結界師二次創作「兄さんと僕。その9」
□片恋
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「ほら、これ。チョコレートケーキ」
そう言いながら良守が目の前に大ぶりの箱を寄せ、中身を開けてくる。
「美味しそうだね。チョコレートもたくさんかかってる」
微笑みながら、そのケーキを見つめる。
たっぷりのチョコレートが掛けられているザッハトルテ。
表面を覆う綺麗なチョコレートが、まるで鏡のようだった。
「チョコレートがたくさん余ってたからなー。使い切らねぇと」
「そうなんだ?これってもしかして、バレンタイン用のチョコレート?」
これだけの量。そしてチョコレートケーキ。
おそらくそうなんだろうと見当をつける。
「…兄貴のやつ、あれだけ家に帰ってこいって言ってたのに、結局バレンタインの日には帰って来なかったんだ。だから」
「…それで余ってたんだ」
なんとなくしんみりとする。
「しっかり食えよ、七郎。やけ食い用に、でかい奴焼いたんだから」
「…そうだね。僕もバレンタインは撃沈だったから」
「…七郎んとこも7つ差だっけ。いい加減あいつらに、ガキ扱いもやめて貰わねぇとなー」
ぶつぶつ言いながら、良守が席に着く。
持参のケーキを8つ切りにして、銘々の皿に二切れずつ載せていく。
「んじゃ食おうぜ。七郎は珈琲でいいんだろ。俺はコーヒー牛乳の方な」
使用人が運んできたお茶を、良守が取り上げてそれぞれに並べる。
「そこはカフェオレでいいんじゃない?」
笑いながらフォークを手にする。
最近はなんだかんだと、こうして良守とお茶をする機会が少なくない。
お茶請けは良守が持参するから、こちらはお茶を用意しておけばいい。
使用人も下げておけばここには誰も来ないから、気軽にあれこれ他ではできない話が出来る。
同じ悩み。
特殊な家系。
それを、思う存分に話せる相手がいるのは俺にとってもありがたい。
きっと良守も同じように思ってくれているんだろうなとそう思う。
もしかしたら俺にとって良守が、本当の意味で初めての友人になるのかもしれない。
「うん、美味しい。…これを食べないなんて、正守さんも勿体ないね」
正直に美味しい。
材料も作り方も吟味しているのだろうということが伺える。
「だよな。兄貴だって、甘いものとか好きな癖に…。帰って来たらたくさん作ってやるって言ってるのに、全然帰って来やしねー」
ぶつぶつと良守がカフェオレを傾ける。
「こないだだって、土産に大福買って帰って来たからさ。明日はケーキ焼いてやるよ!って言っといたんだ。…なのに朝起きたらいやしねー」
「…きっと仕事で忙しかったんじゃない?夜行と裏会、両方だろ?」
一応慰めの言葉を口にする。
正守さんて本当、気が利かないにも程がある。
「それはそれで心配なんだよな…。夜行も裏会も、綺麗な人が多いじゃん…」
わかりやすく良守がへこんでいく。
「夜行なら俺だって入り浸れるけど、裏会はなかなか行くことが出来ないから、心配になるんだよな…」
がりがりと珈琲カップの縁をかじっている。
「…やっぱさ、兄貴のいる世界って、大人の世界じゃん。…あんなに大人な刃鳥さんとか、亜十羅さんとか…。皆、兄貴の部下なんだもんな…」
「…あぁ…」
一瞬、春日さんという女性の姿も脳裏に浮かぶ。
だけど口にはしない。
「正守さんは、裏会の幹部でもあるからね…。本当に忙しいんだよ」
「やっぱり、俺なんかてんでガキにしか見えてねぇんだろうな…」
「そんなことないだろう。あの戦いの中で、良守がいなければ危なかったって兄さんも褒めていたよ」
兄さん。
…俺のことは褒めてくれたりしなかったのにと、多少拗ねたことも口にはしない。
「夜行はともかく、裏会のことは俺もあんまり知らねーもん」
「裏会なら、兄さんも詳しいよ。聞いてみようか?」
「…俺だってそう思って六郎にも聞いてみたけどさ。正守は周囲とうまくやっている、皆正守を評価してるって言うんだぜ。…より心配になるっつーの」
眉間にしわを寄せて宙を睨んでいる。
きっと良守が聞きたかったことは、そう言う事ではないのだ。
兄さんはこういう恋心の機微には疎い。
―…知っていたけど。
―…身を以て知ってはいたけど。
―…せめてもう少し、俺たちの気持ちについて理解してくれてもいいんじゃないかと思うのだ。
「七郎は?お前もバレンタイン撃沈ってさっき言ってたろ。どうだったんだ?」
「どうもこうもないよ。チョコレートケーキを買って帰ってたのに、今日は甘い物の気分じゃねぇって、目の前で干し芋食べられた」
「ひでぇ!干し芋だって甘いのに!」
「だよね!?だったら僕のチョコレートを食べてくれたらそれでいいのにって思ったよ!」
思わず力が入る。
そうだ。
どうしてバレンタイン当日に限って、そんなものを食べたりするのだろう。
…まぁ、普段から確かに兄さんは洋菓子より和菓子を好む。
だからといって、せっかくのバレンタインなんだから、一日くらい弟の希望を聞いてくれたっていいのにとそう思うのだ。
「…本当に、気が利かない人なんだから…」
ぶつぶつと愚痴をこぼす。
相手が良守なら悩みも同じだから、話していても気兼ねがいらない。
「…僕だってもう18だしね…。親戚連中から、矢のようにお見合いの紹介が来るんだ」
「あー…。だよなぁ。扇家当主って大変そう」
「父さんも、早く相手を決めろなんて言ってくるし…。相手ならもう、産まれたときから決めているっていうのに」
唇を尖らせる。
「その相手が六郎でもいいものなのか?それって」
「扇家はね。より力の強い後継者を残すことが何より大事な家だから。親子でも兄弟でも構わないんだ、実は」
「…男同士でも、問題ねぇの?」
「うちのまじない師も医療団も優秀だから。…兄さんと俺の精子を使って子どもをつくることぐらい、簡単にできる」
「まじかー…。そういやお前のとこ、肉体融合の術だのなんだの、そういう方面の技術って発達してるんだっけ」
「元々、後継者問題がどうこうってときに発展している技術だから。祖父と孫、なんて事例だって珍しくはない」
「…うちも見習いてぇな…」
「君のところは、まだ下に弟さんがいるんだろ?…うちはもう、兄さんと僕の二人きりだから…」
そう。あとは全員俺が殺してしまった。
そのことをしんみりと思い出す。
「…それで子どもが出来るっていうんなら、…あの…、夜の生活みたいな…、そういうのはしねぇの…?」
おずおずと良守が問いかける。
良守もそういう年頃だから、こういうことに興味があるのだろう。
もちろん俺もだ。
「…僕はもちろん、したいと思ってる。兄さんの躰のすべてをこの目に焼き付けて、一つに結ばれたいって思ってる」
「それって…、どっちが抱かれる方…?」
「…出来ればだけど…。兄さん…」
ちょっと俯く。
すでにもう俺の妄想の中では、何度もそんなことになっている。
あの細くて白い腕が俺の首筋に回されるところまで、まるで現実であるかのように想像しているのだ。
「…そっか…。俺は…、どちらかというと抱かれたいほう、かも…」
「そうなんだ?」
一瞬意外に思ったけれども、よく考えたら正守さんと良守の体格差も半端ない。
確かに、正守さんを良守が抱いている構図というよりは、正守さんが良守を抱いている構図という方がしっくり来るような気がする。
「兄貴の胸板とか、結構逞しいじゃん。…そこで抱かれて朝まで眠りたいとか、あの腕に抱きしめられたいとか…。結構思ってる…」
良守が、冷めたカフェオレをごくりと飲む。
「坊主だし、髭だし…。あの頭を撫でながら結ばれたらサイコーとか思ってる。自分でも趣味悪いって思うけどさ」
「いいんじゃない?人それぞれだし」
「七郎は?六郎とやっぱり、そういうのとか考えたりしてるのか?」
「してる。…兄さんを抱きしめて、着物を脱がせて、キスして…みたいなの…」
「そっか。やっぱり考えることって同じだよなー」
良守がうんうんと頷いていく。
「でも、全然相手にしてもらえてねー」
不機嫌そうにそう話す。
「あいつ、俺がガキの頃から知ってるもんな…。7つ差ってのが恨めしい」
自作のケーキをフォークでがすがす突きながら、口に運んでいる。
「僕は7つ差で良かったかも。…僕の世話をするために、兄さんがつきっきりになってくれていたわけだから…」
そうだ。
俺が兄さんを好きになっても仕方がないくらい、兄さんは俺の面倒を見てくれていた。
だったら最後まで責任を取ってほしい。
俺と添い遂げて、一生俺の傍にいて欲しいのだ。
今更あの手を離すことなんて、俺には出来ない。
「六郎は優しいもんなー。夜行の子どもたちも懐いていたし。…七郎ももてるじゃん。告白したらうまくいきそうって実は思ってる」
「全然だよ。…兄さん大好き、愛してるって何度も言ったけど、うるせぇガキって返ってきて終わり」
「…手強いな、六郎」
「中途半端に優しいから、期待しちゃうんだよね。疲れてるからって頼んだら膝枕もしてくれるし、頭を撫でてって言ったら撫でてくれることもある」
「…それいいな!俺も今度兄貴にやってみる!」
「でも、告白しても無視だし、機嫌が悪い時は口もきいてくれない」
「兄貴も一緒だよ。…あいつの方が性質悪い。機嫌が悪くなったら家に寄りつきもしやしねー。…その点七郎は良いよな。同じ家に住んでるわけだから」
「だからこそ、劣情を抑えきれなくて困ってるんじゃないか」
ぷくりと膨れる。
着物姿の兄さんなんて、本当に無防備だ。
普段の着物でも、可愛いお尻の形とかすごく良くわかるのに、寝間着にしている着物だけで歩かれたらもう堪らない。
薄手の白い着物一枚だけで、目の前をふりふりと歩かれているのに触れないもどかしさ。
ついふらふらと手を伸ばしそうになって、触れるだけじゃ我慢できなくなると自制するのも大変なのだ。
「…なるほど…。確かに生殺しも辛いな…」
良守が気の毒そうに頷いていく。
「そもそも六郎、そういうのに興味ありそうにもないしなー」
「…そこなんだよね…。兄さんの好みとか、どうしたら好かれるかとか、全然わからなくて困ってる」
「…とりあえず、子どもには優しいぞ。多分」
「恋愛感情とは無縁じゃないか。俺だって、子どもの頃に戻れるのなら戻りたいよ」
「確かに。七郎、六郎よりもう随分大きいもんな…」
しみじみと言われてがっくりと肩を落とす。
「兄さんは優しいから、俺が甘えると甘やかしてくれるし、頼ったら頼らせてもくれるんだ。…でも、自分から俺にどうこうしてくれたりはない」
「七郎が一人前だからじゃないか。だってもう扇家の当主なんだろ」
「一人前になれたと思うからこそ、兄さんと一緒になって結ばれたいと思うんだよ…」
ぺしょんとへちゃげる。
「そっか。…俺も早く兄貴と結ばれたいとは思うけど…。兄貴次第だからなーこればっかりは」
「良守の方が希望あるんじゃないの?正守さん、君には甘いし」
「どうかなー。…昔っから俺、兄貴の気を引きたくてケーキ作ったりパフェ作ったりしてるんだけど、ここ最近は仕事を理由に帰って来ねー」
「良守のお菓子作りって、きっかけは正守さんなんだ」
手元のザッハトルテを思わず見つめる。
「兄貴、甘いもの好きな癖に昔は表に出さなかったんだよ。…だから食いそびれることも多くてさ。じゃあ俺が食わせてやるよ!って思ってた」
「そうか…」
そう思えば、このケーキも感慨深い。
バレンタインにも帰って来ない正守さんが、酷い男に見えてしまう。
「…お互いの気持ちが、早く通じると良いね…」
ぱくりとケーキを頬張る。
「まったくだよ。あの鈍感兄貴っ!」
良守も、自分の皿の上のケーキを空にする。
「残りはあとで食えよ。…ほら、なんなら六郎とさ」
「ありがとう。いただくよ」
「んじゃ、そろそろ帰るわ。また寄らせてもらうな」
「いつでもどうぞ」
苦笑しながら良守を見送る。
結局、互いにお互い以外には、こうした話が出来やしないと知っているのだ。
良守が帰った後で、兄さんの部屋の扉を開ける。
「…何の用だ…」
不機嫌そうに頬を膨らませる可愛い人に、最上級の笑顔を向ける。
「良守が、ケーキを作って持ってきてくれたんだ。兄さんとどうぞって。…一緒に食べよう?」
「良守?来てるのか?」
兄さんが小さな腰を浮かしていく。
―…普段の俺の誘いはけんもほろろに対処するくせに。
―…兄さんにとっては良守も子どもの範疇に入るからかどうなのか、良守には優しい…。
心の中で拗ねてみせる。
「とりあえず、お茶にしよう…?」
兄さんを誘う。
先刻あのザッハトルテを二切れも食べた後だけれども、兄さんと一緒なら、俺はなんだっていくらだって食べられる。
「…そうだな…。丁度小腹も空いたしな…」
とことこと俺の後をついてくる兄さんの姿に、ついつい頬が緩んでいく…。
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