The mermaid of deep sea
□3.はじまりV
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昼休みが、終わる。
遙、真琴、渚、名前の四人は、教室に戻る為に青空の下から、薄暗い扉の中に移動した。
「ねぇ、そういえば知ってる? 小学校の頃に通ってたスイミングプール、もうすぐ取り壊しになるって」
ふと、切り出したのは真っ先に階段をくだりはじめた渚だ。
後方の三人の注意が自分に向いたのを感じながら、渚は階段の手すりに片手で掴まる。
振り向きざまに右手をブランブランと揺らして、両手でバランスを取って階段を駆け下りる。
「だから、その前に――」
渚は、言葉と共に膝を曲げて数段下の踊り場に向かって、大きくジャンプして着地した。
「皆で行ってみない?」
そして、振り向きざまに笑いかけた先には、なんだか驚いた顔の三人がいた。
「あれを掘り起こしに?」
渚の提案を受けて、即座に声をあげたのは真琴だった。
「そう! 夜にこっそり忍び込んで……」
渚は、すっかり悪戯っ子の表情で意気揚々とで身を屈め、抜き足差し足忍び足のポーズをとる。
真琴はまず間違いないとして、名前は大方、遙もなんだかんだノッてくれるだろう、だっておもしろそうだもん、そう思った。
が、渚が皆の反応を見る為、振り返ろうとしたときだった。
渚の耳に、実にめんどくさそうで抑揚のない声が飛び込んでくる。
「行くなら勝手に行け」
存外冷たい遙の態度に、渚は一瞬固まったあと、今度こそ慌てて後ろを向いた。
「そんなこと言わずにさぁ!? ハルちゃんも行こうよぅ」
遙の眼差しや動きからは、興味ないというメッセージが滲み出ている。
でも渚は、行きたかった。どうしても行きたかった。できるなら皆で、行きたかった。
説得しなければという使命感に駆られて、渚は遙に詰め寄る。
しかし、遙はやはり頑固だった。
「行かない」
「面白そうだと思わないの?」
「思わない」
ついには縋り付く渚に背を向け、視界を閉ざして断固として断る始末だ。
なんだって彼はそうなのか。
「ふわぁあぁあ〜?」と声をあげてもどかしさを嘆き、敢え無く沈む渚を片目に、真琴は苦笑する。
「折角だし、行ってみようよ」
「嫌だ! めんどくさい!」
遙は、真琴の穏やかな声かけさえも突っぱねるように声を張った。
ここまでくれば、子供っぽく意地を張っているようにしか見えない。
名前はその様子を全く素直じゃないな、なんて思いながらニヤニヤ笑って見ていたが、このままでは駄目だ。
こうなったらよろしい最終手段だ。
途端、名前と真琴の視線が、一瞬重なる。
名前の意味ありげな目付きを見て、真琴は即座に自分と彼女の意志の疎通を感知した。
「でも行けばプールもあるよ」
顎に手を当てる仕草や、逸らされた視線からして若干ワザとらしい、といえば嘘になるが、真琴は拍を置かずに呟いた。
それは確実に遙の耳に届く。
これには、遙は「むっ」と眉を動かし、反応した。
「プール」というたった一言に、胸倉を掴まれたような気分になったのだ。
「風呂場とかじゃなくて、もっと、大きな、プール……」
そうすれば、畳みかけるように背後から聞こえた、名前による甘い誘惑の声。
「……」
瞳を揺らしながら、ゆっくりと振り返る。
――遙は、折れた。
水の誘惑には勝てなかった。
一転して神妙な面持ちになった遙を見て、真琴と名前はそれぞれ背中に隠した手を、「やったね」とこっそり重ねた。
(つっても、どうせ水無いだろうけどなー)
そうは言っても、常識的にプールといってもプール跡が残っているだけだろう。名前は気付いていたものの、取り敢えず黙っておくことにした。
そうと決まれば、渚は早々に階段を駆け下りていく。
真琴も穏やかな表情のまま、渚に続いて階段を下った。
遙も、ゆっくりとしたペースながら一段一段歩いていく。
(これで――)
自分の目の前で、事は、確実に動き始めている。
名前は、自分も三人に続きこの場を去ろうとして、片足を階段の縁から離す瞬間、ふと思った。
と同時に、自分の心に引っかかっている、けれど見逃してきたものが、予期せず自ずと脳内に浮かび上がってきた。
――今、向かう先は、昔自分が通っていたスイミングスクールの廃墟。
自らを束縛していたものが、些かならずそこに軌跡を残しているであろう、そんな場所だ。
そうだ、自分も、決して彼等の部外者ではなかった。
漠然と、ではあったが、そういうことが確かに頭の中を過ったのだ。
途端、名前の背中をゾワッとしたものが抜けた。
自分は階段を下りるだけのはずなのに、まるで崖から深い谷底を見下ろしているかの様な、身のすくむ恐怖に襲われる。
名前はなんとか平然を装いつつ、右手で手すりを強く引き寄せてそこに体重を任せた。
遙は名前の異変に気が付かないまま、彼女の視界の右下に消える。
名前は、間もなく足が竦み一歩も動けない自分に、気が付いた。