suen~o1

□愚者
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手を伸ばせば届く距離。それは過去形で今はどんなに手を伸ばしても届かない距離になってしまった.


「私、結婚するの」
旅から帰ってきた幼なじみは突然そう言った。僕の頭は情報処理が追い付かない。
「…は?」
「だから、結婚するの。私」
幼なじみは笑顔だった。それはもう憎くなるほどの。僕の気持ちも知らずに能天気に笑う幼なじみは言葉を続ける。


「旅先であった人でね、とっても素敵な人なの!」


僕の頭の中は僕を責める言葉と疑問詞しか浮かばない。

なんで、どうして、
手を伸ばせば届く距離だったじゃないか
いつの間に遠くなった
ああ、なんで僕は想いを伝えなかったんだ
根拠の無い自信に囚われて安心しきっていた
僕から離れていかないって…なんで思い込んだんだ


幸せそうに話す幼なじみを眺めることしかできなかったただの愚者だ




結婚相手から彼女を奪うなんてことができるはずもない。だって僕は臆病な愚者だから。

「…綺麗だよ」
「ほんと?ありがと!」
白いドレスを纏った彼女は今まで見た中で一番綺麗だった。それが僕のためのものじゃないというのは皮肉なものだが。
部屋の外から呼ばれて扉の方へ振り向いた彼女。
ふいに、手をとって攫ってしまいたくなった。
無理やりにでも奪ってしまいたくなった。
その左手をとろうとしたときに気付いた、彼女の薬指が他の指より細いことに。
気付いてしまった、彼女はこのままが幸せなのだと。

ああ、だから僕は臆病な愚者でしかないんだ。
愚者ならば愚者らしく突っ走ってしまえばいいものを。
自嘲的な笑みを浮かべて、僕は手を引っ込めた。


彼女が笑ってくれればそれでいいなんていう無欲な人間でもないが
彼女が手に入りさえすればそれでいいという強欲な人間でもない

部屋から出ていく彼女を見送る僕。
結婚式は出席できなかった。
他の男の横で笑う彼女を見ることはとても苦しくて、つらい。
青い青い空の下、教会の鐘だけを聞いていた。





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