結界師二次創作「兄さんと僕。その8」

□兄の独白〜六郎編〜
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 ぐらりと激しい目眩がして躰が揺らぐ。

 一瞬のちに、ざわりと音が聞こえてきそうなくらい一気に血の気が引いた。



 ―…あぁ…、まずいな…。



 まるで他人事のようにそう感じた。

 地面に叩きつけられるように倒れ伏す自身を覚悟していたのに、不意に温かな場所が俺の躰を包み込む。

 …この感触は知っている。

 温かくて…だけどあまり柔らかくはない…。



 ―…七郎…。



 俺たち兄弟の中でも一番幼い弟。

 俺にとってはたった一人の弟。

 その七郎の胸で、抱き止められた…。

 そのことに安堵してしまう自分が何故か悔しい。

 地面に叩きつけられるより、七郎に受け止められる方がまし…。

 そう感じる自身の心の遷移がおかしい。

 そんなせんないことを考えながら、ゆっくりと意識を失っていった。







 …風が頬をくすぐる気配で目を覚ます。

 見覚えのある天井。

 俺の部屋の、布団の中。

 かすかに指先を動かしてみる。

 朝から鼓膜を引き裂かんばかりに鳴り響いていたあの耳鳴りも、今では随分落ち着いている。



 「…七郎…」

 目を開けたその先に見える七郎の姿。

 不機嫌そうに眉間にしわを寄せた顔。

 固く唇を引き結んでいる。

 その目許が、うっすらと赤く染まっている…。

 …怒っているのか

 …違う。

 …これは…。

 この顔は、泣き出す寸前の…あの時の顔…。

 

 まだまだ七郎が幼かったあの頃。

 叱られたとき。

 粗相をしてしまったとき。

 俺や使用人が、七郎の希望を叶えてやらなかったとき。

 あの頃に見た、泣き出すのを我慢しているときの顔。
 

 子どもの頃からいつだって、七郎は泣き出す前にはよくこうして目許をほんのりと染めていたのだ。

 あの頃のまま。

 …本当は七郎は…あの頃から何も変わってなどいない…。
 



 まるで他人事のように呆れてしまう。

 ちょっと俺が倒れたくらいで、扇家の当主ともあろうものがこんな顔をするなんて。

 苦言を呈してやろうかと思ったが、原因が自分自身では叱るに叱れない。

 小さく舌を打つ。



 「…兄さん」

 恨みがましい七郎の声。

 「わかってる」

 「もう今日は」

 「わかった。おとなしく寝ている。それでいいんだろ」

 ふいっと七郎とは反対側に寝転がる。

 「…お前が傍にいると落ち着かない。出ていろ」

 猫の子を追い払うかのようにしっしっと手を払う。

 「…夕飯前にはまた来るから。…今夜はここへ運ばせる」

 ぱたんと扉が閉まる音がして、部屋の中がしんと静まる。



 長いため息を吐き出していく。

 確かに最近無茶をしすぎた。

 原因なんてわかっている。

 扇家が管理している神佑地に異変が生じたのだ。

 あのときの自分たちの暴挙が原因なら、俺がなんとかしなければならない。

 そんな義務感に襲われて、確かにこのところ寝食を疎かにしていた自覚はある。

 それもなんとか落ち着きをみせそうだと言う段になってからの、この体たらく。

 自分で自分の弱さが情けない。



 布団の中で寝返りをうつ。

 だけどもうあとは、良守たちに空間を修復してもらうのみ。

 その手はずも調えたし、現地で結界師を迎えるために使用人も手筈をしてある。

 だからすでに俺がやるべきことはなかったのだけれども、それでもやはり見届けたかった。

 何かが出来るわけではないが、良守たちが空間を修復するさまを見守るところまではこなしたかった。

 だが、こうなってはそうもいくまい。

 向こうで倒れるような無様を晒すわけにはいかないし、先程の様子では、七郎がそれを許可しそうにもない。



 ―…本当に、あいつは甘い…。



 ゆっくりと瞳を閉じる。

 こうなったらもう覚悟を決めて、しっかり躰を休めるしかない。

 確かに最近不摂生をしすぎていた。

 俺がこうして無様を晒すと、何故か七郎の顔が泣き出しそうに歪んでいく。

 …あいつのあんな顔は見たくない…。



 ―…不思議だな…。

 ―…昔は散々、七郎の泣き顔なんて見てきていた筈なのに…。



 どうせ暇をもて余しているのだ。

 なんとはなしに昔の七郎を思い出す。



 確か、おむつの頃はよく泣いていた。

 腹がへった、おむつが濡れた。

 寝起きだから機嫌が悪い。

 ふみゃあふみゃあという力ない泣き声が、次第に力強い泣き声へと変化していく様子は面白かった。

 はいはいを始めてからは、ぺしょんとよく途中でつぶれていた。

 だけどその頃にはあまり泣かなくなっていて、見ているとまたはいはいを始めては振り返り笑っていた。

 それが歩き始めて、どうしてだかまた泣き出すようになったのだ。

 赤ん坊の頃とはまた違う泣き方。

 いきなり走り出す。

 何もないところでころんと転ぶ。

 すると、一瞬ちらりと俺を見る。

 それからおもむろに泣き出しては抱っこをせがむのだ。

 ついつい手を出していたのがいけなかったのか、いつの間にやら七郎は、自分が泣けば抱っこをしてもらえると学んでしまった。

 俺が傍にいないときに転んだ七郎が、きょろきょろと辺りを見渡して、誰もいないことを確認してから泣かずに一人で立ち上がっていたのを見たときは驚いた。

 そのときは、なんだそれは、泣かずに一人で立てるんならいつもそうしていろよ、なんて思ったが今ならわかる。

 ―…甘えられる相手がいると、人は甘えてしまうのだ…。



 あの頃は俺がいたから、七郎はそれで俺に甘えてきていた。

 だけど。

 …俺がいなくなった後は。



 きゅ、と唇を噛みしめる。

 布団を肩まで引き上げていく。



 扇家当主後継者。

 その七郎を甘やかしてくれる相手。

 …俺を含めて、兄たちは全員家を出た。

 親父は子どもを甘やかさない。

 むしろ、次期当主である七郎には厳しいとさえそう思う。

 もしかして七郎を甘やかしていた俺が家を出たのは、親父にとっても望ましい事だったのかもしれないと思われるほどに。

 

 …以前の土地神。

 七郎は、自身のことを土地神の奴隷だとそう言っていた。

 連れて歩いていた女たち。

 …当主になるとき、その全員と縁を切っていた…。



 だからだろうか。

 幼い頃の七郎の泣き顔はこんなにも鮮明に思い出せるのに、俺が家を出てしまったあとの七郎の顔といえば嘘臭い笑顔だけを思い出す。

 作り笑い。

 張り付けたような笑い顔。

 俺はあの顔が苦手だった。

 へらへらと掴み所のない顔で笑う七郎は、自分が知っている弟とは別人のように感じられた。



 …嵐座木神社が襲撃されたとき、実は物陰から様子を窺っていた。

 当主であった親父をなんとか無事に救い出したはいいものの、まさかそのまま敵の前に連れ出す訳にはいかない。

 そんなことをすれば、逆に精神攻撃を仕掛けてこいと言っているようなものだ。

 俺はともかく、親父だけは守らなければならない。

 他人の体を、静かに宙に浮かせる能力。

 俺の力は弱いから、その分この能力が発する気配も弱い。

 …だからこそ、敵に俺たちがここにいるということを気付かれにくい…。

 そのことを初めて良かったと思った。

 だから俺は、総帥が操る術が及ぶことのない、はるか上空に待機していた。

 それで安全なところから、敵が引くのを待っていたのだ。



 敵が引き始めたのを見てとって、俺だけが先に下の様子を見に降りた。

 山を覆うように包まれていた白い光。

 どうやらその光で、ある程度こちらも情勢がよくなっていたようだった。
 

 それでもまだまだ気が抜けない。

 だからこっそりと物陰から様子を窺った。

 その時に見た七郎の疲れ切った顔。

 大人びていた姿が、急速にやつれきっていたかのようだった。

 …何もかける言葉が浮かばず、そのまま宙の上へと舞い戻る。



 そして、安全を確認してから親父を連れて舞い降りた。

 その時に見た、泣き出す寸前の七郎の顔。

 …目許がほんのりと赤く染まっている、あの顔…。


 
 こいつに喋ってやるつもりもなかったが、俺が得ていた情報を思わず七郎に喋っていた。

 「墨村の長兄からちょっと情報を得てな」

 思わず饒舌になっている自分がおかしかった。

 「いいだろ?」

 そう言うと、また泣きそうに顔を歪ませた。

 だからついついからかった。

 「お前は、俺の助けなんかいらないだろう?」

 本音が混じってなかったわけでもないが、ちょっとした軽口のつもりだった。

 なのに、むきになって眉間にしわを寄せて喚くから俺の方が驚いた。

 「違うよ兄さん…!いらないからじゃない…」

 そういって手を握りしめたりしているから、思わず舌打ちをしていた。

 …また泣くのじゃないかと、ついついそう思ってしまった…。



 だからなんとなく、そのまま本家から離れられなくなっていった。

 七郎が顔を歪ませたり泣きそうになったりするから、心配で離れがたくなってしまった。

 親父もそんな俺を見て、際限なくどんどん仕事を振ってくる。

 そして気が付いたら、いつの間にやら昔のまま。

 七郎と親父、そして俺。

 使用人だって昔のままの見慣れた顔。

 昔使っていた部屋に寝起きして、昔と同じ食堂で七郎と食事やおやつをとる毎日。

 …だけど、それがなんだか楽しかった。

 七郎はもちろん大人になってしまっていて、あの頃のように泣きべそなんてかいたりしない。

 俺だってこんな躰。まじないだらけの成長しない躰。

 なのに昔のように、七郎に軽口を叩いて二人で一緒におやつを食べたりしているのが不思議でおかしくてたまらなかった。



 布団の中でくすりと笑う。

 温かな夜具。

 それに包まれているうちに、まぶたがとろんとしていくのがわかる。

 

 ―…七郎…。

 ―…夕飯は、ここで一緒に食べるとそう言っていた…。



 きっとまた、眉間にしわを寄せながら、俺の不摂生を詰ったりするのだろう。

 あの泣きそうな顔で、「兄さん、もっとちゃんとお肉とか食べないと」なんて言ってきたりするのだろう。

 「心配だから、今夜は一緒に寝る」

 そう言って、また俺の布団にもぐりこんで来たりするかもしれない。

 …昔とは違う。

 七郎がずいぶん大きくなったから、俺の布団で二人で寝るにはもう狭いのだ。

 どうしても七郎が駄々をこねるようなら、もう一組布団を運ばせなければならない…。



 そんなことを考えながら、ゆっくりと意識を手放していく。

 …その心地よい微睡みに、この躰を委ねていきながら…。












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