お題

□歪な月光
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「ぎゃあああああああ!!」


昼間の生徒たちの喧騒はどこかに消え、
静かに月明かりに照らされている校舎の廊下の一角で

耳障りなほど煩い悲鳴が響いた。


「あ……ぐ……っ」


蛙のような悲鳴を上げた後、
痛みに悶えながらその声の主は己の血でできた水溜りの中でビクビクと痙攣していた。


「……キモ」


先ほどまで血気盛んに私を追い回していたというのに、反撃してみればこの体たらく。
興奮に血走っていた瞳は、今となっては無様なほど目玉が飛び出そうなくらい見開かれていた。
本体から斬り放された両腕と両足は、子どもが片づけをめんどくさがって放り出されたおもちゃのように転がっている。

小さいとき、虫の手足を全部もぎ取って遊んだことがあるけど、そのときとまるで同じだ。
進むことも退くことも出来なくなった体で足掻いて、段々その場で息を引き取っていくさま。

どうやってもこれ以上生を留めていることなんか出来ないのに、
未だに逃げようと、生きようとするさま。

実に滑稽で、目の前にあるガラクタが、先ほどまで自分と同じ生命体だったということを信じたくなくなる。

バラバラの肢体より、まだ生にしがみつこうとする男の無様さに、私は吐き気と嫌悪を感じた。


私は持っていた日本刀の刃についた汚い血を払い、簡単に手ぬぐいで拭いてから刀身を柄鞘収めた。

息の細くなった男の右手だったものから、安っぽいナイフを奪う。

所々刃こぼれのあるそのナイフで殺された奴が何人もいると考えると、今まで狙ってきた獲物がいかに弱かったのか思い知らされる。

私にはどんなやつ等が標的にされてきたのかわからないけど、

今回は、別だ。


「私はただのウサギじゃない」


手首のスナップを利かせて、私はガラクタに向かってナイフを投げた。


「が…………!!」


胸の中心を狙ったはずが、ずれてのど元に刺さった。
案外難しいな。


ガラクタは一回びくんとはねると、それ以上動かなくなった。

血も、ちょろちょろとミミズのように出るだけで、想像していたより飛沫を上げることはない。


最期の呆気なさに息をつく。
鉄錆びの香りが充満するその場所で、少し空気を吸っただけでその匂いが口に広がった。

まずい、汚い、気持ち悪い。

生理的嫌悪を感じて、私は廊下の窓を開けた。

夕立があったせいか、まだ微弱に残っているあまり好きじゃない雨独特の香りが鼻をさす。
あまり変わったものじゃないなと思いながらも、その空気の涼しさに心地よさを感じ、目を閉じた。

しばしの休憩。
また誰かがやってくる前に、少しでもまとう空気を入れ替えたかった。

意外にも血の匂いに酔わなかったことに驚きだが、その匂いはやっぱり、私にとっては悪臭でしかない。

苦手な雨の香りがいつもより無臭に感じるのは、本当に夕立から時間が過ぎたせいなのだろうか。


「……お風呂入りたいな」


湯気の立ち込める浴室と、お気に入りのブルーベリーの香りのする石鹸の匂いがとても恋しくなった。


目を開ければ、僅かに満ち足りない月がそこにある。
中途半端な大きさの雲に部分を僅かに隠されながらも、その明かりは綺麗で少しまぶしい。

掴めそうな気さえして、右腕を伸ばして宙をつかむ。

明かりの前に照らし出された私の手の大部分が、乾いた血液で色を変えていた。

月が掴めなかったことより、茶色に近づいたただ汚いだけのその手を見て、
私の肩は自然と、ため息と一緒に落ちた。


「早く戻ろう……」


窓を開けたままにして、私はその場を離れた。

振り返らず、
その場に残ったガラクタが月明かりに照らし出されて恍惚と光っている様子を見ることはなかった。


向かう先は新聞部の部室だけど、その前に、


「水道どこだろ……」


比較的汚れていない左手に刀を持って、長い廊下を歩いた。

ふと、目の前の景色の変化に、眼を外に向ける。

先ほどより面積を増した雲に半分以上を覆い隠された月がそこにはあった。

光は弱弱しく、今にも消えてしまいそうだ。

けれど、粘るように月は雲に完全に覆われない。

まるでさきほどのガラクタのようだ。美しいとさえ思ったその光に、私は舌打ちをした。


抗えないなら、早く受け入れてしまえばいいのに。


しばらくすると、その球体は完全に雲に覆われた。

微弱な光さえ絡めとられてしまった明かりを失い、世界が闇に染まる。


月が隠されるその数秒の間、
抗うことも出来ず受け入れるしかない雲への足掻きようが、

私への見せしめ、私を嘲笑っているかのように感じた。



『現状を受け入れていないのは、お前のほうだろう?』



きっとこれが、錯覚や幻聴と言うものなのだろう。

表面でくだらないと思う反面、その全てを否定できなかった。

本当はまだ、強がっていないと、体が震えだしそうなんだ。

人一人を殺めてしまったという事実が、あまりにも非現実的で、受け入れられない。

気づいたらもうバラバラだったなんて、言い訳は出来ない。
表面に出てきた自分の知らない狂気染みた一面の裏で、私はそれを見ていたんだ。

"死にたくない"という一身で、臆病に膝を抱えながら、確かに見ていたんだ。

当初は気絶でもさせればいいと思っていたのに、肢体を切り裂くもう一人の私は、
認めたくないけど、やっぱり私で。


『傍観者気取りはもうやめたら? これがアンタの隠し持ってた願望で、狂気なんだから……

 早く認めて受け入れちゃったほうが楽だよ』


そう言って、もう一人が笑った。




歪に歪み始めた私の日常。

きっともう、元には戻れない。

僅かな望みさえ、いずれあの雲のように覆われてしまうのだろう。


それでも、

「まだ、私は……」

狂気に染まっていないほんの一握りの思いを、優しく握った。





歪な月光


『認めたくないなら、まあいいけどね。

 けど、アンタはそこで座ってなよ。今出てこられると邪魔だからさ』


表面に現れるもう一人の私は歩きだす。


まっすぐと、新聞部と書かれたプレートのある部室を目指す。



やっと見つけた水道さえスルーして。



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