「結界師」拍手お礼

□不機嫌
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 ―…あの…強情っぱり…!



 だんだんと床を踏み鳴らしながら、長い廊下を歩いていく。

 今回ばかりは本当に、頭にきた。

 俺がどれだけ心配しても、話をしても。



 ―…へぇ。

 ―…そうか。

 ―…お前がそうしたいんなら、お前だけそうしたらいいんじゃないか。

 ―…俺には関係ねぇよ。

 ―…お前は自分の好きにしたらいい。



 馬耳東風。

 のれんに腕押し。

 ぬかに釘。



 そんな単語が、煮えたぎった頭の中を埋め尽くす。

 呆れたような、小馬鹿にしているような。

 ちょっと面倒だなこいつ。そう感じている気配を、まったく隠そうともしていない。



 だん、と自室の扉を開ける。

 勢いよく開かれた扉が、反動でまた俺の手の中に戻ってくる。

 それすらが、益々の苛立ちを俺の中に募らせていく。



 どんとベッドに飛び込んでいく。

 大の字になって天井を見上げる。



 …いっそ閉じ込めてしまおうか…。あの、地下の部屋にでも。

 光も射さない座敷牢を思いだし…かすかに首をふる。

 あんな…暗くて狭くて、かび臭い部屋。



 眉間にしわが寄る。

 口元が固く引き結ばれていく。





 兄さんが、一人で出掛けるという。

 ―…修行してくるから、しばらく家をあける。

 それさえも、思い出したときのついでのように。

 ―…あぁそういえば…、という前置きを、確かに俺は聞いたのだ。



 集中したいから、一人で出掛ける。

 何処か適当な別宅でも借りるから。



 それだけ言って、一方的に会話を打ちきる。

 それでちっとも平気なのだ、あの人は。



 …先ほどの会話を思い出して…また怒りが込み上げてくる。



 「いきなり修行って。…俺も行くよ、一緒に」

 「お前は忙しいだろ。…邪魔になるからついてくるな」

 「邪魔はしないよ…!それに、使用人は連れていくんでしょう」

 「いや、それもいらねぇ」

 「いらない…?」

 「非常食や缶詰でも持っていく。…後はなんとかなるだろ」

 「あなた…一人で?」

 「最初からそう言ってる」

 「でも…何かあったら…」

 「そのときはそのときだな」

 「そんなの…!駄目だ、絶対に…!!」



 顔色を変えた俺をちらりと一瞥して、おもむろに席をたつ。

 「話はそれだけだ」

 「…兄さん…!」



 そこからは、会話になどならなかった。

 「誰も連れて行かないなんて、何かあったらどうする。食事だけじゃなく…世話するものが、いるでしょう」

 「…お前がそうしたいんなら、お前だけそうしたらいいんじゃないか。…使用人でもなんでも、好きなだけ連れて」

 「俺は兄さんが心配なんだよ…!」

 「お前がどう思おうと…俺には関係ねぇよ」

 「俺も一緒に行くから!」

 「俺は一人で出かける。お前も行きたいんなら、好きな時に行って来いよ。…お前は自分の好きにしたらいい」




 言い募れば言い募るほど。

 兄さんの紅い瞳が冷ややかになっていく。

 それから呆れたような、面倒そうな顔になり。



 それでもう、一方的に会話を打ちきり席をたつ。

 追いすがり、なだめすかし、懇願したけど駄目だった。



 何処に行くかも、教えては貰えなかった。

 使用人も連れていかないとなると、俺にはもう兄さんの行動は読みきれない。

 俺がどれだけ心配しても、怒っても。

 まったく意にも介していない、と言わんばかりに。

 自分の主張を貫き通す、あの強情な人。





 …やっぱり、もう一度。…兄さんと話をしよう。

 ベッドから体を起こし、兄さんの部屋へと足を運ぶ。

 いくらなんでも…使用人さえ連れて行かないなんて。

 身の回りの世話まで、全部本気で自分一人でやるつもりなのだろうか、あの人は。

 俺の心配ですら…気にもかけずに。

 このまま、自分の希望を貫き通すつもりなのだろうか。

 



 兄さんの部屋をノックする。…返事はない。

 構わず、いつものようにがらりと扉を開いていく。

 そこは相変わらず、がらんとしていて。

 ここで生活している人間がいる部屋には、とても見えない。



 ―…兄さんは…どこへ…。

 しばらく待ってみたけれど、戻ってこない。

 日が傾いてくる頃になって…急に不安になる。



 兄さんは…いつから、何処へ行くとは…。言わなかったのだ…。

 部屋を飛び出す。

 使用人をつかまえて兄さんのことを問いただす。

 …缶詰と、いくつかの非常食をお持ちになりました、というその言葉を聞いて…。

 急速に、俺の体が冷えていく。





 ひゅん、と空へと飛び出していく。

 兄さんは…いつ帰る、とも…。俺には何も、言わなかったのだ。

 空へと舞い飛び、上から兄さんを探す。

 すでに傾いていた日が…どんどんかげっていく。

 …兄さん…!!

 焦る心で。半狂乱になっていくら探しても。

 兄さんの姿は、どこにも見えない…。










 とん、と傍らに荷物を置く。

 当分、この缶詰と非常食で過ごしていくしかない。

 持ってきた荷物を点検し、部屋の隅へとまとめて置いておく。



 ―…さて、と…。

 微かに力をふるう。

 密閉された空間に、僅かずつ新鮮な空気を運んでみる。

 かび臭かった空気が、徐々に外の空気と入れ替わっていく。

 ―…この上か、横にでも…。風穴でもあけて、風の通り道を作るか…。



 おそらく、自分の力の使い方はこちらだろうと思う。

 強大な、圧倒的な力というものは。

 そもそも…自分の内には存在しない。

 ないものを、いくら究めようと思っても無理だ。

 だったら…。



 ―…繊細な…丁寧な…。

 制御力をもっと…もっとあげて…。

 そうした方向に力を向けていくのが、おそらく一番自分に向いている。



 そういった修行をするには、ここは実にうってつけだと思う。

 頑丈な建物。

 風通りの悪い部屋。

 ここに、通風孔のようなものを作れば。

 風の通り道を考えて、細く、穿つように力を使って。



 その経路について、最適な場所はどこかを見極める。

 立地。建物の形状。構造。建物本体に影響が出るようなことをしてはいけない。



 じっくりと考えて、少しずつ力をふるう。

 そのための修行。



 それにしても…、とそう思う。

 最近では、まるで自分の部屋であるかのように、七郎が乱入してくる自分の部屋。

 いつ七郎が乱入してくるかもわからないくらいで。

 落ち着いて、こんな時間を過ごすことが出来なくなっていたから。



 だから、誰にも邪魔されない時間が欲しくて。
 
 少しずつ、この場所を使用人に片付けさせた。

 埃をはらい、拭き清め。

 古くなって湿気を吸い駄目になっていた畳は、新しいものに替えさせた。

 朽ちていたものは片付け、随分とすっきりしたこの空間。

 ここで時間を過ごすために。

 すでに以前から、色々なものを持ち込んでいる。

 布団も、毛布も、座布団も、本も。

 暖を取るための火鉢と炭と。大抵の必要品は、ここに揃っている。



 ―…七郎も。まさか、こんなに近くにいるとは思ってないんだろうな。

 扇本家。その地下にある座敷牢。

 何十年も使われることなく、朽ちるにまかせられていたこの空間。

 訪れるものもいない、誰からも顧みられることのないその存在。

 

 ―…七郎がいない昼間にでも、風呂を使って。

 ―…足りないものがあれば、すぐに取りに帰ることが出来る距離。



 扇家が所有している別宅より別荘より。

 …ここが一番、七郎には盲点のはずだ。

 ―…本当にあいつは…足元をおろそかにしすぎだろう…。

 今度、そのことについてはきちんと言ってやらなければ。



 別段、七郎の存在を疎ましいとか思っているわけでもないが。

 …一人になりたい時間もあるのだ…。



 壁際の一点を見やる。

 ここに、穴をあけていけば。

 風で…削り取って。



 とりあえず、今夜は道筋を考えるだけにして、あとは明日。

 夜中に音を立てたりしていたら、せっかく潜んでいるこの場所まで気づかれてしまう。

 持参した非常食をあけてかじる。

 水筒の茶をこくりと飲む。



 あんなに図体ばかり大きくなって、まだまだ子どもの七郎にとっても。…これは良い修行になるだろう。

 いつまでも兄さん兄さん、と俺の後をついてくるようでは。あれではとても。

 きちんと、当主として。どこに出しても、親父が恥ずかしくないくらいに。

 ちょうどいい機会だ。

 七郎が、当主として自立するためにも。



 少しばかり、寂しい気もするが。

 きっとそれが、一番いいはずだ…。





 この部屋は地下にあるから、窓がない。

 …外の景色を、見ることが出来ない。

 何もない、無機質な壁を…なんとはなしに、ぼんやりと見やる。

 明日…。

 明日、使用人が働き出す頃。

 家の中が、それなりに騒がしくなる頃。

 …始めよう、自分なりの修行を。

 家を継いだ七郎にとっても。

 きっとそれが、一番役に立つに違いないのだから…。

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