結界師二次創作「兄さんと僕。その7」

□渇欲
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 昔から、何一つ期待などされていない子どもだった。

 俺が何をしてもしなくても。

 そのことで、直接誰かから何かを言われるようなことはなかった。

 周囲にいるのは使用人。

 学校の教師ですら、扇本家の前ではただの使用人にすぎなかった。

 扇家の直系。

 それだけで俺には何も言えなくなるのだと、物心がつくころには理解していた。

 何をしても叱られない。

 …何かを為しても褒められない。

 ただただ扇家の直系として恥ずかしくないようにと、それだけ。

 …そして同時に、俺自身の価値もその程度だった。

 いてもいなくてもおそらく構わない程度の六男。

 傑物の兄たちと比べ、どうにも物足りない。

 いてもいいけど、いなくても別に構わない。

 …そんな空気を常に感じ続けていた。



 学校へ行かなくなったときも。

 家を出て兄たちのもとへ身を寄せたときも。

 …成人したときですら。

 本当に、何一つ。

 誰も俺に声をかけてきたりはしなかった。

 俺はここにいていいのだろうか。

 俺のいるべき場所があるのだろうか…。

 そう自問した。

 答えを考えるのが怖かった。

 誰かにその答えを肯定されることが怖くて怖くてたまらなかった。
 

 だから…声に出して問いかけたりすることはしなかった。



 …居場所が欲しい。

 俺がいなければならないのだと言われたい。

 必要なのだと。

 誰かにそう言われたい…。

 狂おしいほどの焦燥を感じ続けた。



 俺を呼び寄せてくれた兄たち。

 だがやはり、節目の際にも声をかけてもらうことはなかった。

 きっと興味の対象外。

 寂しく木枯らしが吹きすさぶ心の中に、諦めが生じた。



 ともに暮らしていた兄たちとは、ずっと互いの年齢の話をすることさえなかった。

 そもそも親と子、祖父と孫ほどの年齢差。

 …話がかみ合わないことも多かった。

 俺の知識のなさに、呆れさせてしまうことも。

 必死で書物を読みあさっても情報を収集し続けていても、埋まらない溝の存在を確かに感じた。
 


 だからだろうか。

 なんとなくの話のついでもあろうはずがなく、誰にも何も言われないまま…俺自身も何も言わないまま、成人を迎えた。

 神社を訪れる振り袖姿を遠目から見おろしていたときに、不意にそれを思い出した。

 …そう言えば、俺も今年は成人祭だ…。

 初詣の時期からしばらく、嵐座木神社の祈祷場には人が途絶えることはなかった。

 成人の儀。

 そのために準備されたのであろう、華やかな着物や装飾品たち。

 なんとなく両手を見つめた。

 …俺には何もない。

 祝いの言葉、ただひとつすら。



 なんとなく空に浮かぶ。

 成人の式典が行われる場所。その様子を上空から眺めていた。

 色とりどりの晴れ着姿。

 この日のために誂えたのであろう華麗な振り袖。

 男にも着物姿がちらほら見える。

 多いのは背広姿か。

 それもまたやはり、新しく揃えたばかりの品物に見える…。



 「…ふん…」

 鼻を鳴らす。

 成人男性には到底見えない自分の躰。

 身にまとう着物だって、普段身につけているものそのまま。

 …金額だけの話なら、今着ているこの着物のほうがおそらく高い。

 …だが。

 その一揃えに込められた…その想いが違う…。



 どうせ用はない。

 そう思っていたのに、なかなかその場を立ち去ることが出来なかった。



 俺を呼び寄せてくれたはずの兄たちでさえ、普段から俺には興味を示さなかった。

 必死に働き、兄たちにこの身を捧げ尽くしますと誓い続けることで、ようやく末席を与えられることが出来ていた。

 だがそれも、俺がなんらかの失敗をしてしまえば失われる程度の希薄なもの。

 そんな不安定なものに、それでもしがみついているしか居場所はなかったのだ…。





 自分より7つ年下の弟。

 …扇家の歴史の中でも過去最高。

 次期当主。扇家当主後継者。

 そいつの存在をぼんやりと思い出す。



 七郎だけが、俺を見るたびいつもにこやかに笑っていた。

 ―…兄さん大好き…。

 そんなとりとめのない言葉とともに。



 別次元の能力者。

 それはおそらく、能力のことだけではない。

 その心根も、気性も、考え方もきっと。



 七郎が俺に見せる笑顔を、真実の笑顔だと思っていた。

 だがやがて、その微笑みは誰にでも向けられるものだと気がついた。

 街中で見かけた七郎は、俺の知らない友人たちにも同じ笑顔を見せていた。



 ―…そうか…。こいつは誰にでもこうして笑いかけることが出来るんだな…。

 ―…それだけの余裕と自信が…七郎にはあるという事か…。

 もやもやとする心を押さえて、そっとその場を離れた。



 …七郎の友人達。その中の一人が、七郎の仕事の標的だったことがある。

 思わず見に行った。知人。友人。学友。

 七郎に出来るのだろうか。

 なんなら俺が代わりに。

 そもそもあんな幼い七郎に、七郎自身の友人を暗殺させるなど。



 …それと同時に。

 七郎は泣くだろうか。

 喚くだろうか。

 みっともなく涙をこぼしながら、どうしてこんなことにと叫ぶのだろうか。

 そんなことを考えた。



 七郎が躊躇うようなら俺が出よう。

 家として受けた仕事だ。

 …相手が素人であるのならば、俺が代わりにこなしたところで何ら問題はない…。

 物陰から一部始終を見守った。

 友人であるはずの七郎に誘われ、標的はあっさりと人気のない場所へとついてきた。

 七郎の顔にはいつもと同じ穏やかな微笑み。

 そうして辺りに人気がないことを見てとってから、おもむろに標的を切り裂いた。

 無表情。無感動。

 なんらの感情も窺えない、冷たく綺麗なその顔。

 そうして標的を塵にしてから、七郎がいつもと変わらない笑みで俺の方を振り返り見つめる。

 「…終わったよ、兄さん。もしかして心配してきてくれたの?でもほら、もう痕跡もないから大丈夫」

 にこやかに笑いながら、俺に向かって手を差し出した。

 「一緒に帰ろう、兄さん」



 その微笑みに背筋が凍りついた。

 自分には理解できない異次元の生き物だとそう思った。

 後ろも見ないで家に帰った。

 背後から聞こえる穏やかな声。

 「どうしたの、兄さん」

 その声に捕まらないよう必死で空を飛び続けた。



 …七郎のあの笑顔に深い意味などなかった。

 俺を見るたび笑いかけてくるのは、きっと俺に同情しているから。

 力もない、居場所もない。

 今ではもう七郎よりも小さな躰。

 …同情。

 7つも年下の弟から向けられる同情の念。

 部屋にこもり、声を殺して泣き続けた。



 …陽だまりのように感じていた小さな弟の世界にさえ。

 …俺の居場所はなかったのだ…。



 それからは七郎に会うこともしなくなった。

 七郎のいない時間に本家に出向き用事をすませる。

 七郎がいるかもしれない時間には玄関を使わない。

 古くて無駄に広い家。

 出入り出来る場所などいくらにでも存在していた。



 ―…恐ろしい…。あいつは別の世界の住人だ…。

 ―…だからこそ…あれだけの力を与えられている…。
 

 幼い頃から面倒をみていた弟に対してそんな感情をいだく。

 そんな自分の心根が何より恐ろしかった。





 ―…居場所が欲しい…。

 ―…俺を必要としてくれて…俺自身を見てくれる場所が。

 こんな俺でもいいと。

 俺は好意に値するのだと、そう言われることが出来たら。



 それだけを願い続けて必死に兄たちに尽くし続けた。

 命じられ、荒らされた神佑地についてつぶさに調査する。

 烏森。そこにもおもむく。

 墨村家。空間を操る能力。

 正統後継者。ひどく傲慢な小僧を一蹴する。

 

 ―…俺は一体何をしているのだろう。

 ―…何を…させられているのだろう…。



 兄たちが大罪に手を染めようとしている気配を感じた。

 まさか。自分たちでも神佑地を荒らすつもりだろうか。

 …土地神を…屠るつもりだろうか…。

 背筋が凍る。

 戦慄が躰を覆う。

 …だけど、この命さえかけると誓った身。

 …選択肢など俺にはなかった。



 墨村の若造がそれに気づく。

 兄たちがしようとしていることに水を差す。

 こらしめてやらなければ。

 俺にも異存はなかった。

 …ただただ、正統に成れなかった兄。弟にその座を奪われた者同士として…。なんとなく気乗りはしなかったのも確かだ…。



 海辺での戦い。

 兄たちに交じり俺の力をすべて託す。

 俺に主導権はない。

 ひたすら力を放出するだけ。

 …それで消耗する躰を誤魔化し続けながら、それでも兄たちに捧げ尽くすだけ…。

 

 衝撃は突然訪れた。

 俺には外で何が起こっているのか知る由さえなかった。

 正守の攻撃を受けた。怪我を負わされた。

 それに気がついたのと、兄たちから傷を押し付けられて切り離されたのがほぼ同時に思えた。



 ―…こんなところにすら…俺には居場所がなかった…。

 ―…殺せ…殺せ…。

 懇願か呪詛か。俺にもわからないほど喚き続けてから意識を失った。





 目を覚ましたのは何処かの縁側。

 扇家の庭でも部屋でもない安っぽい和室。

 なのにどこかで、扇家のそれを彷彿とさせた。

 …庭ではしゃいでいる子どもの声。

 ―…そうか…七郎の…。幼いころの七郎の声を思い出したのか…。

 ぼんやりとそんなことを考えた。

 

 ―…七郎…。今頃はあの家で、当主となる準備をしている頃か…。

 兄たちは俺のことなど何も気にはしていなかった。

 きっと七郎だって気になどしてはいないだろう。

 本当に今度こそ、俺は居場所を失った。

 呆然とした。それでも世界がこうして存在していることの不思議。

 日が照る庭。子どもたちの笑い声。

 俺がいてもいなくても、何も変わりはしない…。



 ―…ずっとここにいてくれても構わない…。

 正守のあの言葉だけが、何度も頭の中でこだまする。

 …ここでなら…。

 …この場所でなら、あるいは…。



 そう考えながら苦笑する。

 俺だって扇一郎の一部だった。

 …夜行の構成員を、何人も殺しているのだ…。



 ぼうっと庭を見つめる。

 何も考えられないほどの虚無が躰を襲う。

 ―…ずっとここにいてくれても構わない…。
 
 叶えられないその言葉だけが、頭の中をまわり続ける。

 夜行の子どもたち。

 …俺のことを異形呼ばわりしない。

 …怖れたりもしない…。



 心がぐらぐらと揺らぐ。

 居ることが出来るなんて思ってはいけないこの場所に、それでも居続けたいと感じてしまう心が騒ぎ続ける。

 夜行頭領自らが、俺にここにいてもいいとそう言ってくれているのだ…。

 だったら…だったら俺は…。



 そんなせんないことをつらつらと考えているとき。

 「…やっぱり六郎兄さんは優しいね…」

 空が陰り、記憶の中よりわずかに低い声があたりに響いた。

 「…くるなっ…!」

 自由のきかない躰で後ずさる。

 「…迎えに来たよ…」

 にこやかに笑いながら差し出される手のひら。

 「…いやだっ…!」

 ―…そんな目で俺を見るな。同情するな…!

 「一緒に帰ろう…?」

 ―…嫌だ。いやだいやだいやだ。お前にだけは、同情されたくない…!

 「…駄々…こねないで…?」

 風が辺りを包み込む。

 ―…連れ戻される。

 俺はこいつに連れ戻されてしまう…。



 俺が欲しいのは、お仕着せの、同情されて与えられる居場所ではない。

 俺が欲しいのは、誰にでも与えられる微笑みではない。

 俺が欲しいのは…願っているのは…。

 意識が遠のく。

 呼吸が…心臓が止まりそうになる…。



 「…兄さんは…やっぱり俺のことをわかってくれてはいないんだね…。俺の願っていることも、欲していることも…」

 感情のこもらない声が耳に遠く響いていく。

 「…俺が何に餓えているのか…何を欲しているのかさえ…」

 耳鳴りがする。頭ががんがんと鳴り響く。

 「…兄さん…六郎兄さん…」

 甘く蕩けるような切ない声が耳元で囁かれていくのと、意識が遠のいていくのが…。

 ほぼ同時のように、そう感じた…。
 





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