結界師二次創作「兄さんと僕。その8」

□物憂い兄さんと可憐な舌打ち
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 なんだか兄さんが不機嫌だ。

 そんな気がする。

 …だって俺と口をきいてくれない。

 食事中もお茶の時間も必死に話しかけているのに、返事をしてくれない。

 「…ふん」

 「…ちっ…」

 相槌とも言えないようなそんな返答だけを残して、お茶が終わるとさっさと席を立ってしまう。



 …兄さんの気に障るような何かを、俺はしてしまったのだろうか。

 使用人とは普通にしゃべっているようだし、こっそりのぞきに行った先の夜行では、子どもたちを相手に笑っていた。

 ―…今なら兄さんもご機嫌なのかもしれない。

 そう思って急降下し兄さんの前に降り立った瞬間、今度は兄さんがそっぽを向いて去ってしまう。
 



 兄さんを怒らせる原因。
 

 最近俺は何かしただろうか。

 心当たりが多すぎてよくわからない。



 …そういや、神社の関係でいくつかお勤めをさぼった気がする。

 紫島に渡された資料を読むのが面倒で、要約してから持ってこいとかそんなことも言った。

 …もしかしたら。

 こないだ町中で女の子に声をかけられて、久しぶりに会った娘だしと思って、しばらくおしゃべりにつきあってあげたっけ。

 何処かでそれを見ていた兄さんが、焼きもちを焼いてくれているのかもしれない。

 …それはないか。

 …あったらいいけど。ないんだろうな。残念ながら。
 

 それともあれか。

 厨房が夕飯を作りはじめているときに、今日はこれが食べたいとごり押しして急遽メニューを変えさせたことだろうか。



 …どれだろう。

 もしかしたら、他にも何かやらかしてるのかもしれない。

 なんせ俺は、のべつまくなしに兄さんを怒らせている自覚があるのだ。

 だけどそれは仕方のないことだとそう思う。

 だって最近はようやく色々なことが落ち着いて穏やかな日々を過ごせるようになってきたし、だから俺が適度に肩の力を抜いていても仕事はまわる。

 使用人でさえ、今のうちに気晴らしでも、なんて勧めてくるくらいだ。

 それで旅行でも行こうよ、なんて兄さんを誘ってみたけど返事は芳しくなかった。

 一人で行っても楽しくないし、せっかく兄さんが家にいてくれるのに俺が一人で出掛けるなんてのも寂しい。

 そう思って、のんびりとこの家で過ごしていたのだ。



 …なのに兄さんが口を聞いてくれない。

 なんで。どうして。

 原因がわからないと対処が出来ない。

 今までにだって、きっとあれが原因だろうと検討をつけて謝りに行ったら、兄さんのお怒りポイントは全然別のところにあったなんてことも珍しくない。

 それで俺はただただ新たな悪事を暴露してしまっただけで、兄さんから一層の苦言を呈されてしまうような始末だ。

 あのときの兄さんの、呆れたような冷たい視線。

 あの紅い瞳がどのくらい俺の心を射抜いているのか、兄さんは本当に知らないのだろうか。



 …昔は兄さんも、俺と同じ茶色の瞳をしていた。

 髪だって黒くて綺麗な烏の濡れ羽色。

 さらさらのそれが風に揺れるさまは、本当に爽やかなほど可憐だった。



 …今はもうない。

 だけど、それはそれで新たな兄さんの姿なのだとそう思う。

 だって兄さん自身が納得している。

 あれだけの戦い。

 …俺が殺した上の兄たち。
 

 直前まで『扇一郎』の一部だったあの人は、おそらく自分だけ無傷で終わる結末なんかを望んではいなかった。

 他人に厳しい。

 …それ以上に、自分に厳しい人なのだから…。



 同じ兄弟なのに、なんだかんだと俺たちは個性が違っている。

 上の兄たちは、やはりどことなく傲慢で、自分が世界で一番偉いと思っているような人たちだった。

 …兄さんは俺のことを、正統だからといって驕り高ぶっているとかいうけれど、じゃあなんで上の兄たちのあの傲慢っぷりは許せたのか疑問に思う。

 俺は確かに自信家だけれど、それに見あうだけの実力はあるし、努力だってしている。

 7つというほんの幼い頃に、親父から当主後継者として選ばれた。

 それで兄さんたちに置いていかれて、寂しさだって知っている。

 …なにも知らない坊っちゃんなどではないのだ。



 兄さんは俺のことをどう思っているんだろう。

 いまだに俺は傲慢で、他者の感情に鈍感なガキのままなのだろうか。

 …いや…、違うはずだ。

 その証拠に、兄さんは自らの意思でこの家に戻ってきてくれた。

 俺が危ないとき、助けにきてくれた。

 あのとき、親父までもが総帥に取り込まれたのだとそう聞かされて、目の前が真っ暗になっていったことをよく覚えている。



 我侭な土地神。

 取り込まれてしまった部下たち。

 当主である親父を失い、あとはもう俺しかいないのだとそう言われた。

 扇家の直系としての責任。

 …折しも俺が兄たちを殺した後の出来事。

 扇家の中でもあれこれと意見が割れていたその最中。

 若すぎる当主後継者。

 …その補佐をするべく控えていた兄たちを、その手で屠った恐ろしい死神。



 一族の中で俺に対する恐怖と反抗心が芽生えていたときに、突然起きたあの事件。

 嵐座木襲撃。



 親父が取り込まれてしまったと思ったとき、親父の身を案じると同時に、これから親父がどう利用されるかを考えた。

 総帥に操られているとはいえ、親父こそがまぎれもなく扇家の現当主。

 …最悪の場合、俺が親父を殺す破目になっていたに違いないのだ。

 …老いたとはいえ偉大な風神。

 他に立ち向かえるものなどいやしない。



 そして残るのは、現在の扇家当主を弑した次期当主。

 傲慢で尊大な死神。

 …兄殺し、父殺し…。

 侮蔑と畏怖の視線が俺を貫く。



 そんなことになっていたら、間違いなく一族は分裂していた。

 一郎兄さんにつき従っていた勢力。
 

 親父を慕っていた勢力。

 …それらが一斉に、俺に対して牙をむく。

 そうなればおそらく、長い間に築きあげてきた扇家の基盤は、大きく損なわれていたことだろう…。



 親父が取り込まれていると聞いたとき、だから俺は絶望を感じた。

 俺一人では対処出来ないほどの衝動。

 それでも俺がなんとかしなければいけない。

 …俺は一人きりで、冷たい風の吹きすさぶ荒野に取り残されたのだ。



 そこを兄さんに救われた。

 比喩じゃなく、天使が舞い降りてくれたのだとそう思った。

 …親父が無事だった。

 …兄さんが扇本家に戻ってきてくれた。

 それは扇家だけの危機を救ったのではない。

 …俺のことを、…俺の心を救ってくれたのだ…。



 心がじんわりと温かみを増していく。

 今の平穏。

 つつがなく執り行われた承継の儀式。

 それもこれもすべて、あのときに兄さんが俺を救い出してくれたからに他ならないのだ…。



 
 そんな感慨にふけっていたその時。
 

 かたんと音をたてて扉が開く。

 「…兄さん…」

 ふわりと笑う。

 「戻ってきてくれたの…?」

 吸い寄せられるように、兄さんの躰に手を伸ばす。



 「…まだいたのか…」

 ちっ…という軽い舌打ちを響かせながら、兄さんがふるふると頭をふる。



 「俺ね…。いまちょうど兄さんに会いたかったんだ…。嵐座木神社が襲撃されたときのことを思い出して、すごく心細くなっていたところ…」

 逃げようとする手を握り、兄さんの躰を胸の中に抱きしめる。

 「…やっぱり…兄さんが傍にいてくれると安心する…」

 はふっと息をつく。

 もしかしたら今までずっと俺の呼吸はとまっていたのかもしれない。

 兄さんがいて初めて、俺はこうして呼吸が出来る…。



 「…お前…。まさか、俺を怒らせていたことを忘れてるんじゃねぇだろうな…」

 胸の辺りで、がるがると威嚇をしそうな兄さんが不機嫌そうな声をあげていく。

 「…俺ね…、あのとき兄さんが助けにきてくれて、天使が助けにきてくれたんだとそう思った…」

 きゅむきゅむと抱きしめる。

 「不思議…。昔は俺のほうが小さくて、兄さんに抱いて貰っていたのに…。こうして兄さんを抱きしめていても、やっぱり俺が兄さんに抱きしめられているような気がする…」

 兄さんの髪の毛に頬をすり寄せる。

 さらさらの髪の毛が顔に当たってくすぐったい。



 「本当にお前は、昔から人の話を聞かないよな…」

 ぺしんと押しのけられてしまう。

 眉間にしわを寄せた紅い瞳が俺を見上げる。



 「…そういえば、兄さん何か怒ってた…?」

 今更ながらに思い出す。

 思い起こせば最近の俺は、兄さんに口をきいてもらえていなかった。

 「『何か』?」

 ぷくりと唇が尖らされていく。

 「…本当に相変わらずだよ、お前は」

 ぺしんと頭をはたかれる。

 「あいたっ」

 「痛いわけないだろ。これだけ頭をふわふわさせてるんだから」

 兄さんが軽く手招きをする。

 いざなわれるまま、元居たソファへと腰かける。

 「…七郎。俺が渡した資料は読んだのか」

 「資料?」

 「大事な資料だから、読んでおけと渡したものだ」

 「…あー…」

 記憶にあるようなないような。

 そういえば何か分厚い資料を渡された。
 

 「まだ読んでない、かな…。部屋にあるから、帰ったらすぐに読むよ」

 誤魔化すようににこりと笑う。

 「馬鹿。あの資料はもうお前の部屋にはない」

 「え…。俺ちゃんと、机の上に置いたはずだよ」

 記憶を探る。

 確かに俺は、兄さんから渡された資料をそのまま執務机に置いたはずだ。

 ―…ちっ…。

 かすかな舌打ちが柔らかく耳に響く。

 


 「…7日も放ってあるから俺が回収した。それからまたもう7日が経過した。…なのにお前は、無くなっていることにさえ気づいていない」

 じろりと睨まれる。

 「ごめんなさいっ」

 両手をあわせて頭を下げる。

 それは確かに言い逃れが出来そうにない。

 「…馬鹿」

 ふいっとそっぽを向かれてしまうけど気にしない。

 「ごめんなさいっ!すぐに読むからもう一度貸してくださいっ」

 兄さんの躰に両手を巻き付けながら懇願する。

 「反省しましたっ!もうしませんっ」

 反省したふりで存分に甘えていく。

 …兄さんだってきっとわかっている。

 俺がただただこうして甘えたいだけだということを。

 「…知るか。もうお前には渡さねぇ」

 ぷいっとそっぽを向かれてしまうのに、それでも躰は俺から逃げない。

 …兄さんは、もうそれだけ俺のことをわかってくれている…。

 …見ていてくれている…。

 俺のことを、兄さんだけはきっと…。




 
 ―…なんだかもう…それだけで幸せになれる俺って単純で結構いいかも…。

 そんなことを考えながら、兄さんの甘い匂いを全身で思う存分堪能していく…。











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