雲外に蒼天あり
□第2Q.顔合わせ
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翌日――、早朝。
名前は青いスクールバッグを肩に引っ掛けて、近所の公園にあるバスケコートに向かって歩いていた。
朝食はコンビニで買ったパンとおにぎりと牛乳(パック)。
グミを添えて。
制服やらを朝登校して返さなければいけないわけで、加えて女子達に囲まれて登校するのは些か気が引けて、名前は祖父母がまだ寝ている早い時間に家を出てきてしまったのだ。
仕方ないから、バスケコートに面するベンチに座って、色々考えながら食事をしよう――、そう思って近づいた。
だが、名前はハッと立ち止まる。
まだ赤みの残った東の空を背に、柵の向こう、バスケコートの中で、高く、高く跳躍する男のシルエットが見えたからだ。
しなやかなバネの様に跳ねた身体は荒々しいシュートフォームに入り、太い腕と大きな手が、バスケットボールを輪の中へと押し込む。
(あのシルエットは……!)
名前は、見てすぐに、そのシルエットの正体を見破った。
そこにいるのが誰かわかり、感激のあまり思い切り破顔する。
フェンスの前からコートへと狭い道を駆け抜け、青いスクールバッグを脇のベンチに放り投げた。
視界の隅で動く人影に気付いた彼――、火神大我は、バスケットボールを拾って身体を起こしたのち、ゆっくりと振り返る。
「あ? ――、うおあっ!?」
そして、火神はいきなり飛びついてきた人影に、思いっ切り地面に押し倒された。
何が何だかわからないが、いきなり言葉もなく飛びついてくるんだ、まともな奴の訳がない。
火神は突然の事で驚きながらも、咄嗟に抵抗して、何故かしがみついてくる相手を力の限り引きはがそうとする。
が、相手はがっしりくっついていて引っ剥がすにも放せない。
「おっま、離れろ、何する、おい!」
「わっ!?」
地面をゴロゴロと転がり、火神は暫し相手と押し問答をした。
が、ぐるりと回転して自身が相手の上に覆いかぶさるような体勢になった時、火神は初めて相手が何者であるかを認識した。
地面に寝転がり、自分を見上げるイケメン――、もとい、古い友人、苗字 名前。
火神はキラキラの笑顔を向けてくる名前を見て、大きな目を更にそれはそれは目を丸くした。
「名前?」
火神が、マジで?と尋ねる。
偶然同じ学校同じクラス、加えて前の席だから今日にでも再会するだろう、とは思っていたが、まさかこんな朝にバスケコート出会うなんて、予想外だった。
すると、名前はまたもや前振りも無く、「火神ィイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!」と叫んで、笑顔で下から火神に抱きついてきた。
「ぐわっ!?!?!?」
火神はいきなり胸を圧迫されて、どうにも救いようのない声を出す。
「火神会いたかったぞぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!! っていうか偶然凄い偶然だオイ! デカくなったな火神、オオオオオオオオオオオオオ! まだバスケやってたんだなオイ、ああもうこの匂いとか火神だ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
名前は、容赦なく火神の胸板に自分の頭を押し付けた。
勿論、『火神に会えた』という事実以外は何一つ考えていない。
だが火神は名前が誠凛でしかも同じクラスだと知っていたし、それより再会の喜びよりも今は、苦しさの方が勝っていた。
(コレ、絶対女の力じゃねぇぞ!!!)
火神は、なんとかギリギリ呼吸をしながら、心の中で叫び声を上げた。
そして、気付く。
そうだ、名前って女じゃねえか、と。
して、今の状況ってヤバくねえか、と。
どう見ても、これはヤバいだろう、と。
途端、火神の貌が元帝光キャプテンの髪の毛の色の如く、真っ赤に染まった。
「おああああああああああ!? はーなれろおおおおおおっ!」
火神は、突如訳の分からんほどの盛大な叫びをあげて、全身の力を振り絞って名前の両腕から逃れた。
「お前、わかっててやってんのか!? 抱きついてんじゃねえよ!!?? オあ!? あああああああああああああああ!」
今度は大慌てで怒鳴り散らし、終いにはしゃがみ込んで絶叫する。
名前は笑顔のままむくっと身体を起こすと、けろっと火神を見つめた。
「どうした、煩いよ、火神」
立ち上がり見下すが、火神はしゃがんで顔を伏せたままだ。
(あー、ちょっとしまったかな? ははっ)
名前はそんな火神を見てクスッと笑うと、コートを横切って、カバンを置いたベンチに座った。
「火神、こっち来いよ」
何故か牛乳のデカいパックを持った名前に微笑まれ、火神はのそっと身体を起こしてふらふらと名前の隣迄来た。
「ったく、誤解をだな――、実際の所……、意識がだな――」
火神がボソボソと何か言いながらベンチに腰下ろすのを目を側めて見ながら、名前は牛乳パックを開封して直接口を付けてがばがばと飲み始めた。
(うわ、やっぱりコイツわかんねぇわ)
火神は、それを見て顔を顰める。
が、牛乳を飲んでいる名前にウィンクされ、また顔を逸らした。
「ったく、いきなりビックリさせんなよ」
火神は、頭を押さえてハァ、とため息をついた。
「いやあ、ごめんごめん、嬉しくて、つい」
名前は、牛乳を火神との間にバランス良く置いて、にやにや笑う。
朝のさわやかな春風が、二人の間を吹き抜けた。
名前が食事をする間、暫しの沈黙が訪れる。
「――、マジで久しぶりだな」
不意に、火神がボソッと言った。
「ああ、そうだね」
名前は、おにぎりを食べ終えて牛乳を一口飲み、返事をかえした。
「喉、乾いた。その牛乳貰っていいか?」
「いいよ、ちょっと全部飲みきれないかなー、って思ってたところ。残りはあげるよ」
「おう」
名前は火神に牛乳パックを渡し、火神はそれを何も言わずに受け取ると口を付けて中身を一気飲みした。
「うめえ」
「よかったな。俺たち、アメリカ以来だ」
「おう」
火神は手の甲で口についた牛乳をふき取り、頷く。
「相変わらずだな、お前。イヤにデカい。ほんとに日本人か?」
「うっせー、お前こそ、俺とかお前とか、言葉遣いとか、ホントに女かよ」
「あ゛? 文句あんのかゴラァ」
火神に言い返されて、名前はピキッと片頬を上げるとおなじみの手をボキボキするポーズを取った。
が、火神は不敵な笑みを名前に向けた。
「んだ、悪ぶってんじゃねえよ。俺もお前がイヤに少女趣味だって知ってんだからな」
「んな……」
そう言われて、名前は言葉を詰まらせた。
火神は動揺して顔を逸らす名前を見て、さらにニヤッと口角を上げる。
「なんだ、貌、赤くなってっぞ? ハハッ、ったく、にしてもお前、前から女子にモテてたけど、あそこまでとはな」
「う、うるさいな……。中学ん時、友達のモデルに無理矢理撮影現場に引っ張り込まれたのが、もともとの原因なんだよ、自分を応援してくれるってのは嬉しいけどさ、なんつーか、その、照れくさいっていうか」
(いや、そういう問題じゃねえと思うんだけど)
火神はツッコもうとしたが、名前が恥ずかしそうに照れているのを見て、フッと笑うだけにしておいた。
(チッ、コイツ、俺を笑いやがって……!)
「なんだよ、照れてるのを笑ってんのか!?」
「あ? お前、鋭いのか鈍いのか、天才なのか馬鹿なのか、どっちかはっきりしろって、ったく」
火神に笑いながら言われた名前は、「他の人にも言われた」と遠い目をした。
(ああ、やっぱりそうなんだな、名前)
火神は、牛乳パックをグシャと握りつぶしながら名前の整った横顔を眺めた。
インディゴっぽい黒髪が、風に吹かれながら朝日に照らされ、キラキラ輝いていた。
「何見てんだよ」と聞かれて、「別に?」と返す。
「こういうやり取りも、懐かしいぜ」
「……、おう。俺たちもだいぶ、成長したけどな」
「まあな」
火神は呟いて、名前と白んでいく空を見上げた。
「ところで火神、どこの高校行ってんの?」
暫くして、名前は、何気なく尋ねた。
そして、帰って来た「誠凛の1B、同じクラスだぞ、お前と」という返事に、弾けるように立ち上がり、「ええええええええええええええええ!?」と大声を上げて叫ぶのだった。
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