パロ

□妖怪大戦争B
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あの美しい狐に出会ってから、私の毎日は天地がひっくり返ったかのように忙しい。それまでの庵に籠って書物を読んで、たまに町で着物を見たりする生活が遠い過去のように感じられる。今だってそうだ、辛と名乗った異端の狐をこっそり追いかけて川のほとりまで来ている。

辛は川に来てから妖弧の姿から、狐の姿に戻り他の狐と同じように川に飛び込んだり、水中を泳ぐ魚に前足を振り上げたりしていた。それからもう何十分とたつが、魚一匹獲れていない。先ほどから、私は木の枝に寝転んで辛にバレないよう一部始終を見ているのだがどうも辛から漏れ出す妖力が魚にばれて逃げられてしまっているらしい。他の狐と同じように魚に向かって川面に飛び込む辛。水中の魚たちは、辛が飛び込む一瞬前からきちんと離れたところへ逃げていってしまっている。のに、バカの一つ覚えのように辛はずっと同じことを繰り返している。


満月の夜、辛に出会ってから私は彼をつけてまわった。そこでわかったのは、狐の仲間からも遠ざけられ、彼の毛皮目当てにやってくる人間や彼の微々たる妖力を狙う妖怪から逃げる生活だった。この森にいる狐の中で妖力を持っているのは、辛一匹だけ。きっと誰も、辛に妖力の扱い方を教えてやらなかったし、やれなかったのだろう。まだ若い妖狐が、一匹きりで生きていくのは大変だ。私はあのだだっぴろい草が繁る丘で一人きり、月を見上げる辛の姿を思った。

「私の庵にきたら、魚くらいいくらでも獲ってさしあげるのに。」
私が近づくと、狐は素早く飛び退いた。
「またあんたかよ、飽きねえな。」

瞳の青色はやっと私に慣れたのか、もう炎のようには揺らがない。私はしゃがみこんで狐の頭を撫でる。指の間から漏れる毛が気持ちいい。嫌がって手を振り払われても気にしない。
「いいですか、魚はこうやって取るんです。」
私はそう言って、一本自分の髪を抜いて見せた。辛は私の一挙手一投足に見入っている。私は指先に向かって呪文を唱える。すると毛先が蛍のように弱く光り明滅する。毛先をゆっくりと水面に入れる。するとすぐに、魚が集まってきて大きな虹鱒が毛先に勢いよく食らいついた。私はそれを引き上げて狐の四本足の下に引っ張り上げる。

「ね、簡単でしょ?」
辛は初めて妖力を使ったところをみたらしく、目を丸くした。
「すっ、すげえ!」

尻尾を左右に振りながら私を見上げる。いつも私を睨みつけるばかりだった辛もこんな表情ができるのか。興奮したように頬を赤く染めて、蒼い瞳がキラキラと輝いている。私は初めて向けられる好意に胸がわくわくするのを感じた。

「なあ、それどうやんの?!」
「え、」

今やってみせたのは、辛にいいところを見せたかっただけだ。まさか、辛が自分でやってみようと思うだなんて予想していなかった。妖力を一度も使った事がない辛には、この術は難しい。というか、この妖弧にこういった事ができる程の妖力があるようには思えない。何百年も生きてきて初めて、私は自分を浅はかだと思った。

「君にはできないかもしれないですね、」

歯切れ悪く、辛には不可能であることを告げるとさっきまでのあの嬉しそうな表情が嘘のように消え去って、いつも通り私を憎そうに睨みつけた。せっかく私がとった虹鱒も辛は掴もうとしない。

「それじゃあ、意味ねえんだよ。」

ぷい、とへそを曲げてしまった辛はするすると音をたてて流れる川を見つめる。

「俺は自分一人の力で魚を取れるようになりてえんだ。」

そう言うと、辛は音をたてないようゆっくりと川に入っていった。一瞬私を振り返った辛と目が合う。瞳の中が青く揺れていた。私は矢で射られたように動けなくなる。

「もう無理だなーと思ったら私を呼んでください、」
川に入ったまま、振り返った狐。大きな耳が揺れる。
「ぜってえ呼ばねえ!」

水面の光を反射させた金糸の衣が一際綺麗に輝いた。


それから私は辛に妖力の抑え方や使い方、その他諸々を教えて、それと引き換えるように辛は私に少しづつ好意のようなものを示すようになった。


そんなことがあってから数日後


辛の寝床の洞穴を覗くと、辛は狐の姿のままで寝ていた。

「あれ、今日は狐のままなんですね、」

妖力を使えるようになってから、辛はあの美しい狐の姿から妖狐の姿でいる事が多くなった。辛を狙う猟師が多いのと、人間に化けて町に遊びに行くことを覚え人間に近い姿をしている。

「ああ食か、なんか調子悪くて」

気だるそうに横になっている狐の横にしゃがみこむと、青い瞳が細く開いた。

「私の家にきますか? 看病してさしあげますよ。」

頭を撫でててもいつものように振り払われない。

「馬鹿言ってろ、俺はまだ首巻にされたくねえ。」
「辛、心配する事間違ってますよ、」
「ん?」
「私、首巻にはしないって言ったじゃないですか、そうじゃなくて、二度と帰れないって心配した方がいいですよ。」
「なんだよそれ、」

悪態をつく狐を胸に抱き上げて私の庵に連れていく。いつも暖かい辛の柔らかな体が、今日は熱いくらいだった。

「安心してください、本当に看病するだけですから、ね。」

狐がこくりと頷いて瞳を閉じた。私は辛を抱く腕に力をこめて足早に庵を目指す。


それから辛は、一度泊まってしまえば慣れたようで。嫌々言いながら私の庵に来てくれることが増えた。私は心底一度目に誠実に対応した自分を褒めてやりたい。2回、3回と辛を安心させるためにも手なんか出さなかった。辛だって私を意識してくれているように見える。あと少し。

「お前の家、いいな。」
縁側で寝転んでいる辛がふっと呟いた。
「一緒に住んでくれる気になりました?」
隣に腰掛けて私もお茶を飲む。庭では私の妖力を吸った桜が花の盛り。
「うん、いいよ。」
「え!?」
「うそ、」
振り返ると辛は、とろけるような笑顔でふふっと声を漏らして笑っていた。
「狐に化かされてんじゃねえよ、ばーか」




何百年と生きてきたが私はこれ程楽しいものを他に知らない。

気持ちよさそうに隣で寝息を立て始めた妖狐の頭を撫でると、辛は私に体をすり寄せた。無意識はもうこの鬼のもの。


●おわり●

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