結界師二次創作「兄さんと僕。その8」

□弟の独白〜七郎編〜
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 …兄さんの躰がくらりと揺らぐ。

 思わず両手を出して受け止めていた。

 小さくて温かな躰を胸の中で抱きしめる。

 …貧血だろうか…?

 熱はそんなに高くない…。



 ―…ちっ…。

 軽い舌打ちが聞こえたことに安堵する。

 それでも俺の心臓がばくばくと鳴り響く。

 …兄さんにもしものことがあったら。

 …もしもそんなことがあったら。

 …俺はまた…この家に囚われたままひとりきり…。



 そんな俺の心情を知ってか知らずか、兄さんがそのまま意識を手放していく。

 その軽すぎる躰を抱きかかえ、慌てて兄さんの部屋へと運び込む。

 医療団。まじない師。

 大きな声で使用人に指示を出す。



 そしてやってきた医療団の診断結果は、過労。

 そしてそれに伴う貧血。

 栄養を取って、充分な休養を取ること。

 重々しい声でそんな言葉を紡ぎだす。

 そんなことを言われて俺の眉間にしわがよる。

 

 ―…だから言ったのに。

 ―…だから俺が、あれほど口を酸っぱくして仕事のしすぎだと忠言したのに。



 兄さんをまた失うことなど考えられない。

 それでなくてもすでに二度、俺は兄さんに捨てられてしまっているのだ。

 上の兄たちのもとに身を寄せて、この家の中に俺を一人きりにしたとき。

 その兄たちから切り捨てられた兄さんを夜行から連れ戻し、ようやくこれでまた兄さんと俺の生活に戻れるのだと喜んだのも束の間。

 …躰が回復するかしないかのうちに、あっさりと家出をされてしまったあのとき。



 あの頃の俺がどれだけ荒れていたか、兄さんは見てさえいないから知るはずもない。

 食事も一人。

 お茶も一人。

 寝るのも一人。

 風呂も一人。

 喋る相手は使用人か親父だけ。

 学校へ通っていたのは、この時が止まってしまったような家の中で、息が詰まりそうになっていたからだ。

 同級生たちと遊んでいたのは、そうすることで俺も彼らの一員になれていたような気がしたからだ。

 もちろんそれは欺瞞だ。

 俺は彼らと同じような人生を歩むことはできないし、この家の、そして土地神の奴隷という立場から逃げ出すわけにもいかないのだから。


 


 どんどん荒れてすさんでいく心を、だから思い切り仕事にぶつけた。

 使えば使うほど、天井知らずに伸びていく俺の能力。

 修業も鍛錬も、そこには何一つ不要だった。

 …そしてそのことがまた、俺の心を荒ませていく要因となっていった。



 そんなふうに過ぎていく日々の中。

 突然起こったあの嵐座木神社襲撃。

 絶望に包まれていた俺の心を、六郎兄さんが救ってくれた。

 本当に天使のように舞い降りて、俺の危機を回避してくれたのだ。

 そうしてにやりと悪戯っぽく笑いながら、ちょっとだけ誇らしそうに胸をそらして俺を見ていた。


 
 なのに。

 「お前は、俺の助けなんかいらないだろう?」

 そんなことを平気な顔で言ってくる。

 「違うよ!!」

 思わず叫んでいた。

 兄さんなんて、俺のことを本当に何もわかってくれてない。

 なんて酷い。俺の気持ちなんて知ろうともしてくれない。

 泣きそうになるのをこらえるだけで必死だった。



 俺がそう叫ぶと、ちょっとだけ困ったように兄さんが顔をそらして、舌を打つ。

 それでなんとなく、兄さんも本気でそんなことを口にしたのじゃないのだろうと思うことが出来るようになった。

 そうじゃなかったら泣き出していたかもしれない。

 危ないところを救われて。

 兄さんがこうして帰ってきてくれて。

 それでなくても俺の感情は飽和寸前だったのだから。

 良守たちが傍にいなかったら、本当に泣き出しそうなほどに色々な感情が、俺の中には渦巻いていたのだ。



 そんな俺を置いて、親父が兄さんを呼びつける。

 お前にも仕事をやろうなんて偉そうなことを言いながら、本当は親父だって兄さんが帰ってきてくれて嬉しかったのだと知っている。

 もう手放したくはない。そう思っているのだろうということも。

 それでこうして、たくさんの仕事を命じているのに違いないのだ。

 上の兄たちが全員家を出てからの親父は、急速に老け込んでいった。

 昔はたびたびこの家を訪れていた一郎兄さんがこの家を訪れてこなくなった頃。

 ちょうどその頃、親父は車椅子が必要な体になっていたのだ。



 書斎で一人、兄さんたちのアルバムをこっそり広げていたところも実は見ていた。

 神佑地を荒らし、土地神を殺した。

 そんな一郎兄さんたちを殺す依頼を受けたのは家のため、ひいてはおそらく後継者となる俺のため。

 扇家当主としては、あれほどの大罪を犯したものを我が子とはいえ見逃すことは出来なかった。

 そもそも土地神殺しは大罪。

 親兄弟、親族郎党に至るまで、その罪に連座させられてしまうことだって珍しい事ではないのだから。

 


 そうなることを防ぐため、これ以上の傷を扇家という名の上に残さないため。

 冷淡とさえ思えるほどに諾々と子殺しの依頼を受けて、冷酷な当主の顔を演じていた。

 だけど結局、俺が依頼通りに無惨に遺体を残さなかったことも、札を割らずに持ち帰ったことも、咎められたことは一度もない。

 六郎兄さんを本家で引き取ると言った時も、まったく反対はしなかった。

 それどころか、扇家のまじない師や医療団に、それとなく采配をしてくれていたことも知っている。

 …当主という地位を離れた親父は、案外子ども好きな父親なのかもしれない…。

 そんなことを思いさえした。



 親父の読み通り、上の兄たちを俺が殺してみせたということで、扇家はそれ以上の罪を問われることはなかった。

 むしろ、実の子、実の兄でさえその手にかける一族だということで、一層畏怖のまなざしで見られるようになっていった。

 誰も俺たちに何も言いはしない。

 裏会幹部。

 発言権のある竜姫さんもぬらさんも、親父とは旧知の仲。

 …だからもう、扇家としてはこれですべてが終わったことになっていった。




 そうして親父が戻ってきた兄さんをこき使っているうちに、なんとなく兄さん自身もゆるやかにこの家を居場所として定めていったようだった。

 元々の兄さんの部屋。

 昔から食堂で兄さんが使っていた椅子。

 そんなものが、再び兄さんの居場所へとおさまっていった。

 
 
 だけどもちろんもう俺は随分大きくなっていて、昔のように兄さんに面倒をみては貰えない。

 ―…おんぶぅ…。だっこぉ…。

 昔はただそうやっておねだりするだけで叶えられていた俺の願いも、今の兄さんには通じない。

 一緒にお風呂に入って天花粉をはたいてもらうこともできないし、頭を洗ってもらうこともできない。

 昔は早く大きくなりたかったものだけども、こうなると大人って損だななんて悠長なことを考えてしまう。

 

 それでも、俺がごねたら同じ部屋で寝させてくれる。

 俺が拗ねたら、俺がしたいようにつきあってもくれる。

 さすがに同じ布団で一緒に寝たいというお願いはもう聞いては貰えない。

 兄さんの布団に俺が寝たら、それだけでもう兄さんの躰がはみだしてしまうのだから。

 だけど、兄さんの部屋に、もう一組布団を持ち込ませれば。

 昔のように、兄さんの寝息を聞きながら穏やかな眠りの中へいざなわれていくことが出来るのだ。

 




 …だけれども。

 目の前で寝込んでいる兄さんのその寝顔を見つめる。

 紙のように白い顔。

 血の気を失ってしまっている唇。

 細かった手首が、より一段と細くなってしまったように感じられる。

 その手首を握り、温かな布団の中へと差し入れていく。



 最近の兄さんときたら、本当に不摂生の見本のような生活をしていた。

 朝早くから夜遅くまで、根を詰めて仕事をしている。

 食事の時間さえおろそかにして、流し込むようにご飯と汁物を飲みこんでいく。

 俺が用意させていた肉も鰻もその大半を残して、食べやすいものだけを口にしてさっさと食堂をあとにする。

 口を酸っぱくしてあれこれ苦言を呈していても、まったく聞く気さえない様子。

 

 …だからこんなふうに倒れてしまったりするのだ。

 あれだけ言っていたのに。

 …あんなにずっと心配していたのに。


 
 原因が原因だけに、俺もあまり厳しくは言えなかった。

 扇一郎。

 俺が殺した上の兄。その兄が犯した罪の残渣。

 扇家が管理している神佑地。

 一郎兄さんが壊し、土地神を殺したあの神佑地。

 それが不具合を起こしはじめた。

 その土地と新たにすげさせた神との相性。

 そこに僅かな齟齬が生じた

 …そんなものが、後々の禍根の元になることもある…。



 その後始末を買って出たのが兄さんだった。

 かつては扇一郎の一部でもあったことを、今でも気に病んで責任を感じている。

 ―…あれの好きにさせてやれ…。

 内々に、親父からもそんなことを言われていた。

 だから俺も最初の頃は静観していた。

 …兄さんが、あんなにも根を詰めてしまうまでは。



 だけど、もう。

 ここ最近の兄さんの頑張りのおかげで、随分危機的な状況は回避できている。

 一通りの采配は済んでいることも知っている。

 これから以後の手配の中に、六郎兄さんがしなければならないことは含まれてはいない。



 だから今日こそは言ってやる。

 ―…不摂生のしすぎだと、俺はあれだけ忠告したでしょう。

 ―…だから兄さんの躰がよくなるまで、仕事はもう禁止。

 

 そう言ってやるのだ。

 そうして俺が準備をさせた栄養満点の食事をとってもらう。

 残したりするのは許さない。

 朝は早く起きてもいいけど、夜は早く寝ること。

 そんなことを言ってやるのだ。

 なんならしばらく俺がこの部屋に泊まって、兄さんを監視したっていい。



 そんなことを考えながら、枕元に座したまま兄さんの目が覚めるときを待つ。

 兄さんが寝返りを打つたびに乱れる毛布をととのえていく。

 すでに太陽は随分と傾き、部屋の中ほどにまで夕日が射しこみ始めている。



 ―…夕飯は、きっちりと食べてもらう。

 ―…今夜は早く寝てもらう。



 兄さんに言うべき台詞を考える。

 先ほど差し入れた小さな手首が、またころんと布団の外へと転がり出る。

 その指先がかすかに動く。

 …もうじき、目覚める…。

 正座をし直す。

 居住まいを正す。

 今日こそは言ってやる。

 一言苦言を呈してやる。

 俺の口から、あえての苦言を。

 兄さんより7つも年下の、俺の口から。



 兄さんのまぶたがかすかに動く。

 うっすらと開かれていく紅くて綺麗なその瞳。

 その瞳がくらりと揺らぐ。

 室内の様子をぼんやりと見つめはじめる。

 「…七郎…」

 俺の名前を呼ぶその不思議そうな声が、それでも俺の耳に優しく響いていく…。
 
 



 







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