「結界師」拍手お礼

□迷子
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 「にいさぁぁぁんっ…!」

 泣きわめきながら兄さんを呼ぶ。

 両腕も両足も、もう傷だらけだ。

 草や木の枝が、こんなにもわからず屋だったなんて。

 こんなにも、自分の体を簡単に切りさいていくなんて。

 かんしゃくを起こす。

 風を使ってあちらこちらをなぎ倒す。

 泣きながら、六郎兄さんを探し続ける…。





 そもそもこうなっているのは。

 おそらくは、俺が羽目を外し過ぎたせいだとはわかっている。

 使用人の制止を振り切って空に浮かび、そのまま冒険の旅に出たのだ。

 いつもより、もっと遠くまで。

 飛んで行けるところまで。





 そうして飛んで、なんとなくふわりと降りた山の中。



 最初は楽しく遊んでいた。

 風で木の葉を散らしたり、川の水を巻き上げたり。

 家でやったら叱られそうなことを、散々にやってのけたのだ。





 …そうして。

 ここでどれだけ騒いでも、兄さんが俺を止めには来ないから。

 何をやってるんだ馬鹿、と俺を叱りに来ないから。

 それでなんとなく寂しくなって、そろそろ家に帰ろうかと思ったそのとき。



 初めて、自分が何処から来たのか、もうわからなくなっていることに気がついた。

 見渡す限り、同じような景色ばかり。

 …先ほどまで自分が遊んでいたのは、あの木だっただろうか。

 それとも、あちらの。



 急に心細くなってくる。

 見上げた空では、すでに太陽が傾きはじめている。



 …誰か。

 誰か近くにいないのか…。

 見渡す視界の一面すべて、山、山、山…。



 猛烈な不安に襲われる。

 空高く舞い上がる。

 やっぱりそこも…山、山、山…。



 自分の家があるのは…どの山…。



 …きっと…あっち…。



 何の根拠もないけれど。

 何かしていなければ、その不安に押し潰されそうになってくる。



 そうして、飛んで、飛んで、飛んで…。



 …今ではもう、右も左もわからないくらいに。

 家に近づいているのかどうかも、すでに俺にはわからない。





 大きな声で泣きわめく。

 すでに真っ暗な闇の中。

 かすかに揺らめく月明かりだけが、辛うじて足元を照らしだす。



 「にい、さぁ……」

 泣きわめきすぎて、すでに喉もがらがらだ。

 寒い。

 木や枝で切った手足が痛い。

 眠い。

 兄さん。兄さん。兄さん。



 …怖いよぅ…。



 声にならない声で叫んだそのとき。





 「…七郎っ…!」

 空からふわりと。

 「…にぃさぁぁぁっ!!」

 泣きながらその足にしがみつく。

 温かい。

 兄さんは本当に、いつだってすごく温かい…。



 「…ばかっ!心配させてっ!」

 兄さんが両手で俺を抱きしめる。

 まとっていた羽織を脱いで、俺の体に着せかけてくれる。

 「…こんなに冷えて…怪我はないのか…」

 泣きながらもこくりと頷く。

 兄さんさえいてくれれば。いつだって俺は大丈夫。

 ―…無事でよかった…。

 そう呟いて、兄さんが俺を抱えて空へと浮かび上がっていく。



 「帰ったら、皆に謝れよ。心配して探してくれているんだから」

 「………」

 兄さんの言う「皆」は使用人のことだと、すでに俺は学んでいる。

 だから…返事はしない。



 「…俺も一緒に謝ってやるから…」

 返事をしない俺をどう解釈したのか…。

 ぽんぽんと、兄さんが頭を撫でてくれる。
 


 「…兄さんは…どうして俺があそこにいるってわかったの」

 「…結構時間はかかったぞ。お前が飛んでいったという方に向かって飛んで」

 兄さんの指が、擦り傷になっている俺の頬をぬぐう。

 …ちりりとした痛みより。

 …その温かさが、心地いいほどくすぐったい。



 「それから…不自然に木や草が倒れている方向を辿ってきたんだよ」

 兄さんの大きな羽織ごと、俺の体を抱きしめてくれる。

 「本当に無事でよかった…。…だけどお前、あれは少し暴れすぎだ」

 こつん。

 軽いげんこつが、俺の頭に当たる。

 「…まぁ…今回は、それのお陰で見つかったようなもんだからな…」



 くしゃくしゃと、白い手のひらで頭を撫でてくれている。



 「…家につくまで寝てろ…。疲れただろ…」

 とんとんと、俺の背中を叩く兄さんの手。

 まるで、赤ん坊を抱っこしているかのように。

 普段なら、俺はもう大きいんだからと反論しているところだけれど。



 …ぎゅ、と兄さんの胸にしがみつく。

 「…おうちに帰ったら…絵本読んでくれる…?」

 「風呂に入って汚れを落として、ちゃんと夕飯を食ってからな」

 兄さんの胸の中でこくりと頷く。





 そのまましばらくうとうとして。

 軽く揺さぶられる感触で、目をさます。



 「…着いたぞ」

 見下ろす自宅の庭には、幾人かの使用人たち。

 「…七郎は無事だ。探しに出ている奴らにも帰るように伝えてくれ」

 くいっと俺の頭を押し下げながら。

 「遅くまで悪かったな…。あとは俺がよく言い聞かせておくから」

 そう言って。

 俺の手を引いて、母屋へと連れて帰ってくれる。

 道々で出会う使用人にも、同じようなねぎらいの言葉をかけながら、兄さんが奥へと進んでいく。



 …やっぱり…使用人しかいなかったじゃないか…。

 上の兄達も、親父も。

 …誰も、いなかったじゃないか…。



 軽く唇を尖らせて。

 傍らの兄さんを見やる。

 …やっぱり俺には、…六郎兄さんだけ…。





 兄さんに、湯殿へと連れ込まれる。

 明るい光の下で見てみると、本当に自分の体は泥まみれだった。

 服のあちこちにも、草の実や木の葉や木の枝のような欠片がくっついている。

 …道理で、ずっとちくちくしていた…。



 ちらりと兄さんを見上げる。

 …あまりに泥だらけだから、叱られるかもしれない。

 案の定、見上げた先の兄さんは、苦々しそうな表情で。

 …綺麗な顔を、歪ませてしまっている。

 ―…もう一回…ごめんなさいって言っておこうか…。

 そう思っていると。



 兄さんが、とすんとしゃがんで俺の前に座り込む。

 俺の視線の先に、兄さんの顔がある。

 そして。白くて細い、綺麗な指が。

 …ゆっくりと、俺の腕を撫でる。



 「傷だらけじゃないか…」

 乾いて固まってしまっている泥をはらってくれる。

 傷口を、撫でてくれている。

 くしゃりと、俺の頭を撫でてから。



 「…もっと早く見つけてやればよかったな…」

 …俺が悪いのに。

 兄さんの悲しそうな顔を見るのが辛くて顔を伏せる。

 「…悪かったな…」

 優しい指が、汚れた衣服を脱がせてくれる。



 そして。



 ふわりと、兄さん自身が着ていた着物まで。

 …最近では、こうして兄さんと風呂に入るとき。

 俺の日に焼けた肌とは違う、兄さんの白い肌を見ると…。

 ちょっとだけ、胸の辺りがどきどきする…。



 裸の兄さんが、軽く俺の背中を押す。

 その手にいざなわれるまま、湯殿へと入る。



 ざぶざぶと、温かなお湯をかけられて。

 …自分の体が、相当に冷えていたのだと気がついた。

 思わずぶるりと震えていく。



 こんなにも、俺が冷えているってことは。

 だったら。羽織を、俺に貸して…。

 寒い夜空を、俺をくるみこんでずっと飛んでいた兄さんは…。

 …兄さんの躰も、きっと…。

 ぎゅ、と唇を噛みしめる。



 「…しっかり、目を瞑ってろよ」

 ざぶん。

 勢いよく、頭から湯をかけられる。



 わしわしと全身を洗われて、また湯をかけられる。



 ざぶんざぶんざぶん。



 …あちこちの傷口が痛むけれど、そんなことを口にはしない。

 黙って固く目を閉じて、兄さんにされるがままに全てを任せる。



 「…ほら、綺麗になったから、湯船につかってろ。冷えてるんだから、しっかり肩までつかっとけよ」

 とん、と俺の背中を押して。

 今度は、兄さんが自身の躰を洗い始める。



 ちらちらちら…。

 風呂に入るとき、兄さんの白い肌が湯で温まってほのかに紅くなる。

 その、綺麗な桃色に染まる兄さんを見るのが、多分俺は好きなんだと思う…。





 ぼぅっとそうして兄さんを見ていると。

 自分の躰を洗い終わった兄さんが、ざぶんと湯船へと入ってくる。

 俺と一緒に湯船につかる兄さんに、100まで数を数えさせられて。



 すっかりほこほこになって、二人で風呂を上がる。

 「夕飯前に、先に傷の手当てな。…夕飯食ったら、今日は早めに寝ろよ。疲れてるんだから」

 「絵本…読んで?俺と一緒に寝て?」

 兄さんを見上げる。兄さんの着物の白い袖を引く。

 「…おとなしく、寝るんだぞ…」

 兄さんの手が、くしゃりと頭を撫でてくれる…。



 怪我の手当てをしてもらって、夕飯を食べてしまうと。



 …急激に、眠くなってくる気配を感じる。

 ふるふると頭をふる。



 「眠いんだろ。おとなしくそのまま寝てろよ」

 「やだ…兄さん絵本…」

 「…一冊だけな。何にするんだ?」

 「ぐりとぐら」

 「そればっかだなお前。よっぽど好きなんだな…」



 急いでベッドにもぐりこむ。

 隣のスペースをぽんぽん叩いて、兄さんここに一緒に寝て、とおねだりする。



 …仕方ないなぁ、と言いたそうな顔で、兄さんが肩をすくめる。

 ふわりと、風呂上がりのほこほこした兄さんが俺の隣に滑り込む。



 白い指が、絵本のページをめくり始める…。

 透き通った兄さんのその声が、室内に満ちていく…。



 『ぐりとぐら』は好きだ。

 だって、ぐりとぐらは仲良しで、何をするにも二人一緒だ。

 その様子はまるで、俺と兄さんのようなのだから。

 兄さんは、あんなに大きなかすてらを焼いてはくれないけれど。

 俺とのおやつの時間には、いつも決まって大きな方を俺にくれるのだ。

 自分のおやつも、俺がおねだりをしたら、俺の口に放り込んでくれる…。



 その、甘いお菓子の味を思い出す。

 絵本を読む兄さんの袖をちょこんと摘まむ。

 まぶたはもうくっつきそうだけれど。

 …ずっとこのまま、俺は…。ずっとずっと、兄さんと…。



 絵本を読む兄さんの柔らかな声を聞きながら。

 うとうとと…夢の世界へとまどろんでいく…。

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