雲外に蒼天あり

□第5Q.海常戦〜1Q
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練習試合当日――、火神、黒子をはじめとする誠凛男子バスケ部の1年生は、真新しいジャージに身を包んで、先輩に続き海常高校の門をくぐった。


遠くまで続く並木に、長く連なる数々の校舎、ガラス張りの渡り廊下。相当の設備だ。


「うわ〜、やっぱ広ぇ〜。運動部に力入れてるとこは違うねぇ〜!」

誠凛のそれの遥か上を行く施設に、日向は感嘆の声をあげる。


他の面々も海常のスケールに驚き、興奮の面持ちだ。



だが、その中に独り、異様に目をギラつかせて歩く者がいた。


火神大我だ。


そのあまりの様子を見かね、隣を歩いていた黒子が声をあげた。

「火神くん、何時にも増して悪いです、目付き」

「うるせぇ」


火神はなんでもねぇと黒子の追求を避けるように顔を背けるが、今度はそちら側にいた名前にまじまじと目を凝視される。


「ほんと、一晩ウォーリー探してましたみたいな目だな」

「うっせぇよ……」


と、言うのもこの火神。

昨晩、黄瀬との対戦を楽しみにし過ぎたあまり、ベッドに入るも寝るに寝つけず、気が付いたら朝になってしまっていたのだ。

目付きが悪いのは、別に目を酷使したからではなく、単に寝不足のせいだった。 



「ちょっとテンションあがりすぎてな……」

火神は、しくった、とばかりに左手で両目の間をぐっとつまむ。


「遠足前の小学生ですか」

隣から飛んできた辛辣なツッコみに火神が、「なっ何を!?」と反応した、その時。


「あ」と名前が表情を強張らせ、歩みを止めた。


「どーもっスー!」


聞こえた声と見えた姿に、火神も「黄瀬っ!!」と足を止める。


オレンジの短パンに黒いタンクトップを着て笑顔で駆けてくるのは、本日の誠凛の対戦相手海常バスケ部の1年、キセキの世代の黄瀬涼太である。



誠凛バスケ部は、立ち止まって黄瀬が来るのを待った。

因みに、名前は先日絞殺されかけたトラウマからか、黒子の後ろに辛うじて身を潜めている。


「広いんでお迎えにあがりました」

「どーも」


黄瀬は軽くリコと挨拶を済ませ、「黄瀬! おい!!」と向かってくる火神を綺麗にスルーすると、リコの後ろにいる黒子、そしてそのまた後ろの名前の元へ向かった。


「黒子っち〜に名前っち〜、うちにおいでって言ったのにあんなにあっさり振るから、毎晩枕を濡らしてるんスよ〜? も〜」


そう言って腰に当てていない方の腕で目をごしごしとこすって泣き真似をする黄瀬を、日向は「なんなんだあいつ」と半ばイラついた目で見る。


火神も「さっさと案内しろ!」と黄瀬に言うが、黄瀬はまるで名前と黒子のことしか見ていなかった。


名前は、黒子の後ろで縮こまりながら冷え冷えとした目で黄瀬を見る。


安定の黄瀬だ、と。




しかし、次の瞬間黄瀬は地雷を踏んだ。

「女の子にも振られたことないんスよ〜?」


それは、モテモテ黄瀬くんの何気ない、特に黒子への言葉だった。

黒子は、何の気なしに「サラッと嫌味言うの止めてもらえますか」と黄瀬を咎める。


そして、背後の名前が放つ空気の変化を感じ、「あ」と声を漏らした。




「おい、黄瀬ェ……」

「へ――?」


にわかに放たれた地獄の底から這い上がってきたかのような、絶対零度の凍てつく声が、黄瀬はじめとするその場にいた面々の全身を総毛立たせた。


名前は俯いた状態で、ゆらり、と黄瀬の前に姿を晒す。



「えっ、と……名前っち――?」


「やべぇ……」


黄瀬と火神は、名前の様子にこれはやばいぞ、と冷や汗を流す。


名前が怒るとどうなるか、彼らは知っていた。


「おい、黄瀬ェ、『女子にも振られたことない』って、どういう事だ……」


名前は、底冷えのする恐ろしい目を黄瀬に向けた。

深いインディゴの双眸が、ギラギラと物凄い殺気と燐光を放つ。


「ヒイッ」と日向やリコ達が身を縮めるが、名前の目付きは毎秒ごとに悪くなるだけだ。


それは常人ならトリプルアクセル後にスライディング土下座をしてしまいそうな剣幕だったが、黄瀬はあくまでもキセキの世代――、只者ではない。


「あ、そ、それはその、言葉のアヤッスよ!」


「あ?」


「えっと、あの、別に全然、名前っちが女の子じゃないとか言ったわけじゃないんスよ!? 名前っちはれっきとした女子ッス! だって――あ、いや……。ていうか、どっちかって言うと黒子っちに向けて言った言葉で〜!」


黄瀬は、名前の両肩を押さえて半べそで訴えた。


「……」


名前は、相変わらず至近距離から黄瀬の貌を睨みつける。

だが、その表情のスゴさは些か先程と比べ和らいでいた。

黄瀬は、名前が何も言ってこないので、誤解を晴らして、名前に落ち着いてもらおうと、更に言葉を続けることにした。


「あ〜、そもそも、オレは名前っちのことまだ諦めてないんスからね?」


黄瀬が言う。


「何?」

その言葉に反応したのは、周りで様子を見ていた日向達だった。

黄瀬は、彼らを好戦的な笑みを浮かべて振り返る。


「名前っち程の人を、黙って誠凛に置いておける訳ないッスよ。名前っちが居ると居ないで、どれだけチームのコンディションが変わると思ってるんスか」


問われて、日向は顔を顰める。

「どうって、アメリカ帰りでバスケもできる、ベテランのマネージャーだろ?」

名前の事をまだよく知らないバスケ部の面々は、彼女がチームにもたらす物についても未だ無知なのだ。


帰って来た答えに、黄瀬はほら見ろ、と名前に笑いかけた。

「ほら、皆名前っちの事全くわかってないじゃないッスか。うちの方が絶対、名前っちにとって良いに決まってるって!」


その頃には、無事誤解も晴れて名前の怒りは大分治まってきていた。

名前は、静かな諭すような眼で黄瀬を見返す。


「――、黄瀬、折角の誘いだが、やはり断らせてもらう。だが……、うちの面々を侮ってのその発言、放ってはおけないな」


「名前、っち……?」


「構わない、今日の練習試合、そっちが勝ったらお前の望み通り、俺は誠凛を抜けて海常に入ろうか」


「なっ!?」


名前の思わぬ提案に、黄瀬を含み黒子を抜いたその場の全員が驚きの声をあげた。


「お、お前、誠凛を抜けるって!?」


火神は、慌てて名前に詰め寄る。

だが、黒子が「火神くん、黙ってください」とそれを制した。



名前は火神と黒子を一瞥し、それからニヤッと笑う。


「だから、言っただろう。誠凛を離れるつもりはないと」


「なっ、お前――」


火神は、名前の言葉の意味を理解し、ハッと声に出して笑った。



――負けたら海常。だが、誠凛を離れるつもりはない。

つまり、誠凛は負けない、海常に勝つ、ということ。



「勝利宣言かよ……」

日向が呟く。


その通りだ。名前はここで、誠凛メンバーの前で堂々と海常と闘い勝つ、と宣戦布告・勝利宣言をしたのだ。



誠凛メンバーの闘争心に、火がつく。



「へぇ……?」


黄瀬は、余裕の笑顔を見せつける名前に、アグレッシブな笑顔で対抗した。そして、「だから」と続け屈めていた身を起こすと後ろを振り返る。



視線の先には、火神。


「だから、黒子っちと名前っちにここまで言わせる君には、ちょっと興味あるんス。キセキの世代なんて呼び名に別にこだわりとかは無いんスけど、あんだけはっきり喧嘩売られちゃあね」


黄瀬は火神に歩み寄り、その横を通り過ぎながら言った。


「ん……」

火神は、真剣な目付きで笑う黄瀬の横顔を睨む。

その場に漂うのは、ピリピリとした只ならぬ緊張感だ。


「俺もそこまで人間できてないんで。悪いけど、本気でブッ潰すッスよ」


「ッハ、おもしれぇ……」


黄瀬の言葉に、火神はいつもの様に笑顔を浮かべた。



(あんなこと言って、良かったんですか)


(チームの士気は上がった、黄瀬への挑発も完了。それに、勝つのは誠凛、負けるの海常、だ)


(誰もコールはしませんよ?)


(ったり前だ)



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