていた。

 すると七郎の腕が俺の躰にしがみつく。

 切なそうに俺の膝に顔をうずめて強張った体で俺の躰を抱きしめる。

 だから無言のままその頭を撫でていた。

 …全てを背負わせてしまった弟。

 …7つも年下の。一番下の弟…。



 だが同時に七郎は、破格の力をもつ別次元の存在。

 だからといって、その心根までもが俺たちとかけ離れているわけではないのだろう…。

 静けさの満ちる部屋の中、ふわふわのくせっ毛に指を絡ませ続ける。



 「…兄さん…。俺、兄さんの事が好きだよ…」

 七郎がそう言って泣きそうな声を漏らす。

 「…あぁ…。俺たちは兄弟だからな…」
 

 どくんと胸が波打つ。

 わかっているのにはぐらかす。

 「…そうじゃない…。俺は兄さんの事が好き…愛してるんだ…」

 七郎の手のひらが腰の辺りを撫でていく。

 「だから…兄さん俺と結婚しよう…。兄弟だけど…俺は兄さんと夫婦になりたい…」

 そう言って俺を見上げる頭をぺしんと叩いた。

 「馬鹿。俺がお前みたいなガキを相手にするわけがないだろ」

 呆れたような顔で、そう言い捨てた…。



 それでも七郎は、それからもずっと俺のことを愛していると囁き続ける。

 ―…兄さんが好き…。兄さんが好き…。

 そんな甘い囁きについついほだされそうになってしまう。

 七郎が言っているのは恐らく肉体的な繋がりを含んだそれだとはわかっている。

 けれども、それでも。

 これだけ毎日好きだ愛していると囁かれ続けていれば、気持ちがなびいてしまっても仕方がない…。



 俺にはもう七郎しかいない。

 高齢の父。鬼籍の兄たち。

 夜行と裏会、そして使用人たち。

 俺の小さな世界の中は、もう本当にそれだけしかいない。

 だけどそれでも充分俺は満足している。

 自分の居場所。それをようやく見つけることが出来たような気がする…。



 だから、命じられてしまえば恐らく俺はそれに応じる。

 七郎に誘われるがまま、きっとこの躰のすべてをさらけだしてしまうに違いないのだ。

 いっそ暇つぶしに付き合えと、その程度の軽い誘いであったならば。あるいは。



 今の自分には、抱き合いたいと思う相手も縁を結びたいと思える相手もいない。

 大事な相手は誰かと問われれば、それは恐らく七郎しかいない。

 情欲を感じているかと言われればそれは確かに希薄だが、誘われて拒むほどの嫌悪は感じない。

 もともと倫理観や道徳といったものに重きを置いていない家だ。

 兄弟どころか親子だの祖父と孫だの悪しき前例なんていくらでもある。

 だからそのこと自体に抵抗はない。

 俺がこんな躰であることも兄であることも知っていて、それでも七郎は声を掛けてくるのだから。

 だったらこの躰に引け目を感じたりする必要さえもない…。

 むしろ気が楽だとも言える。

 
 
 七郎と抱き合う。

 人の肌の温もりを感じることが出来る。

 恐らく自分には一生縁がないと思っていた行為。

 それを、現実で感じることが出来る…。



 七郎の誘いに乗りさえすれば。

 結婚しようというあの言葉に、頷きさえすれば。

 そうすれば、七郎が丸ごと俺のものになる…。



 軽く見えて、七郎は意外と生真面目だ。

 あれだけ女を侍らせていても、その実見境なく手を出したりはしない。

 一人に決めたらそれを貫く。

 あの見てくれ。扇家の現当主という地位がもたらす富と権力。

 物腰もやわらかく気配りも心得ている…。

 さぞかしもてるのだろうし、その気になれば女はいくらでも寄ってくるのだろうに。

 …大勢の中の一人だとそう言われれば、おそらくとっくの昔に俺は、七郎の腕の中にこの身を委ねていたに違いないのに…。



 山道を歩きながら苦笑する。

 きっと七郎には分からない。

 俺はしょせん男だ。七郎の兄だ。そしてこんな躰だ。

 せめても姉なら。躰を改造していたりしていなければ。

 あなた一人と言われても応じられたかもしれないものを。

 七郎はまだまだ若い。そして幼い。

 子どものころから俺のあとをずっと追っていた。

 きっとそれが、今でもこうして習慣になってしまっているだけなのだ…。



 扇家当主という重圧を背負うのだから、もっと癒しになる相手を選ぶべきだ。

 包み込まれるような柔らかさと優しさを持った相手と添い遂げていけばいい。

 そうして暖かく優しさに包まれた家庭を作り上げていけばいい…。



 わざわざ俺を相手にして時間を潰す必要はない。

 七郎を他の誰かに取られるのかと思うと寂しさに胸が痛んだりもするけれど、それは俺だけの都合だ。

 七郎は七郎なりの幸せを構築していけばいい。



 ざくざくと足を進める。

 ふわりと視界が開け、ついに神社を見渡せる場所にたどり着く。

 その境内ではせわしなく人々が行きかっている。

 ―…初詣は過ぎたのに…。

 そう小首をかしげてから思い至る。

 今日は節分。節分祭。…神社でも豆をまくのだ。

 人が多く集まって来ている。きっと今から豆まきが始まる…。

 見つかりたくはない。

 そっと踵を返す。



 ―…節分。懐かしい行事。

 七郎が幼いころは家でも豆をまいていた。

 …おにはそと…ふくはうち…。

 したったらずな口調でそう大きな声を出しながら、小さな手のひらで握った豆をまいていた…。



 帰ったらきっと家でも豆まきをするのだろう。

 だったら俺の中に潜むこの鬼も一緒に追い出してしまわなければ。

 七郎の求愛を拒むことが出来ないほどに心が揺れている自分自身を今一度引き締めなくては。

 七郎から未来を奪う訳にはいかない。

 こんな俺に縛り付けるわけにはいかない。

 それをもう一度自覚して、せめても兄らしく振る舞わなければ。


 
 山道を、今度は厳しい顔で登っていく。

 七郎の腕に包み込まれてしまうわけにはいかない。

 七郎はあれもそれもと手に入れられるほど器用ではない。

 俺を抱きながら他の相手を抱けるような奔放さがない。

 …もしも七郎にその柔軟さがあれば。そうすればあるいは。



 視界の隅でちらりと白いものが顔をかすめる。

 …雪。

 ついに降り出したか。



 …この雪のように。

 俺の心のうちまでも、すべてを覆い尽くしてしまえたら。

 真っ白な雪のようにこの心の表面を七郎から覆い隠すことが出来たなら。

 その下に、真っ黒な地面が存在していることを気付かれてはいけない。

 七郎にだけは、絶対に。



 ざくざくと足を進める。

 先ほど食べた林檎の味が、それでも喉の奥から這い上がってくるような気がした…。






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