「結界師」拍手お礼其の二

□そんなのさせない。
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 「…ぁっ…」

 兄さんの唇から、咎めるような声がかすかに漏れる。

 「え?」

 思わず見つめる視線の先。

 眉間にしわを寄せた兄さんが、じっとりと俺を睨んでいる。

 ぷくりと膨らまされた頬っぺた。

 むぅっと尖らされた唇。

 今食べている苺のように甘酸っぱい香りが、胸いっぱいにふくいくと広がってくる。



 「…お前…」

 上目遣いで睨んでくるその愛くるしい表情と言ったら。

 俺の心をときめかせるのに充分過ぎる破壊力。



 「どうしたの…?」

 胸の奥がきゅんとする。

 「どうしたじゃねぇ。それは俺の苺だろ」

 「え?」

 きょとんと手元の皿を見る。

 今日のおやつは苺のショートケーキ。

 いつものように、俺は大粒の甘くて美味しい苺をぱくりと食べて、それからケーキの部分を食べていた。

 おやつも食事も、いつだって俺は兄さんよりも食べるのが早い。

 それは俺が子どもの頃からずっと一緒だ。



 小さい頃から、ここのショートケーキがおやつに出ると俺は同じ食べ方をする。

 まず苺。そしてケーキ。

 そして最後にまた苺。

 いつだって兄さんは、自分の苺を俺の皿にわけてくれていた。

 だから今日だって同じ。

 兄さんがお皿に残してくれていた苺を、「いただきます」と言って口にしただけ。



 「…もしかして、苺の話?」

 小首をかしげて問いかける。

 「もしかしなくてもそうだろ。…俺の苺だったんだ」

 「あれ?兄さんて苺好きだったっけ?」

 記憶にある限り、兄さんのケーキにのっている苺はいつだって俺のものだった。

 苺だけじゃない。
 

 桃、オレンジ、メロン、チョコレート。

 全部全部今まで俺が食べていた。
 

 「…俺だって苺くらい食う」

 ぷくっと膨れたまま兄さんが俺に苦言を呈す。

 「…兄さんて…スポンジケーキが好きなんだと思ってた…」

 思わず椅子の背もたれに体を預ける。

 「だってずっと…兄さんのケーキのデコレーションって、いつも俺が食べていたから…」

 「俺だってそのくらい食うんだよ」

 ぷくぷくと頬っぺたを膨らませた兄さんが、拗ねたように俺を見上げる。

 「…そういえばそうか…。兄さんて栗が好きなのに、モンブランの栗もいつだって俺にくれていたっけ…」

 思い返せばその通り。

 兄さんが好きなものもそうじゃないものも区別なく、いつだって俺が食べたいものは食べたいだけ俺にくれていたのだから。

 「苺は最後に食べるつもりだったんだ。なんで当然のような顔して、お前がとっていくんだよ」

 「だって兄さん、昔はいつも俺にくれてたでしょ?」

 「昔?」 

 「子どもの頃から俺、それが習慣になってたし」

 「いつの話だよ」

 「…兄さんとケーキ食べるのも、すごく久しぶりだし…。だからまた、俺の分を残してくれてるんだと思ってた…」

 「そんなの、お前がガキの頃だけの話だろ」
 

 「え?それって兄さんの中では、俺はもう一人前の大人ってこと?」

 「誰もそんなこと言ってねぇ」



 兄さんが席を立つ。

 ―…ちっ…。

 小さな舌打ちの音が聞こえる。

 「…えぇと…。兄さんごめんね?」

 顔の前で両手を合わせる。

 「馬鹿。ガキ」

 ふいっと顔を背けながら、兄さんが不機嫌そうな声を出す。

 ぱたんと締められる扉の音。

 兄さんの姿が視界の中から消えていく。
 


 閉じられた扉を見て、今度は俺のほうが頬を膨らませていく。

 兄さんがこの家に戻ってくれて、連日連夜追われていた一連の騒動が片付いて、それでようやくこうしてゆったりとしたお茶の時間を過ごせるようになったのだ。

 それなのに。

 昔のように甘えてみたかっただけなのに、兄さんときたら本当に心が狭い。

 いや知ってたけど。

 兄さんは昔から、結構短気で怒りっぽい。

 …だけど根には持たない。



 そんなところがたまらなく好き。

 昔とちっとも変わってなくて、それでもこうして俺が子どもっぽい真似をすると怒る兄さんに、今度は思わず笑みがこぼれていく。

 …こんなケーキなんて、いくらでも買えるのに。

 苺だって栗だって、食べたいときに好きなだけ用意させることができるのに。



 コーヒーを傾けながらも笑みがこぼれ続けていく。

 扇家の直系。

 使用人が何人もいるような家。

 間違いなく、兄さんは良家の御子息。

 …なのに、俺の前ではわざと乱暴な言葉を使う。

 上の兄たちの元にいたときには、きちんとした言葉を使っていたはずだ。

 俺の前でだって、親父や上の兄たちと話すときは綺麗な言葉を使っていたのだから。

 なのに相手が俺になると、途端に砕けた言葉を使う。

 猫の目のようにくるくる表情を変えてみせる。

 唇を尖らせてみたり、頬を可愛らしく膨らませてみたり。

 …俺の前でだけ。

 この家の中では、俺の前でだけ。



 くすくすと声が漏れていく。

 この家の外の人間に対して、兄さんは何処か虚勢を張る。

 あれでは誤解されてしまうのではないかと、俺の方が心配してしまうくらいに。

 乱暴な態度。

 粗野な言葉遣い。

 頬杖をついたり、座っているときにあしをあげたり膝をたてたり。

 なのに相変わらず、正座の時はすこぶる姿勢がいいのだ。

 身についた習慣は崩れない。

 箸の使い方も、お茶の飲み方もとても綺麗。

 本人だけが、これだけ粗野に振る舞っているのだから自分は無頼漢だと信じている。

 だけどもう、きっと親しくしている人達にはばれている。

 夜行でも、裏会でも。

 口は悪いけれども行儀がいいと思われていることを、兄さんだけがいまだに知らない。



 ―…兄さんたら、本当にわかっていないのかな…。

 ―…仕草が綺麗。柔和な性質。周囲にはそんなふうに思われていることを。



 兄さんときたら子どもに甘い。

 夜行の子どもたちには特に甘い。
 

 そして大人だと思っている相手には辛辣だ。

 

 ―…俺かな…。

 ―…俺より年が上か下かで、兄さんの中では大人か子どもか区別をされているんじゃないかな…。



 根拠がないわけじゃない。

 兄さんは良守にはまだ甘い。

 そして正守さんには厳しい。

 その線引き。



 ―…ケーキに載っている苺を、くれるのかくれないのか…。

 ―…もしかしてそれが、兄さんにとって大人と子どもの境界線なのかな…。 



 兄さんの中で俺はもう一人前の大人。

 そう考えるとくすぐったくてたまらない。

 ―…未成年のくせに。

 ―…ガキのくせに。

 ―…当主なんだからもっと真面目にやれ。

 兄さんが俺に言ってくる文句の数々を思い出す。



 兄さんがあれだけ粗野に振る舞う訳を、多分俺は知ってる。

 兄さんが昔、この家を出ると決めたとき。

 おそらくはその頃からの習慣。



 当主後継者に選ばれた俺。

 そして、選ばれなかった兄たち。

 俺が次期当主に選ばれた、あの7歳の誕生日。

 あのときから上の兄たちは相当に荒れていたし、言葉遣いも乱暴になっていった。

 だからそれに合わせていたのかとも思っていたけれど、今ならなんとなくわかる。

 もちろん上の兄たちの不機嫌さに合わせていたのもあっただろう。

 だけどいまだにああした態度をとっているのは、きっと俺のため。

 当主になった俺は、当然節目節目には礼儀正しく振る舞う。

 俺が何をしてもしなくても、兄さんが粗野に振る舞うたび、ただそれだけで俺の評価が上がっていくのだ。

 兄さんがどこまで計算してやっているのかはわからない。
 

 だけどおそらく間違いはない。

 そうして自分の評価を下げることで、前当主の親父の目に狂いはなかったと、当主を承継した俺は実によくできた息子だと周囲に思わせる。

 俺が褒められるたび、そこはかとなく兄さんの表情が緩んでいくことに俺だってもう気づいている。

 


 だけどそうはさせない。

 兄さんの評価を下げてまで、自分の評価を上げようなんて思わない。

 兄さんのことを誰かに悪く言われるなんて、そんなこと絶対にさせない。

 


 兄さんは兄さんのままで充分だ。

 俺のことを心配し、真剣に向き合ってくれる唯一の人。

 もしかしたら本人は、あの堅苦しくない言葉遣いを気に入っているのかもしれない。

 けれどもそれでも、正座の時のあの姿勢の良さは崩さない。
 

 兄さんがいくら画策をしようとも、兄さんに親しい人たちは皆わかっている。

 …悪ぶっているだけ。

 …素直になれないだけ。

 それを俺だけが知っていたいような気持ちと、皆に兄さんの良さを触れ回りたい気持ちとが交差する。



 ―…今度は、たくさん苺が載ったケーキを買って来よう。

 ―…甘い甘いスポンジ生地の上に、一面苺を敷き詰めたケーキを。



 それでまた、兄さんの皿から苺を一粒だけ分けてもらうのだ。

 そして今度は、俺の苺を兄さんにも分けてみたい。

 ―…何やってるんだ。そんなの意味ないだろ…。

 ぷくりと膨れた兄さんの可愛い声まで、自然と脳内に再生されてしまう。


 
 ―…兄さんがいてくれて、本当に良かった…。

 そう言いながら、兄さんの唇に苺を挿しこもう。

 ―…俺は本当に、兄さんのことが大好きだよ…。

 そう言って微笑みながら。

 



 その時の情景を想像するだけで、甘酸っぱい苺の香りが胸の中をいっぱいに温かさで満たしていくような気がした…。









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