結界師二次創作「兄さんと僕。その3」

□曖昧
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 とんとん、と小気味よい音を立てながら、良守は家路へと急ぐ。

 今日、この金曜日から3日間、良守が暮らす墨村家は、良守一人の城となるのだ。

 ―…早く、帰らなきゃな…。

 はやる心が押さえられない。

 ―…家に帰ったら、この週末は…。あの、新作チーズスフレを試してみて…。それから、あれも…。

 いつもいつも、頭の中でだけ試作を重ねていたそれらの菓子を、祖父の気配を窺うこともなく、思う存分作ることが出来るのだ。

 ―…じじいが町内会の旅行に行っている今こそがチャーンス!

 ―…それにあわせて、父さんと利守まで親子宿泊研修とやらへ出掛けちゃったのは痛いけど。

 試食をさせる相手をどうしよう、と考えて。

 頭に浮かんだ…とある人物の姿をかき消すように、良守はふるふると頭を振る。

 ―…あんなやつ…!

 ―…自分勝手で我儘で…何を考えているのかもわかんないようなやつ…!



 無意識に、右手を見やる。

 良守の右手のひらには、白い肌がきれいに指先まで伸びている。

 …染みひとつない、その肌を見て…。

 一瞬、良守の意識がふっと彼方へと飛ばされる。



 ―…もう全部…終わったことなんだ…。



 ぎゅ、と固く右手を握り締め…良守は足を急がせる。



 「たっだいまぁ!」

 誰もいないと知ってはいるけれど、いつもの通りにそう声を張り上げる。

 「あぁ、お帰り」

 だから、思いがけないところから発された声に戸惑ってしまう。

 「…なっ!?」

 にやり、と。

 何を考えているのかわからない顔で…すました作り笑いが良守を出迎える。



 「なんでお前がここにいるんだよっ!」

 「父さんに頼まれてね。…お前が3日間一人になるから、家にいてやってくれって」

 嘘めいた笑いを顔に張り付かせたまま、にこやかに兄の正守がそう告げる。

 「まあ、お前が一人っきりなんて、…俺も心配だしね。…早く家に、あがったら?」
 

 にやにやと笑いながら、そう促す。

 

 良守は、この兄の正守が少しばかり苦手だ。

 ―何を考えているのか、自分にはよくわからない。

 ―自分だけではなく…割とみんな同じことを言っているから…。本当に、こいつはわかりにくい性格なんだろうと思う。

 ―それに…。


 
 ばんっと勢いよく玄関の扉を閉める。

 玄関の上り口へと足をかけたとき。

 「…お帰り、良守…」

 ふわりと…。先ほどと同じ台詞を、そう耳元で囁かれる。

 「…ただいま…」

 唇をとがらせて、そっぽを向いて…小さな声で、そう答える。

 ―…確かに苦手ではあるけれど…嫌いなわけじゃあ、ないのだ…。



 「…俺はこれからっ!台所へこもるからっ!!邪魔すんなよ兄貴っ!!」

 「はいはい…。邪魔はしないよ。…作ったら、俺にも試食させてよ」

 「…う…まぁ…。お前が食いたいんなら…食わせてやってもいい…」

 「何作るの?」

 「…チーズスフレ…」

 「楽しみにしてるよ」

 そう言って、ひらりと姿を翻す正守を見つめる。

 この兄も、自分と同じように甘いものが好きなのだ。

 ―見かけによらず。



 自室へ荷物を置いて、菓子作りのための格好へと着替えていく。

 …菓子作りは、意外に衣服が汚れてしまうものなのだと良守は知っている。

 それでなくても、身なりは清潔に。

 誰に教えられたわけではないけれど…。それをずっと、守り続けている。



 ―…よし…張り切って作るか…!!

 先ほどまでのやる気に、何かがプラスされたような…そんな気力が良守の中にみなぎってくる。

 ―…試食させる相手が出来たから…ただ、それだけだ…。



 ぱんぱん、と両頬を強く叩いて台所に移動する。

 マル秘、と書かれたそのノートを取り出す。



 ―…クリームチーズ…。砂糖半分。卵黄、生クリーム、ヨーグルト、レモン汁…。

 ―…かき混ぜて…漉して…。

 ―…卵白に…残りの砂糖を、少しずつ加えて…。



 いつもなら、菓子作りの間は無心になれるというのに…今日は、どうにも集中できない自分を感じる。



 ―…全部、混ぜて…型に流して…。

 ―…温めたオーブンに、それを入れて焼く…。



 普段なら、出来上がりをわくわくしながら待ち望んでいるはずなのに…。

 ついつい居間の方を窺ってしまう自分に、良守は気づく。



 ―…普段いないやつが、いるから…。

 ―…普段いない兄貴なんかと…二人きりだから…。





 後片付けを終えて、良守はそのまま台所の椅子の上へと座り込み、ぼぅっとオーブンを見やる。

 いい匂いが、家じゅうに充満し始める。


 
 ピピ、ピピ、という軽快な電子音が鳴り響く。

 いよいよスフレが焼けたようだった。



 ―…焼けたら冷まして…。冷めてしぼんだら、このアプリコットジャムを薄めたやつを、上に塗って…。

 

 両手に鍋つかみをはめて、熱々のオーブンから天板ごとスフレを取り出す。

 途端に、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。



 ―…大成功、ってとこだな…!



 「できたの?」

 「…うわっ!」

 いきなり背後から耳元で囁かれて…両手の上の、熱々の天板が…良守の足の上へと崩れ落ちる。

 「…危ないっ!」

 逞しい両手で抱きすくめられ、厚い胸板に抱え込まれる。

 「…危ないよ、良守…。急に手を離したりなんかしちゃ…」

 耳元に…落ち着いた低い声が響く。

 「…お前が…!驚かせたりなんかするからだろっ…!」

 「ああ…驚いたんだお前…。それは悪かったね…」

 くすくすと…悪びれない笑い声が耳をくすぐる。

 「だけどほら、スフレは無事だよ?」

 見やる視線の先では、落としたはずの天板ごと、スフレがきちんとそのままの姿で、兄の結界に受け止められていた。



 「…焼き立てってさ…、膨らんでいて美味しそうだよね…?」

 「…冷めてから…ジャムを塗るんだよ…!」

 自分を抱きしめる腕が強くて…良守は、その腕の中から抜け出すことが出来ない。

 「…ひとくち…食べてみたいなぁ…」

 耳たぶに、唇が触れるほどの距離で…そう、囁かれる。

 「…好きにしたら…いいだろ…!いいから離せよ、兄貴っ!」

 「…そう…?お前がいいって言うんなら…頂こうかな…」

 くちゅ、と耳たぶに唇が押し付けられた後…ようやく、良守の体が解放される。



 ひょい、と結界からスフレを取出し、テーブルの上に用意されていた鍋敷きの上へと移動させてから。

 そして、いつの間にやら準備されていたスプーンで、焼き立てのスフレを一口分すくい取り味見をしている。



 「うん、うまい。お前、また腕をあげた?」

 「…レシピが…いいんだろ…」

 
 この兄に褒められることに、良守は慣れていない。

 そっぽを向いたままそう答える。

 

 「本当にうまいよ?…ほら…」

 あ?と振り向いた先で…自分が焼いたスフレを、兄が手にしているスプーンごと、口に放り込まれる。

 「な?うまいだろ?」

 「…当たり前だろ…俺が作ったんだから…」

 
 
 「冷めるまでまだ時間があるんだろ?父さんが夕食作って置いてくれてるからさ、先に一緒に食べようか」

 「…あぁ…」


 
 この兄の機嫌がいいと…なんとなく、良守は落ち着かない。

 もじもじしながら食卓へとつく。

 

 「最近さ、お前どうなの?ちゃんとやってる?」

 「何をだよ…」

 この兄の言い方は、どことなく何かを含んでいてそうで…。だから良守は、兄との会話は苦手だ。

 いつの間にやら…兄の思うがままの回答を、誘導されている…そんなこともしばしばだからだ。



 「学校生活とかさ…。修行とか」

 「…修行って…。今更だろ…」

 「烏森が無くなっても、妖しがいなくなったわけじゃないからね。…そんなんじゃお前、足元すくわれるよ?」

 「大丈夫だよっ!そこら辺の妖しなんかにゃ負けねえ!」

 「…ふぅん…」

 顔を赤くしながら反論する良守を見て、正守がにやにやと笑う。

 「学校生活だって…!ちゃんとやってる!」

 「そう?こないだ烏森の上を通ったけど、教室にいたのは式神に見えたなぁ…」

 にやにやと笑いながら、正守の眼が良守を見つめる。

 「…うっせぇ…!たまたまだ、たまたま…!」

 真っ赤になっている自分の顔を自覚して…良守には、正守のその笑い顔を睨み返すことしか出来ない。
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