「結界師」拍手お礼

□トラウマ
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 「…兄さんっ…!兄さん兄さん兄さんっっ…!!」

 居間に入るなり。

 泣きながら、七郎が自分に向かって飛びついてくる。

 腰の辺りに、顔を埋めるように。

 その場に膝をついて、着物の裾を握りしめながら…自分の足にすがりつくように。

 周囲もはばからず、泣きじゃくり続けている…。





 呆然と、七郎のその姿を見下ろす。

 ふ、と室内を見渡し…。

 眼前に広がる異様な光景に…思わず背筋が寒くなる…。



 テーブルの上に並べられた無数のカップ。

 中には、飲み物がなみなみと注がれている。

 しかし…、これは…。



 目を凝らしてカップを見つめる。

 …温かな飲み物が入っているはずのカップからは、一つも湯気などあがっていない。

 そもそも、こんな夜中に…お茶の時間であろうはずもない。

 しかも…薄汚れた感じのカップの表面には、うっすらと膜が張っているような。



 …使用人が…あんなままにしておくとは思えない。

 だったら、これは…。

 声をあげて泣き続けている七郎を…ただただ呆然と、見下ろし続ける…。






 長い時間泣き続けて、ようやく泣き声が聞こえなくなる。

 七郎の体が、がくんと崩れる。



 …気配を窺う。

 眠って…いるのか…。

 どことなくやつれている。

 顔色も…随分と悪い。



 …ふわりと、風を操る。

 部屋へ…七郎の部屋へ…。





 七郎をベッドに横たえ、そっと布団をかけていく。

 …顔にかかる髪の毛をはらい、その顔を眺める。

 泣いていたときの。

 幼い子どものような、あの姿。



 ベッドに腰かける。

 ゆっくりと、ふわふわの頭を撫でていく。

 意識のないはずの腕が、羽織の袖を掴む。





 …トラウマ…。

 以前読んだ本に載っていた。

 トラウマが刺激されたときに見せる反応で…。

 いくつの頃に負ったトラウマなのか…判断できるという…。

 実際に見かけたこともある。

 成人済の男が、怪我をした別の使用人を前にして、子どものように泣いていた。

 …その男は三歳の頃に事故で両親をなくしたのだと、後でそう聞かされた。

 事故のとき、同じ車にその男も乗っていた。救出されるまで、何時間も。

 …車の中に、血まみれの両親と取り残されていたのだという。





 だったら。七郎のこれは。

 子どもの頃の視線の高さで…必死にしがみついてきていたあれは…。

 ベッドに腰かけたまま、頭を撫で続ける。

 ようやく…落ち着いた寝息が聞こえてくる。



 ―…俺が家に戻ってきたのは…一月ぶりくらいか…。



 気になることがあった。

 調べてみようと思った。

 現地に行ってみると、思っていたとおり不具合が生じていた。

 分家の不祥事。

 内々に済ませなくては。

 …だが、七郎の手を煩わせるほどではない…。

 帰ってから、報告をしておけばいいだろう…。



 そうして懸案事項が片付いたのをみて、ようやく今日、この家に帰宅することができたのだ。

 部屋へと戻り荷物を置いて。長旅の疲れを、湯殿でおとす。

 …報告のために訪れた七郎の部屋が無人だったから。

 だったら居間だろう。そう検討をつけて、この部屋の扉を押し開いたのだ…。





 …自分たち兄が。いや…、この場合は、自分が…。

 幼い七郎を残し、家を出た。

 …そのまま…七郎だけを家に残し、滅多に帰ることすらしなかった。



 それでも七郎は平気だと思った。

 当主後継。

 俺たちの存在など消し飛ぶほどの、その崇高な地位。



 惨めな自分たちが憐れだった。

 七郎にだけは同情されたくなかった。

 だから避けた。徹底的に。



 …きっと、それで…。

 七郎は、ここまでの心の傷を負ってしまった…。



 七郎の頬に流れる涙をすくう。

 …大分、落ち着いてきたようだ。



 そろりとベッドから降りようとして、羽織の袖が握られたままであることに気がついた。

 そのまま羽織を脱ぎ捨てる。

 眠っている七郎が、脱いだその羽織を腕の中に抱え込む。

 しばらくその光景を見つめてから…そっと、退室する…。





 部屋を出て、使用人を探す。

 居間のカップを片付けるよう言付ける。



 「しかし…七郎様が、あのままにしておくようにと…」

 困ったようなその顔に。

 …日頃の使用人達の苦労が、窺い知れる…。

 「…邪魔だ。全部片付けろ。七郎には俺から話をする」



 それだけ言って、部屋へと戻ろうとして。

 …ふ、と足がとまる。

 「そもそも、…何故、あんなにカップを出しっぱなしにしてあるんだ?」

 「七郎様が…お茶の時間には、必ず二人分用意するようにと…」

 ちらりと俺を見る使用人の目に…かすかな非難の色が混じる。

 「…それで…1つだけお飲みになられて…1つは、ああしてお残しに…」



 …ちっ、という舌打ちがもれる。

 だったらあのカップの山は。

 自分が不在だった日数分、並べられていることになる。
  


 「…七郎には話をする。いいから片付けろ…」

 それだけ言い捨て、その場をあとにする。





 自室へ戻ってからも、気分は晴れない。

 確かに自分は何も言わずに家を出たし、不在の間連絡もしなかった。



 だからといって。

 自分は成人しているのだし、女でもないのだから心配される必要もない。



 ―…七郎が…気にしすぎるだけだ…。

 ―…俺は…自分の仕事をしただけのこと。



 …そうは思っても、胸のつかえがおりない。

 軽く、ため息をついて。



 自室を出る。

 七郎の部屋へと向かう。

 途中でのぞいた居間からは、あのおびただしい数のカップは綺麗に姿を消していた。



 そっと七郎の部屋の扉をあける。

 …先ほどと同じように。羽織を抱きしめたまま、七郎がすやすやと眠っている。



 …はぁ、と安堵のため息をつく。

 少しだけベッドの端の布団を持ち上げて…するりと躰を滑り込ませる。



 …あの頃のトラウマが原因なら…。

 怖い夢を見るたびに、自分に添い寝をせがんできていた…あの頃のままなら…。

 七郎の隣に潜って、ぽんぽんと頭を撫でる。

 それに反応したかのように、七郎が胸にしがみついてくる。



 …羽織を握りしめている手が弛むのを見てとって。

 七郎の手から、羽織をとりあげる。

 …このままだと…シワになる…。





 諦めて、七郎にしがみつかれるまま。

 一晩限定で、抱き枕になることにする。



 子どもの頃と違って、大きくなった七郎はうっとうしいほど暑苦しい。

 ―…我慢するしかないか…。

 ため息とともに、眠りにつく。






 朝を迎えて、いつもの起床時間が到来する。

 七郎は、まだ目を覚まさない。

 …しっかりと、自分の躰を胸の中にくるみこんで。

 すやすやと、気持ち良さそうに眠っている。

 ―…仕方がない…。七郎が目覚めるまで、このままで…。

 だが…やはり暑苦しい…。

 ふわふわの髪の毛が顔にかかるし、抱きしめられているこの体勢では寝返りも打てない。

 …面倒だな…。

 早く起きろ…。



 七郎がこうなっているのは、多少は自分のせいであるかもしれないが。

 …七郎だって、普段からあれほど傍若無人に振る舞っているのだから。

 たった一度連絡を怠って長期間留守にしていたというだけで、俺だけが責められるのはやはり理不尽だろう。

 比率にしたら、きっと七郎の方がより自分勝手に違いない。



 窓の外では、太陽が中天まで昇っているようだ。

 …そろそろ起こしてもいい頃か…。

 腹も減ったし、そもそも自分は眠くない。

 …暇をもてあますこの状況は、いかにも落ち着かない…。



 「…おい、そろそろ起きろ…」

 頬をくすぐる。

 ―…ん…。

 微かに身じろぎはするけれど、自分の躰を抱え込んでいる腕は緩めない。



 ―ぺしん。

 軽く頭をはたく。

 ―…ん…ぅん…。

 七郎の体が揺らぐ。

 ―ぺっしん!

 
 ついでだから、もう一度。



 「…ぁ…ぅ…。ん…。…っ…!!兄さんっ!?」

 七郎が飛び起きる。

 同じ姿勢を強要されて固くなっていた躰が、ようやく解放される。

 「…兄さんっ!!兄さん兄さん兄さん…!!」

 ベッドの上に…。再び抱きついてきた七郎のせいで、また押し倒されていく。



 「…離せって。もう昼だぞ…」

 ―…ぺしん。

 軽くまたはたく。

 

 「…何言ってるんだよ…!!ずっとずっと…!!今までどこに行って…!!」

 泣きながら七郎が喚き散らす。

 「だから報告はする。資料は部屋にあるから、あとでお前も見ておけ」

 半身を起こした七郎の隙間から、するりと抜けだす。

 「…兄さん!!」

 「うるさい。耳元で喚くな」

 「…俺は…!本当に、心配して…!!」

 「さっさと起きろよ。もう昼だぞ」

 「そもそも…今まで一体どこに!!」

 「だから、仕事。資料と合わせて説明するから、とっとと起きて着替えろよ」

 「…兄さんっ!!」

 「夜通しお前に付き合わされて、俺は腹が減ってるんだよ。先に朝食行ってるぞ。お前も早く来い」

 ぱたん。

 扉を閉めて、食堂へと向かう。

 …扉の向こうでは、七郎が何か喚き散らしていたようだったが。

 それより…今から行って朝食があるのかどうかの方が気にかかる。

 結局、昨日の夜は何も食べていない。

 七郎に報告をしながら、軽食でも運ばせようと思っていたからだ。

 昼も、軽く済ませているから…。

 本当に、一日ぶりの食事…。



 食堂に向かうと、使用人が手早く朝食の仕度を整えてくれる。

 …時間からして…これは昼食かもしれない…。

 朝食にしては量の多いそれを見て、思わず時刻を確認する。



 ―…まぁいい…。腹が減ってることにかわりはないんだ…。

 ぱくりと、目の前の食事にかじりつく。



 「…兄さん…!」

 ばたんと扉をあけて、七郎が食堂へ入って来る。

 ようやく、身支度を整えたらしかった。

 「遅かったな。先に食ってるぞ」

 ―ばんっ!!

 七郎が食卓を叩く。

 「…話なら後で聞く。お前も席について食え。…顔色が悪い。あんまり食ってないんだろう」

 何か言いたそうな七郎を目線で制す。

 使用人が用意するその膳を睨むように、七郎が箸を進めていく。



 朝食が終わり、食後の茶を飲んで。

 …目の前で俺を睨みつけてくる七郎を促して退室する。

 「…話なら、居間ですればいい。先に行っておけ」

 七郎を居間へと送り…。一旦部屋へと戻ってから、資料を持って居間へと赴く。

 居間に入るなり、睨みつけるような…そんな七郎の目線に晒される。

 …ちらりとその様子を見て、七郎の方へ資料を飛ばす。

 「…分家で問題があった。これがその報告書。とりあえず、今は落ち着いているが。当分目は離すなよ」



 とん、とソファに腰かける。

 七郎が資料に目を通してから。何か質問があればしてくるだろう。

 …待っている間、茶でも淹れさせるか。

 

 「…時間がかかるなら、茶でも持ってこさせろよ。結構分厚いぞ、それ」

 視線の先の七郎は。…資料には手もかけず、じっと俺を睨みつけている。



 ―…面倒だな…まだ拗ねてやがる…。

 思わず眉間にしわがよる。
 


 「…兄さん…俺が買った携帯も、置いていったでしょう…」

 怒ったようなその声。

 当たり前だ。普段だって自分で操作なんてしていないものを、なぜわざわざ。

 「兄さんが帰って来なくて…俺は心配して…何度も何度も携帯にかけて…」

 ふるふると、七郎の体が震えている。

 「全然つながらなくて…本当に心配になって…GPSで場所を調べたら…兄さんの部屋に、放り投げてあって…」

 ―…なんだか、訳の分からないことを言いはじめた。

 ―…長くなるのか…。面倒だと思う気持ちに拍車がかかる。



 「兄さん…ねぇ聞いてる…?」

 「…資料…見ろって…」

 うんざりした気持ちが声に出る。

 「…聞けよ!少しくらいは!!…俺の話を聞けぇっ…!!」

 ばぁんっ!!

 勢いよく、七郎が両手で机をたたく。

 一瞬…その音にびくっとする。



 「俺がどれだけ心配したか!!全然わかってないんだろ!!」

 「…わかってる。すまなかったな、心配かけて」

 「…何がわかってるっていうんだよ…!」

 泣きそうな顔で七郎が詰め寄ってくる。

 「…だって昨日泣いてたろ。大変だったんだぞ、朝まで添い寝して」

 …ぐ、と七郎が言葉に詰まる。



 「…そもそも…!あなたは…!5W1Hっていう言葉をね…!!」

 「なんだそれは」
 

 聞いたこともない。

 「いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように、だよ…!」

 「意味が分からない」

 「…いつからいつまで!何処へ!誰と!何をしに!どうして!何のために!出かけるのかを!!俺に伝えていけって意味!なんだよ!!」

 …はぁはぁと…息を切らしながら怒鳴り続ける七郎を下から見上げる。

 「…やっぱり茶を持ってこさせろ。…怒鳴りすぎだお前。喉が渇くだろ」

 「兄さん…!!」

 「その分、顔色は良くなった。…しっかり食事をとって、夜はしっかり寝ろ。…俺がいなくても」

 「え…」

 七郎の瞳が揺れる。

 「…兄さん…またどこかへ…行っちゃうの…」

 「当分予定はねぇよ。…お前はもう大きいんだから、しっかりしてろ…。昨日は本当に、ぞっとしたぞ…」

 「兄さん…」

 怒っていた七郎が、急激にへちゃげていく。

 俺の隣に座りこむ。

 とん、と横たわり。俺の膝の上に頭を乗せてくる。

 「…狭い」

 「本当に…心配したんだからね…」

 …ぽんぽん…。

 返事のかわりに。

 膝の上に頭をのせて横たわる、その七郎の頭を…軽く撫でてやる…。

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