The mermaid of deep sea

□2.はじまりU
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時刻は、昼前最後の授業に差し掛かろうという頃。

一人で徘徊した後、地元の方々に助けられてなんとか学校にたどり着いた名前だったが、現在生活指導の先生の前で絶賛叱られ中だった。


――私としたことが。

そういえば、自分は何時頃からか、色々と気が抜けたタイプに変貌を遂げていた。方向オンチであるのはわかっていたはずなのに。何故遙たちと登校しなかったのか。

否、それに気付かなかった辺り、抜けているのだろうか。名前は考える。


先生は、転校に際しての書類が適当だとか、そもそも初日を休んだ上に翌日遅刻とはどういうことだ、とか、道がわからないなら何故対策をしなかったとか、クラス知らないとか言語道断だとか、将来そんなことではやっていけないぞ、といったような、ありきたりだが、ごもっともな説教を続けていた。

そして、名前がそんなつもりはないのだが、あからさまに先生から気を逸らして何か考えていることも、説教が長引いている原因だった。



その後、名前は自分が遙や真琴と同じ2−1だと聞かされ、色々心配した先生に半ば引っ張られる形で教室に向かった。


チャイムが鳴って一分とそこらだろうか、名前は廊下の窓から、女の先生が古典の授業をしているのを確認した。

入室しようと、扉に手をかける。


「えーと、じゃあ6行目の冒頭から続いて音読を――、七瀬遥さん!」

その時、聞こえてきた先生の声に、名前はその場でブッと噴き出した。


「せんせー、だから、遙は男ですってば!」

真琴の声に、教室はわっと沸く。一同は、慌てる先生をにやにや見たり、どこかむすっとした遙を振り返ったり、と緊張の糸をほどく。

そのタイミングを見計らって、名前はこっそり教室に侵入した。


「あっ! やだ、私ったら、朝間違えたばかりじゃない! ゴメンね、七瀬くん、もう間違えないわ!」


あまちゃん先生こと天方美穂は、小さな失態に照れながらも、可愛らしく首を傾げて遥に謝罪をした。


遙は、むすっとした顔で教科書に目を落す。


「気を付けてくださいねー、先生。仏の顔も三度までですよー、あ、二度あることは三度ある、とも言いますが」


その時、にわかに隣から聞こえた女子の声に、先生は何気なく左を向き、目を丸くした。

「きゃっ!?」

何時の間にか、スタイル良し容姿良し色黒の美少女が、隣に立っている。


先生は小さく悲鳴をあげてから、暫くして、見知らぬ女子生徒の姿を、上から下までまじまじと眺めた。



「あ」

教室の隅から男子生徒二人の声が聞こえたが、そんなものは耳に入らない。



(何時の間に? ってか、誰? こんな子うちのクラスにいたかしら!?)


驚いて言葉を失い、先生はひとまず口をパクパクさせる。反応に困る。


そして、呆れた目付きの遙かと真琴を除いた、教室の生徒たちも同様だった。


長い藍色の髪に、美人の部類、長身色黒、そんな彼女は見た事が無い――、「誰?」などとの疑問符があちこちから発せられ、教室はざわめきたつ。


そんな中、一人の女子生徒が「あっ!?」と素っ頓狂な声をあげた。


「も、もしかして、名前!? やっぱり名前!? 名簿に名前あったから気になってたけど、あの苗字 名前っ!?」


鬼気迫ると言っても過言ではない彼女の様子に若干顔をしかめながら、名前は首を傾げる。


――はて、彼女と自分に面識はあっただろうか。わからない。

名前は、じーっと声をあげた彼女の貌を凝視した。


「そうだけどー、誰?」

あっさり認められ、尋ねられる。


これには真琴や遙は溜息を付き、その生徒は顔をしかめた。


「水泳の場面で結構一緒だったんだけど、え、憶えて――ない?」


「全然」


「即答かいっ!!」


これには、彼女は苦笑いするしかなかった。


そうだ、自分などが憶えられていたはずがない、と。

彼女と会ったのは本当に数年ぶりだし、彼女が引っ越したという前も、それほど接触があったわけではない。

しかし、美しい彼女の泳ぎはしっかりと憶えている。そして、彼女が自分たちに見向きすらしなかったことも。


その後、風のうわさで彼女が競泳をやめただとか、雰囲気が変わっただとか、引っ越しただとか、話は聞いていたが。
 


それにしても、また高校で会うなんて、なんだかわからないけど不思議な物だ、それに、噂はどうやら真実らしい、と彼女は名前を見て思った。


「はじめましてー。転校してきました、苗字 名前といいます、よろしく」

名前は、すぐにその女子から視線を逸らすと、先生に言われたわけでもなしに、自らサラッと自己紹介をした。


「あ、わ、私は担任の――」


「天方先生、ですよね。」


「え、ええ」


続いて自己紹介しようとする先生の言葉を遮ると、教卓の座席表で自分の座る席を確認し、さっさと着席する。



実の所、クラスには彼女と遙、真琴以外にも別に「はじめまして」ではなくて、名前の事を知る者が結構いた。

小学校が一緒だった、とか、スイミング関連で知っている、とか、その他モロモロだ。


実際、彼等は授業中であるということも忘れ、「マジで?」、「ほんとに名前ちゃん?」、「人魚姫?」などと声をあげながら名前を凝視している。



しかし、名前はそれを全く以ってスルーして、無言でバッグから教科書を取り出し、開いた。


そして、ふと思い出した様に顔をあげて先生に話しかける。



「あ、遅刻してすみません、でも散々怒られてきたので、しかるにしても優しくしてください」


「え、ええ? わ、わかったわ。じ、じゃあ、七瀬君の代わりに教科書を5行目から音読してくれる? 大丈夫? わかる?」

先生は、反応に困った素振りをみせながらも、じゃあ、と名前に指示した。


「勉強はわりと得意な方です。わかりました」


そう言って、名前は音読の為にゆったりした動作で席を立ち、教科書を持ちあげた。


至極マイペースである。




――「それにしても、何だって急に転校してきたのさ」。


教室が静かになる一歩手前、どこかでそんな疑問が呟かれたのが、不意に遙の耳に届いた。



「……、俺が知りたいよ」


音読の任を解かれた遙は、古文をすらすら音読する名前の横顔を片目に、ぼそっと呟いた。



(口では『なんとなく』って言ってたけど、絶対それだけじゃない……)



(私だって、わからないよ)
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