結界師二次創作「兄さんと僕。その3」

□迷い道
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 決裁済の書類を持って、その部屋を訪れる。

 毎度毎度…俺がこの部屋を訪問するたびに見舞われる居心地の悪さ。

 今日もまた、それを味わうのだろうとわかってはいるけれど、…それでも微かな希望を捨て去ることが出来ない。



 「…これは…七郎様…」

 いつものように…扇家調査部門室長が、困ったような笑みを浮かべて俺を出迎える。

 「おっしゃっていただけましたら…こちらから、出向きますのに…」

 恭しく、奥の応接間の方へと俺をいざなう。


 
 そっと差し出される熱い茶を手に取り、一口飲む。

 決裁の終わった書類を、室長に手渡す。

 一通りの、決まりきったそのやりとりを終えて。



 「…ところで…。今日は、兄さんは…」

 そう、切り出す。

 兄さんは、そもそもこの調査室の人間ではない。

 扇家直系一族であるという兄さんのその立場は、どうあっても変わることがない。

 ただ…兄さんは、その仕事の性質上、この調査室とは関係が深い。

 いつもこの部屋や奥の書庫に入り浸っては、色々なことを調査している。

 所蔵されている資料を閲覧したり、長く勤めている使用人から話を聞いたりもしているようだ。



 だから俺は…兄さんが、元気にしている姿が見たくて…。

 それで、この調査室にだけは…自分の手で、自ら決裁済書類を持って足を運ぶようにしている。

 もちろん…ここ以外の他の部署の決裁済書類は、紫島経由で使用人の手に渡っているのだが。



 いつもと同じ俺の質問を受けて、室長の目線が下を向く。

 「…先ほどまでは…そちらにいらしたのですが…」

 いつもいつも…この室長も、いたたまれない思いをしているに違いない、とは。

 項垂れているその姿から、たやすく見てとれる。

 「いつくらいまでいた?」

 「2時間くらい前、でしょうか…」

 「そう…」



 もう一度、少し冷めた湯呑を手に取り…ぬるい茶を一口飲み込んでから。

 「…元気そうに、しているようだった…?」

 「ええ…それはもう…」



 俺の前だから…そう言わざるを得ないのだろう、とも…わかっている。

 あの兄さんのことだ。ここでどういう態度をとっているかは、容易に想像できる。

 口数が少なく、表情も乏しい。

 いつも眉間にしわを寄せているイメージ。

 この部屋の中を我が物顔で動き回り、他人に頓着しない。

 自分の知りたいことだけを調査して…しかしその調査内容については口を割らない。

 何を調べているのかも知らされず…自分の答えた内容が、それでよかったのかも知らされず。

 意見をすることが出来る立場の人間は、ここにはいない。

 この室長でさえ…普段なら、兄さんに直接話しかけたりすることができる立場にはない…。

 あの人に意見をできる立場の人間は、俺だけ。

 扇家の中で…ただ、俺と…。せいぜいは、引退した親父だけ…。

 親父はもうすっかり隠居をしていて、こうした表舞台に出てくるようなことはない。



 …その俺ですら…。

 こうして、あの人の顔を見ることすらままならないことを…この部屋の人間は熟知している。

 兄さんがさぞかし扱いづらい人であろうとは、俺だって充分に承知している。

 他人を受け入れない…。

 かといって…自分を誇大に強調し、尊大な素振りを見せつけてくるわけでもない…。

 ただただ…自分に触るな、構うな…と。

 その全身で伝えてくるだけ…。


 
 この室長の態度を見ても、兄さんには当たらず触らず…。

 腫れ物に触るように扱っていることは…ひしひしと伝わってくる。



 「元気そうにしているのなら良かった。何か変わったことがあったら、すぐ僕に伝えてください」

 「ええ…それはもう、すぐに…」

 愛想笑いを浮かべる室長に…ずっと顔に貼りつかせたままの笑みで応える。

 兄さんが嫌がる…俺のその作り笑い。

 だけどもう…これは7歳の頃からずっと、俺の習慣だ。

 今更、覆せない。



 「では…」

 軽く挨拶をしてその部屋から退出する。

 ぱたんと閉じられた扉の向こうから、部屋の人間が一様にほうっと緊張を解いている気配が伝わってくる。



 ―あのご兄弟は…、などと心のうちで思っているのだろう。

 表だってそれを口に出すことは、許されてなどいない。



 それにしても…、とため息が漏れる。

 本当に兄さんの調査能力は優れている。

 誰に何を聞いているのか…どうやって調べているのか。

 俺の仕事が一段落して、…決裁したその書類を、あの部屋に届ける時間帯を…よく知っている…。

 大抵いつも、…数時間前まではいらしたのですが、という言い訳を聞かされる。



 それとも。

 本当は兄さんは、あの部屋のどこかに隠れていて…。

 そうでなくても、俺の来訪をあの部屋の人間から聞かされて…。

 それで…あの部屋の使用人たちが全員で兄さんに協力をして、…俺と顔をあわせなくてもすむように仕掛けてでもいるのか…。



 最近ではそんな、あるのかないのかもわからない…そんな妄想に憑りつかれてさえいる。

 ―もし本当にそうだったら、…あの部屋の人間を一人残さず全員許さない、と感じ…。

 ―そのくらいに、兄さんが他人と打ち解けられているのなら…俺との関係だって、きっとこれから改善していくに違いない…、という微かな希望を感じ…。



 妄想の中ですら、こうして俺は自分で自分の心を制御することが出来ないでいる。



 同じ屋敷に住んでいるはずなのに。

 二人きりの兄弟である、…そのはずなのに。



 兄さんの方が、とことん俺を避けようと決めていたら…こんなにも、顔を見ることすらままならない。

 兄さんの部屋がある棟の方へと足を運び…。

 …そこで竦んでしまう足を、それ以上は動かせないでいる。



 他の…どうでもいいような、使用人たちから…。

 口づてに、兄さんの安否を確認する日々。



 心の中がささくれだってくるのを感じる。

 そこにいてくれもしない兄さんが…こうしてその爪で、俺の心を抉り取っていく。



 どうしてこうなってしまったのか…。

 どこから、俺は…兄さんは…。一体何を、間違えて…。

 ぐるぐると頭の中が掻き回されていく。



 …乱雑な口調でもいい。

 ぶっきらぼうな態度で全然かまわない。

 不機嫌そうなその口調で、−七郎、と…。

 俺の顔を見て、…俺の名前を呼んでくれさえしたら、ただそれだけで。



 たったそれだけのお願いくらい、きいてくれたっていいじゃないか…。

 …たったそれだけのお願いですら、叶わないくらい…。

 俺はどこで…一体何を、間違えてしまったというのだろう…。



 俺が当主後継に選ばれたあの日が、その分岐だったというのなら。

 
 そんな、抗う事の出来ない運命なんかのことで…俺がこんな想いを強いられるのは理不尽だ。



 目の前にいない兄さんに…憤りを感じる。

 …目の前にいてくれない…ただそれだけの理由で。



 俺はどうしたいのだろう。

 兄さんに会って、顔を見て…それから。

 上の…もう死んでしまった、…俺が殺してしまった兄たちには、何一つ…感慨ひとつ、抱くことなどないというのに。

 兄さんにだけは。

 ただ一人…六郎兄さんにだけは…。

 飽きることのない妄執を、こうして抱き続けている。

 …その呪力から逃れ出すことが、出来ないでいる…。


 
 俺は、兄さんにどうしてほしいのか…。

 
 名前を呼んで…顔を見せてくれて…それだけで、本当に俺のこの執着は満足するのだろうか。

 …それ以上に何か…俺は兄さんに対して…何か…。




 頭の中で警戒音が鳴り響く。

 これ以上踏み込んではいけない…何も考えてはいけない…。

 与えられない愛情を…求め続けていてはいけない…。



 …ふわり、と宙に身を浮かせる。

 そのまま、高く高く…。

 誰もいない、空の上へと…。

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