「結界師」拍手お礼

□白雪ふる
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 朝食の席に着く、兄さんのその手を見やる。

 かじかんでいるのだろう、…白い手が赤くなっている。

 いかにも冷たそうな、その指先。



 こんなに寒いのに、どうして。

 湯を…使えばいいのに。



 この家は確かに古い家だし、昔の設備も多く残っている。

 だけど、それではあまりにも不便だから。

 使用人ですら湯を使えるように、内部は現代的に改築してあるのだ。



 …それなのに、この人ときたら。

 自室に近いからと、いまだに湯の出ない古い設備を使う。

 じゃあ新しい設備のある棟の、新しい部屋にうつったらどうか、と提案しても聞いてくれない。

 …その部屋の方が、俺の部屋にも近いのに。



 本人にその気はないんだろうけれど。

 …兄さんは冷たい水を使っているのに、と思いながら湯を使う方だって辛い…。



 兄さんのいる辺りも改築するのは、無駄遣いだから駄目だという。

 湯が出る設備があるのに、俺があえて水を使ったら呆れてみせる。



 それでいて…。

 かじかんだ指先に…はぁ、と息を吹きかけて。

 そうして温めている姿を、俺に見られるのは平気なのだから。

 本当に、兄さんときたら我侭だ。



 兄さんの隣に椅子を移動する。

 小さくて冷たい両手を、そっと俺の両手でくるみこむ。



 「邪魔だ七郎。何やってんだお前」

 呆れたように、紅い瞳が俺を見上げる。

 「手が…冷たそうだなって」

 構わずぎゅ…と握り込む。

 「今朝は一面雪景色なのに。…寒い日だけでも、俺の部屋に来たらいいのに」

 …本当に…毎晩だって来たらいいのに…。

 真っ直ぐに兄さんをみつめる。

 「なんでわざわざ。俺の部屋があるのに」

 「あんな…寒い部屋」

 エアコン一つ、ついていない。

 昔ながらの建物ではあるけれど、きちんと改修してしまったから。

 …気密性が高くなって、すきま風が吹き込まなくなった分。

 逆に危なくて、兄さんが好んで使う火鉢や囲炉裏テーブルは置くことができない。

 がらんとした寒々しい部屋。

 布団だって…。

 もっと暖かな一揃えを使って欲しいのに、兄さん本人が要らないと言う。

 せっかく揃えたその布団も、客用布団として仕舞い込まれてしまっている。



 …遠慮なのか、それがこの人の自然体か。

 見ている方が、はらはらする。



 握っていた手が払われる。

 「…ちゃんと自分の場所で食え。行儀が悪いぞ」

 俺の手を払いのけたその場所に、使用人が朝食の皿を並べていく。



 …気配を察知しろよ、お前らも…。

 思わず、使用人の後ろ姿を軽く睨む。

 我ながら、それが理不尽な言い分だとはわかってはいるけれど。





 朝食のあと。

 ふわりと町へ降りていく。

 あの、我侭な人に。

 …自分自身のことを、ちっとも顧みてくれたりしない人に。

 …せめてもの…。



 昼食前に、兄さんの部屋を訪れる。

 相変わらず冷え冷えとしたその部屋の片隅に、目指す愛しい人がいる。



 「お邪魔するね、兄さん」

 「…入る前に言え…」

 「珍しいね…画集?」

 兄さんの目の前の卓には、古ぼけた画集が広げられている。

 「せっかくこれだけ積もったからな…」

 見やると、確かに開かれたページには雪景が描かれている。

 しんしんと雪の降り積もる日本庭園か。



 ぼぅ…と窓の外を眺めながら、時折手元の画集に視線をおとす。

 そうやっている兄さんの姿は…。

 窓の外に広がる雪景色に、今にも融けてしまいそうなほど儚げで。



 …思わず、後ろから抱きしめる。

 「…おい、邪魔するな」

 「こんなに、冷えてるのに…」



 持参した電熱ストーブをつなぐ。

 先ほど買ってきた荷物を広げる。



 「…おい…だから邪魔するなって…」

 「邪魔じゃないよ」

 きっぱり断言する。

 兄さんの肩に、暖かな猫柄の肩掛けをかける。

 綺麗な正座の膝の上には、暖かなひよこ柄の膝掛けを。

 それから足元に、うさぎ模様がプリントされたカバーをまとった、湯たんぽをひとつ。



 それから…。

 ふわふわの耳当てを、兄さんの耳に。

 くるりと頭ごと包むデザインだから、多少動いたってずれたりしない優れものだ。



 それから…。

 俺自身の体で、兄さんを背中から抱きしめる。



 「おい、いい加減にしろって!」

 冷たい両手を握りしめる。

 「だって、あなた寒そうだから」

 小さな小瓶を取り出して、その中身をすくいとる。

 それを、兄さんの小さな両手に揉み込んで。

 …小さくて、柔らかくて…気持ちのいいふくふくとしたその手を、握りしめる。



 「ハンドクリーム。…これは、かじかんで荒れた手に効くやつだから」

 そのままじんわりと、兄さんの細くて小さい躰を包み込む。



 「…ほら…こんなに冷えてる…」

 「本が見れないだろ。いいからどけって」

 「嫌だ…どかない…」

 より一層、兄さんの躰にまとわりついていく。

 耳当て越しに、兄さんの首筋に唇を寄せる。



 「この寒い部屋で。…あなたが凍えてると思うだけで。…俺が我慢出来ない…」

 ぎゅうっと抱きしめる。

 「全部、兄さんのために俺が選んだんだ。…だから兄さん、全部使って?」

 冷たい頬に、自分の頬を擦り合わせる。

 「なんなんだよ、お前…」

 呆れたように兄さんが囁く。

 「だって兄さんが酷いから。…だから俺が心配しちゃうんだよ」



 「本当にどけって。…お前重い」

 「兄さん酷い…」

 それでも渋々体を離す。



 「あと、これね」

 「…まだ何かあるのか…」

 うんざりしたような声にもめげず、兄さんの躰を俺の膝の上へと抱き寄せる。

 「おい…七郎もういい加減にしろ…」

 愚図る兄さんの手に、そっと白い手袋をはめる。

 「あなたが本を読むとき用に。指先がないデザインにしたから」

 細い足を持ち上げる。

 「あとこれ、足袋の上から履ける足袋カバー。ほこほこしてるでしょ」

 …ちなみにその足袋カバーは、ペンギンの足を形作っている。

 「全部、使ってね?」

 「要らねぇ…。自分の部屋に持って帰れ…」

 「ひとつだけなら…持って帰るよ…?」

 「ひとつって…沢山あるだろ」



 兄さんを膝に抱えたまま…。

 手袋をした兄さんの手を握る。

 「この、暖かな一揃えを兄さんが使ってくれるか」

 ―…それとも、と息を吸い込む。

 「あなた自身を…俺の部屋に連れて帰るか…」

 ぎゅ、と握る手に力をこめる。

 「どちらか…ひとつ…。兄さんが、選んで…」

 「どちらかって…お前」

 「本当は…あなた自身を俺の部屋に連れて行きたい。…暖かなベッドで…一緒に寝たい…」
 

 むぎゅ、と兄さんを胸の中で抱きしめる。

 「でも…兄さんが嫌だっていうから。…だからこの辺りで、あなたも俺に妥協して…?」
 

 …妥協してくれなかったら…本当に連れて行こう、俺の部屋に。

 こうして兄さんを抱きしめていてさえ、その着物の袖口や裾にたまってた冷たい空気を感じるのだ。

 あんな小さな電熱ストーブくらいじゃ…この部屋を暖めきることなんて、できやしない…。

 

 「…大体…なんで全部柄物なんだよ…」
 

 「兄さんに似合いそうだったから。…全部、俺が選んだんだよ…?」

 「俺の好みも考慮しろよ…」

 「だったら…今度は一緒に買いに行こう?」

 「これだけ買って…他に何を買う気なんだよ…。無駄遣いも大概にしとけ馬鹿」

 とすん、と兄さんが俺の膝の上から滑り降りる。


 
 「これだけあれば十分暖かい。…だから、もう他に買ってくるなよ」
 

 「ちゃんと使ってくれる…?」

 「気が向いたらな」

 「相変わらず素直じゃないんだから…」
 

 「黙れ」



 それでも多少、好奇心を抱いたらしく。

 手袋をはめたままの手のひらを…ひらいたり、握ったりして…。

 その感触を、確かめている…。

 足の指もわきわきさせて、窮屈でないかを確認しているご様子。



 その白い頭の上には…俺がつけた、ふわふわの耳当て…。

 …普段は兄さん猫耳だけど。

 これだとまるで、雪うさぎ。


 
 肩掛けは、動きやすい軽量タイプにしてみたし。

 ひざ掛けだって。座って本を読んでるうちには、邪魔になったりしないはず。

 湯たんぽだって…きっと温かいはず…。



 はぁ…と兄さんがため息をつく。

 「わかった…。…置いていけ…。あと、お前はもう出て行けよ」

 「…ここにいたら…駄目かな…?」

 「俺は静かに本を読みたいんだよ」

 「…静かにします…」

 ちろりと俺を睨んだ後。

 …ちっと軽い舌打ちの音を響かせて、兄さんがくるりと窓の方を向く。

 それから、また画集を見やり…。窓の外の景色を見て…。

 ぽかんと可愛い口をあけている。



 ぼぅ…とその光景を見やる。

 いくら見ていても飽きない。

 いつまでだって見ていたい…。



 ―…くしゅんっ!

 思いがけずくしゃみが出る。

 「だから部屋に戻ってろって言ったんだよ…。いいから部屋に戻れ」

 「嫌だ」

 「…ならこれでもかぶってろ」

 ひょい、と俺が兄さんに渡したひざ掛けが放られる。

 「これは兄さんの…」

 「俺はもう充分だ。…風邪ひくぞ、馬鹿のくせに」

 こちらも見ずにそう告げる。

 「兄さん…酷い…」

 「だったら部屋に戻ってろ。俺は落ち着いて本を見たいんだよ」

 「一緒に見ようよ。俺も見たい」

 「書庫にはまだあるぞ。…自分で探すんだな」

 「兄さんと一緒がいいんだよ…」

 「…静かにするんならな…」

 「するよっ!するする、静かにしますっ!」

 ―…ほら、と兄さんが。

 ものすごく不承不承に場所をあけてくれる。

 「ありがとう兄さんっ!」

 「…ちゃんとひざ掛けもかぶってろよ」

 「…一緒に…入ろう?」

 兄さんの躰にぴっとりと体を寄せる。

 大きなそのひざ掛けを、兄さんと俺の膝にかける。

 …さっきまで寒々しかった窓の外のその景色が…。

 いきなりまるで、春色模様に染まったかのよう。



 兄さんの可愛い指が、ページをめくっていく。

 柔らかな髪が微かに揺れる。

 …顔がどんどんにやけていく。



 「昼を食べ終わったら…。この本、居間で見よう?…庭が綺麗に見えるから」

 「…昼からならな…」

 「約束だよ、兄さん…」



 日の光が照り返す、窓の外の白銀の世界を…。

 兄さんと一緒に…幸せな心で、眺めていく。

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