雲外に蒼天あり

□第7Q.海常戦終了後
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試合が終了しひと段落ついたところで、ザワザワとした日常の空気が体育館に息を吹き返す。


暫しその場で喜びを分かち合っていた、誠凛の選手たちとリコや名前をはじめとする面々。


だが、怒りに震える監督武内の指示もあり、今や半ば体育館から追い出されるようにして、早々に更衣室へと向かうべく手荷物をまとめていた。


マネージャーである名前は、なんだかんだここからが本業だったりする。

名前はせっせと、ドリンク、タオル、救急セット、その他モロモロを、クーラーボックスやらバスケ部エナメルバッグやらに詰め込んだ。


それから、黒子の怪我治療で発生した塵処理を頼むべく、海常側ベンチにいた海常のマネージャーの方に歩み寄る。


相手は、黒髪直毛ミディアムカットの、色白の女子だった。


「あの」

彼女は、美声で声をかけてきた長身でどう見ても中性的なイケメンの名前を見上げて、顔を赤くすると同時に「ハッ」と声をあげる。


「あ、あの、ど、どうかしましたか……?」

どこか強張った声色で訊かれ、名前は、膨らんだ黒いビニール袋をひょい、と持ち上げた。


「あの、けが人の手当ての時に出た塵なんですが……、乾くといえ血の匂いもありますし、量もありますし、公共交通機関で持ち帰るには少し気が引けるんです。そちらで、なんとか処理していただく事は、出来ないでしょうか」

申し訳ない話だが、筋を通して交渉してみる。


すると、彼女は「それぐらい、なんともないです」とコクコクと頷いた。

「あぁ、ありがとうございます。お世話かけます」

と、軽く承諾された名前はイケメンスマイルで海常マネージャーに笑いかける。


「んなっ、い、いえ、ほ、ほんとに気にしないでください!」

彼女は、途端顔を赤らめてあたふたしながら、名前から黒のごみ袋をひったくるように受け取った。


「はい、よろしくお願いします」


それを受けて、名前はまたニコッと笑い、マネージャーは更にあたふたする。




名前を出入り口付近で待っていた誠凛メンバーは、その様子を見て苦笑いしていた。


「彼女、天然のタラシだな、オイ」

そう言って日向が、「女なのに! ハハハ!」とワザとらしい笑い声をあげる。


女の子なのに、自分たちより女の子にモテるって、自分たちよりイケメンって、どういうこった。


「名前さんは、帝光にいる時、1日に何回も女子の皆さんから告白をされていました」


と、黒子がいきなりカミングアウトするものだから、誠凛は「えぇええええええええ〜!?」とオーバーリアクションで叫びをあげた。


「いや、女子→女子で告白ってオカシクね?」と、事情を察した火神除く一同が顔を顰めるのを前に、黒子は、「あ、口を滑らせました」と言ったっきり黙り込んだ。


「確かに、胸とかも無いし、背も高いし、貌も声も中性的だし、外見はおろか、言葉遣いとか言動も、どっちかって言うと男っぽいわよね、名前ちゃん。どっちかって言うと、王子様、って感じかしら〜。白馬とか、絶対似合うと思うわ〜」

リコがぽわわわわ〜ん、と白馬に乗った王子コスの名前を想像しながら、言う。


それを聞いて、色々と気になるところがあった火神は苦笑いをし、黒子は「それに関しては……」とさらにカミングアウトしかけて、また口をつぐんだ。


言ったら最後、名前の逆鱗に触れて跡形もなく吹き飛びかねない――、と思ったからだ。





その時、自らについて噂されているとも知らずマネージャーとまだ何やら話している名前の元に、1人の影が近づいた。


「名前っち、あの、お取込み中のトコ、いいッスか?」

試合に負けて名前を海常に引っ張り込み損ねた、黄瀬涼太だ。


首に水色のタオルをかけ、微笑みながら名前に話しかける。


「あ? ああ、黄瀬か。――試合、お疲れ様。なかなか良かったよ。それで、何の用? あ、ごめんなさい、じゃあ、そういうことでお願いします」


名前は海常マネから顔を離すと、黄瀬に優しく微笑みかけた。

それから、海常マネの女子にもう一度頭を下げると、話を聞くべく黄瀬の方に向き直る。


「ッフ、名前っちに褒めてもらえるなんて、マジ光栄ッスよ。でも、オレ達が負けたから、名前っちに海常に来てもらう、ってのは失敗――」


「だから何だ」

名前が顔を顰めると、黄瀬は眩しいくらいの笑顔で「だから――」と続けた。


「?」


刹那、にわかに黄瀬から好戦的なオーラが放たれる。


「……?」

名前は、黄瀬の様子の小さな、しかし確かな変化に気付き、つと目を細めた。









「だから、名前っち。――オレと1on1してくれないッスか」








黄瀬は、強い闘志のこもった眼で、名前を見た。



――黄瀬は、マジだ。



急に聞こえた突拍子もない黄瀬の頼みに、体育館中がシーンと静まり返った。


コートを2分するネットを戻していた部員も、椅子や机を片づけていた部員も、今しがた名前と話していたマネージャーも、監督も、両チーム選手も。


全員が、「は?」と狐につままれたような表情で、黄瀬と名前に視線をやる。



「黄瀬が、誠凛の女子マネと1on1?」

「は? アイツ、何言っちゃってんの……?」


「えっ、幾らバスケ経験あるっつったって、彼女と黄瀬って、冗談だろ?」

「ちょ、え? 名前ちゃんと黄瀬くんが1on1?」


事情を知らない海常や誠凛の面々は、「意味が分からん」と互いに顔を見合わせ、また2人に視線を戻した。



されど、見れば誰もがわかった。

黄瀬の目は本気、彼はガチで名前と1on1をやろうとしている、と。





だが、名前は小さなため息をつくと、腰に両手をあて、少々諭すように黄瀬を見上げた。


「試合で酷く、体力を消耗しているだろう。早いところでクールダウンしろ。そんな事で、アツくなってるなよ。頭冷やして今後の方向性についてでも考えておけ」

名前は言う。


それでも、黄瀬は名前との1on1をやるつもりだった。


黄瀬は名前の隣に立ち、ぐっと名前の首に自身の腕を回す。


「いいじゃないッスか、折角会ったんだし。やろう、1on1。ね?」

身体を密着させて耳元で囁く黄瀬に、名前は貌をしかめる。



「べたべたし過ぎです、黄瀬くん」

と黒子の呟きが聞こえた。


黄瀬の息が、耳にかかってくすぐったくて、名前は黄瀬から逃れようとする。

だが、思いの外黄瀬の腕が名前を強く拘束していたため、名前は黄瀬から離れることができない。



「確かに海常は、誠凛に負けたッスよ? でも、やっぱりオレ、名前っちのことは諦めきれないんスわ。全国1目指すなら、海常でもいいじゃないッスか。――だから、1on1でオレが勝ったら――」

「……はぁ」

耳元で囁かれる、「オレじゃだめなの?」的な口説き文句と大差ない黄瀬のセリフを、名前は溜息で切った。


やれやれ、と名前は自らの顔を横から覗き込む黄瀬を、ジト目で見返した。


「そんなような事を言われるかもしれないとは薄々思っていたが……、本当にそうなるとは、黄瀬、お前、単純な奴だな」

呆れがちに言う名前に、いや、それは違うと思う、別に黄瀬が単純わんこなわけじゃない……多分、と周りは心の中で突っ込んだ。


黄瀬は、「単純」といわれ些か眉根を寄せたが、直ぐになんだか甘える様な顔つきで名前に迫る。

「だって。だって、名前っちッスよ!? ――っていうか黒子っちズルいッスあ、オレが誠凛――いやいや俺は海常ッスやっぱり名前っちは海常に来てもらうッス京都とか京都とか京都とかに名前っちが連れて行かれてもイヤだし、やっぱり身近に置いとかないと心配ッスから、だから――」

名前は、長々と話しはじめた黄瀬の頭をペチ、と小さく叩いて、彼を黙らせた。

「ふっ、何回買い被り過ぎだと言わせるんだ。……、黄瀬、二度目は無いぞ?」


こうなったら、コイツは諦めてくれまい、と名前は苦笑する。

そして、冷え冷えとしたどこかわざとらしい目で、名前はじーっと黄瀬を見た。


――『二度目は無い』、ということは、つまり。


黄瀬は、パアッ!と眩しいくらいの笑顔を、その整った貌に浮かべた。


「えっ、もっ、勿論ス!」

テンションあがりましたと言わんばかりに、名前から身体を離すと、今度は正面からその肩に両手を付いて身を乗り出す。


「手加減はしない……、容赦なく潰す、良いのか?」


試合後の穏やかな表情から、冷静な顔つきになった名前に、黄瀬は喜びのあまりガバッと抱きついた。



「抱きつき過ぎです、自重してください、黄瀬くん」

と名前には黒子の非難が聞こえたが、興奮した黄瀬の耳にはそれは届いていなかった。


「構わないッス! 名前っちとやれるってだけでも、オレとしては願ってもない機会なんスよ!?」

と、黄瀬は力一杯名前の身体を押しつぶす。




それは、一介にも美形男子が美形女子に公然の場で抱きついている光景だ。

しかし、ギャラリーの間に満ちるざわめきはそれによる物ではなかった。



「黄瀬を、潰す……!?」

「何言ってんだ、アイツ――!」

「いや、冗談だろ!?」

「だって女だぞ、っつーか、マネージャーだし!」



――「黄瀬を、潰す」。

火神でさえ潰せはしなかった黄瀬を、潰す。


キセキの世代を、潰す。


そんなこと、可能なわけがない。

ギャラリーは、名前の言葉に、そろって耳を疑っていたのだ。




一方、その名前は現在白目だった。


「は……、なせ死ぬおい……俺を殺す気かヒットマンかお前抱きついてあの世に送るのか」

どうして自分ばかりが、黄瀬の攻撃に苦しまなければならないのだろう、火神とか火神とか火神とか、またボールをなげちゃくれないだろうか、と名前は呻いた。


黄瀬は、暫くして漸く名前が死にかけていることに気付き、慌てて腕の力を弱めて名前を解放した。

「っあ、またオレ、あ〜、もう、ホントごめんッス……」

頭をゴシゴシと掻きながら、へろ〜っとした表情で言う。


しかしにわかに、黄瀬の目は黄色い炎を灯した。


「でも、オレも成長してるッスよ。オレも、負けるつもりはないッス」


黄瀬の軽い挑発を受けて、名前はさりげなく自身の後頭部に手をやる。




「フッ、そうか……」


名前は俯き、ニイッと口角を上げた。


その傍ら、長い髪をポニーテールにまとめていたゴムを取り払い、今度は結び目の位置をうなじの上辺りまで下げて、再び髪を結びなおす。




数秒後――、突如、甚大な量の殺気に近いオーラが、うつむく名前から放たれはじめた。



「さて……」


呟く名前に向かって、何時の間にか四次元ポケットから出したボールを、黒子がパスする。


名前は、背後から着たそれを一目もせずに片手でキャッチした。



名前は感触を確かめるようにダム、ダム、と何回かボールをバウンドさせると、高く跳ねあげたボールを人差し指で捕え、その先端でクルクルッと回転させる。

シュルル、と音をたてて一しきり回転したボールは、数秒後スタッと名前の両手の中に納まった。



静寂。













「さて、やろうか――、黄瀬!」





凛とした強い声で言いながら、名前はアグレッシヴに笑う黄瀬の顔を見上げた。










まるで、コート上で得体の知れない化け物が対峙しているような、そんな緊張感が只でさえ広い体育館を満たす。


言葉を発する者は、誰も居ない。







常軌を逸した迫力で構える黄瀬と、鋭く引き締まった表情でボールを持つ名前。




キセキ同士の1on1が、今始まろうとしていた。
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