純情
□教えてください
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午前の診察がやっと終わって、だいぶ遅い昼休憩。
ソファーに倒れると、いつもよりも2割増しのいたずらしそうな笑顔で先輩がやってきた。
「なぁ、野分。これなーんだ。」
わざとらしいねっとりした声。ずいっと伸ばされた腕が俺の目の前に出したのは、
「近現代の文学 森鴎外と翻訳」
と書かれた、本屋さんでもあまり見ない専門書のようなハードカバー。
「なんですか?これ。」
正直なところ、そんなことよりも少しでも多く仮眠をとりたい。ああ、でもその前に何か食べないと。な状況である。
「なんだよ、お前知らねーの。」
そう言っておもむろに開いた目次のページ。疲れてぼうっとしために、活字が痛い。
「ここだよ、ここ。」
そう言って指を刺された先。
「日清日露時の軍医 上条弘樹」
先輩の顔を見上げると、にやにやいやらしく笑っていた。
もう一度読んでみる。
「上条弘樹」
同姓同名かと思った。でもその横にちゃんと大学名が書いてある。
「お前、本当に知らなかったのか? でも、上条さんこういうの絶対知られるの嫌そうだもんな。」
なんて、たかだか二回あったくらいで知ったかぶりをしてくる津森先輩がとても憎らしく見える。
でも、なんで教えてくれなかったんだろう。いつだって忙しいけれど、その分ちゃんと、メールも電話もしている。
忙しい毎日に忙殺されて俺は同じ毎日をくりかえしているだけ。その日、その日、ちゃんと向上心をもっているけれど、それで満足しているわけじゃない。
また、ヒロさんが遠くなった。
こんなことを感じるのは久ぶりだ。
不安ではない。決して。
だから今日、できるだけ早く帰って、ちゃんと話をしよう。
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