擬アン

□脆く
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「いってー」

体育館にひびく足音とバスケットシューズの高音が、かっこ悪くこけた男の子のおかけで静まった。




「また辛がこけたぞ、マネジャーさーん」

なんて笑い声が辛の頭の後ろにふってくる。勢いをつけて立ち上がり、両足を見てみると、真っ赤な血だまりができかかっていた。

「これは保健室行った方がいいかも。」

救急セットをもって走ってきてくれた女子マネージャーの声に、辛は「うげっ」と唇を歪めてしまった。

「食先生まだいたら私もついていきたいなー。」

と女子マネさんは頭の上に、あの白髪を思い浮かべている。

「なぁ、なんとかしてくんねぇ?保健室行きたくないんだけど。」

うなだれる辛の背中をチームメイトが勢いよく叩いて、辛はまた前のめりになった。

「すげー食先生に気に入られてるから行きたくないんだよなー?」

「うるせえなっ」

でもそんな理由で、いけずにすむはずもなく、辛は重い足をひきずって保健室へと歩いていった。



「しつれーしまーす。」

扉をあけるとき、心底食がいないことを願ったが、食は腕を開いて待っていた。

「いらっしゃい、辛。」

人がこんなに怪我をしてるのに、どうしてこいつは満面の笑みなんだ。

「今日はどうしました?もしかして私に会いに?」

「ちっげーよ! 膝見ろ!」

やっと視線が下へ降りた。

「うわっ、痛そう。」

あまりに正直な発言すぎてイラっとする。

「なんでもいいから、これなんとかしてくれよ。」

そう言うと、今までのバカ騒ぎが嘘のように食の姿勢がしゃんとして、テキパキと準備をはじめた。

「辛、そこの水道で傷口洗ってください。」

「はいはい。」

最初からこうしたらいいのに、まったく何やってんだか。

丸椅子に腰掛けると、眼鏡をした食が向かいに座ってドキリとした。

「じゃあ消毒します。」

辛はきつく目を閉じた。

「っい!」

ピトリと当てられた赤い消毒液があまりに痛くて目を開けてしまう。声を上げたのにおかまいなしで、食は消毒液を塗り続けた。

「よく耐えましたね。」

半泣きな辛に、子供をあやすような声をかける。

「お前下手なんだよ。」

「高校生にもなって消毒液ぐらいで泣かないでくださいよ。」

「泣いてねえ。」

そのままガーゼをあてて、白いネットを被せられた。こいつはいつも大げさに手当てするから嫌なんだ。

「はい、できました。」

膝を何度か曲げ伸ばして確認する。

「足の手当も終わったし、もうちょっと休憩していきませんか?」

さっきまでの真面目な顔は、もとの緩みきった笑顔に変わっている。

「しねぇよ、試合前なんだ。」

「おいしい麦茶とアイスありますよ。」

「なんで保健室にアイスがあるんだ。」

「君が食べるかなと思って。」

さらさらと口から出てくる言葉全部が王子様みたいに嘘くさい。ドキドキする自分と嫌に冷めた自分がいる。

「他の人にバレたらどーすんの。」

「辛が内緒にしてくれたらバレません。」

そんな会話をしている間も、窓の向こうにいる女子生徒から手を振られている。こんなに人気があって、なんで俺なのか。

「んじゃ俺、練習戻る。」

「試合前ならしかたないですね。」

引き留めもしない身軽さが嫌だ。

大人はずるい。
さんざん遊んでおいて、あきるのなんか一瞬なんだ。

長い廊下をぬけて熱気のこもった体育館へ戻った。地鳴りのような足音と、バッシュがすれる高音に頭がぼうっと吸い込まれていく。そうなれば考えることは、ボールと相手の位置だけ。


それだけでもういっぱいなんだ。それ以外は考えちゃだめなんだ。

●おわり●
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