純情
□帰ろう
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最近ずいぶん寒い日が続いている。季節の変化についていけなくて、クローゼットの中は夏物と冬物が混在している。今朝は急いで家をでたせいで、マフラーを忘れた。暖房のきいた電車から降りると、ぶるりと鳥肌が立った。
駅のロータリーを横切ったとき、ちょうど以前にみかけた所に篠田さんが立っているのが見えた。
見つめていたつもりはないが、ふいに篠田さんがこっちを向いた。急いで目線をそらせたけど、失礼な気がして、視線を戻した。六年ぶりに見る篠田さんの顔はあの頃から少しも変わらず、皴一つなかった。
「やぁ、上條くん。久しぶりだね。」
手を挙げてほほえんだ表情は昔みたいに意地悪なものではなくなっていて。この間篠田さんと一緒にいた小さな女の子を思い出した。
白いシャツに、灰色のスーツが爽やかで、昔は少しも感じなかったけど、篠田さんは男の俺から見てもかっこいい。
「何やってんですか。」
「ああ、子供のお迎えだよ。」
前に見かけたあれは、やはり篠田さんの子供だったらしい。篠田さんがお迎えって、少し笑ってしまう。
「こう見えても、もう父親なんだ。」
篠田さんは、見たこともない表情で微笑んだ。
「上條くんは、何をやってるの?」
「ああ、今帰りで、大学の助教授です。」
「へえ、すごいね。大きくなって。」
「なんですかそれ。」
そんな風に言われると、初めてあった日をだいぶ昔に感じる。
「あっ、そうだ。今度飲みに行こう。」
この時、俺は不思議と嫌じゃなく、少し浮き足立っていた。
「んじゃあ面倒なんで、明日にしましょう。」
だってそうだろ。こんな日が来るとは思ってなかったんだ。消し去りたいだけの記憶を自分から掘り返すなんて。
今日は久しぶりに野分が帰ってくる日。昨日から買い物はしてあるから、あとは作るだけだ。メールで注文された、バカみたいな量のてんぷらをあげていく。
帰ってきた野分に開口一番、「ご機嫌ですね、何かあったんですか」なんて言われてしまった。篠田さんごときで、機嫌がよくなるなんて釈だが、そんなことをすぐわかる野分はすごいと思う。
「お前、明日帰ってこないよな?」
「はい。」
「飲みに行ってくるから。」
なんとなく、野分には言っておかなくちゃいけない気がした。
「宮城教授ですか?」
「違うんだ。大学時代に世話になった・・・人?」
語尾が疑問系になってしまった。篠田さんとの関係を言葉に治すのは難しい。友達ではもちろんないし、先輩でもない。だからって、あの頃のことはぺらぺら話していいことでもないと思う。野分はそんな俺に困ったみたいに眉を下げて微笑んだ。さすがに最近、飲みに行くくらいでは焼き餅もやかなくなったみたいだ。
「わかりました。楽しんできて下さい。」
「おう」
楽しめるかどうかはわからないが、どこか楽しみにはしていた。
→つづく