「結界師」拍手お礼

□覚醒
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 ―どん、と兄さんが俺を突き飛ばす。



 目の前には、怖い顔をした沢山の大人たち。

 兄さんは俺より随分大きいけれど、それでもあの大人たちに比べたら、こんなにも小さい。

 兄さんの…その小さな背中を見つめる。



 「…いいから、お前は先に帰れっ…!」

 「嫌だ…嫌だよ兄さん…!」

 兄さんの着物にしがみつく。

 兄さんに突き飛ばされる。

 「…いいからお前はとっとと家に…!」

 突き飛ばされた拍子に、俺の足がバランスを崩す。

 その崩れた足を狙って。

 怖い顔をした大人たちが、攻撃を仕掛けてくる。



 「…危ないっ…!!」
 


 ―ざくりっ。



 濁った音をたてながら、兄さんの着物に赤黒い染みが広がっていく。

 「…早く…お前は早く家に帰ってろ…!」

 切られた腕はそのままに。

 それでも兄さんが、俺を背中に庇う。



 …目の前が赤くなる。

 世界が一面、渇いた赤に染まっていく…。












 その日は、兄さんと一緒にハイキングを楽しんでいた筈だった。

 六郎兄さんだけが、いつもこうして俺と遊んでくれる。



 ―…お前が小学校に入ったら、あんまり遊んでやれなくなるからな…。

 そう言って、最近は特にたくさん遊んでくれているのだ。



 ―…やだ、だったら小学校なんか行かない…。

 俺がそう駄々をこねると。



 ―…お前はちゃんと学校に通え…。それで、友達を作れ…。

 そう言って、いつも俺をたしなめる。



 だからこの日は。

 兄さんと二人で、弁当を持って遊びにきたのだ。

 おむすびと卵焼き、鶏のから揚げの入った弁当を食べて。

 デザート代わりにと持たされたクッキーを食べて。

 神社の近くにある湖で、たっぷりと水遊びを楽しんだ。






 空を飛んで帰ろうとした、そのときに。

 木陰から、何人もの大人が飛び出してきたのだ。

 …空を見やると、そこにも大人が。



 …どうして。

 一族以外に…風を操り空を飛べる人間なんて、いるはずがないのに…。



 「悪く思わないで下さいよ、坊ちゃんたち…」

 そう言って。ヒュン、と風を操り。

 そいつらが、兄さんと俺に攻撃を仕掛けてくる。



 兄さんが後ろ手に俺を庇う。

 取り囲む大人たちに、攻撃を仕掛けていく。



 だけど。



 …大人たちは、あまりにも沢山いて…。

 兄さんがいくら攻撃を仕掛けても、足止め程度にしかならない。

 …そもそも兄さんは、何故か人間の急所を狙わない。

 浅く切り込み、傷を負わせていくだけ。





 そのときはまだ、俺だって、…まさか本当に…。

 この大人たちが、兄さんと俺を殺そうとしているなんて、本気にはしていなかったのだ。





 だから…。



 兄さんの血に染まる着物を見て…初めて。

 大人たちが発している、その気配が…殺気なのだと知ったのだ。





 ―…よくも…兄さんを…。



 目の前が赤くなる。

 自分の体を中心にして、風が渦を巻いていくのがわかる。



 兄さんを傷つけた大人たち…その一人一人を睨みつけていく。



 ―…殺してやる…。殺してやる。殺してやる…。



 念を込めながら、力を放出する。

 自分の中にそんな力が眠っていたことさえ、俺は理解していなかったのだ。



 「…七郎!?…これはお前がやっているのか…!?」

 兄さんが遠くで叫んでいる。

 だけどもう、今の俺には敵しか見えない。



 …力をふるう。

 いくらにでも放出する。



 目の前で、大人たちが…。

 一人残らず、赤く膨れていく。



 「…七郎…!やめろ…!」

 ひきつれたような兄さんの悲鳴。



 …大丈夫。俺が兄さんを守る。

 今まで兄さんが、そうしてくれていたように。



 目の前の大人たちの赤く膨れた体が、端から塵になっていく。



 ―…乾け…もっと、もっと…乾いていけ…。



 膨れた大人たちの手足が消えていく。

 頭も体も消えていく。

 世界が、灼熱色に染まっていく。





 …そうして、ようやく全員の姿が消えてなくなったとき。



 兄さんが…。

 泣きながら、俺の体を抱き寄せてくれているのに気がついた。



 …もう大きいのだからと、最近では抱っこもおんぶもしてくれなくなったというのに。

 今はこうして、温かな胸の中に俺を抱きしめてくれている。

 両手で、俺の背中を抱いてくれている。



 ほんわかとした気持ちが沸き上がってくる。

 …兄さんは無事だ。

 俺の兄さんは、無事だったのだ…。

 俺が。

 兄さんの、役にたったのだ…。





 「…周りを見てみろよ…」

 泣きながら、兄さんが俺を促す。

 言われるがまま、くるりと周囲に視線を這わす。



 ………?



 なんだろう、これは…。

 さっきまで綺麗な景色だったその場所が。

 …一面、茶色に染まっている。

 木も。草も。

 茶色く立ち枯れてしまっているのだ。

 湖の水は…。

 あんなに、少なかっただろうか…?





 「…兄さん…」

 怖くなって、兄さんにしがみつく。

 「やだ…やだよぅ…。怖い…兄さん助けて」

 泣きながら兄さんにしがみつく。



 視界の中で茶色に染まっていないのは、もう目の前の兄さんだけだった。



 兄さんが俺を抱きしめたまま、ふわりと空へ浮かんでいく。

 兄さんの術は、本当に流れるように繊細だ。

 俺も真似をしたいのに…いつだって、うまくいかない。



 泣きながら、兄さんの胸にしがみつく。

 そんな俺の頭を、兄さんはずっと撫でてくれていた…。





 家に着くなり、兄さんが俺を部屋へと連れて行く。

 「…寝てろ。熱がある」

 「兄さん傍にいてくれる?」

 「…いるから…いいから寝てろ…」

 兄さんの手を握ったまま、滑り落ちるように眠りにつく。



 兄さんが、怪我をしていたことを思い出したのは…。

 目を、覚ましてからのことだった。





 ぼぅっと目をあけたとき、兄さんはすでに新しい着物に着替えていて、怪我の治療も終えていた。

 それでようやく、兄さんの着物を染めていた赤黒い染みのことを思い出したのだった。



 「…兄さん…痛くない…?」

 そろりと手を伸ばす。

 「俺は大丈夫だ…。お前はまだ寝ていろ」

 せっかく伸ばした俺の手を、兄さんがまたベッドの中にいれこんでいく。

 それから…柔らかく、俺の頭を撫でて。



 「…お前の力は過剰だ…。親父も…聞いたことがないと、そう言っていた…」

 「なに…?なにの話…?」

 「飲み込まれるなよ…その力に」

 「…やだ…兄さん怖い…」

 見たことのないような怖い顔。

 兄さんがそんな顔をしているところを、今まで俺は見たことがない。

 兄さんに戻された手を、また兄さんの方へと伸ばしていく。

 …今度は兄さんが、その手をぎゅっと握ってくれる。



 「…飲み込まれるなよ…」

 「…兄さん…?」

 「…周囲には被害を出すな…。力を制御しろ…」

 「周囲に…被害…?」

 「敵だけなら、倒せばいい…。だが、なるべく標的以外に手をかけるな」

 「標的、以外…」

 「俺が…無事だったんだ…。だから、お前にはきっと。…力を制御することが、できる筈だ」

 「…制御…」

 「だから…制御の仕方を身につけろ。…取り返しがつかなくなる前に」





 兄さんが何を言っているのかちっともわからない。

 だからオウムのように、兄さんの言葉を繰り返すことしかできない。



 だけど、俺を見つめる兄さんの目はいつになく真剣で。

 こくこく、と頷く。

 兄さんが、安心したような瞳で俺に向かって微笑んでくれる。

 …いつもの…優しい兄さん…。



 「…怖い…兄さん一緒に寝て…」

 握ってくれる手を、ぎゅ、と引っ張る。

 兄さんの瞳がくらりと揺れる。

 それからいつもと同じように、俺のベッドにもぐりこんでくれる。



 …だけど…いつもとはどこか…何かが違う。

 兄さんが俺を見る…その瞳の色が違っている気がする。

 どうして…?

 俺は…何か悪いことでもした…?



 ―…怖い…兄さん怖いよ…助けて兄さん…。



 うなされるように…兄さんの温かな胸に、しがみついていく…。

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