Cross-roads


□Cross-roads
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その優柔不断さ、よくわかるよ。
でも僕の場合、競争社会の中で生きている人たちから置いてきぼりになることは気にしないんだ。
僕はただ、心の安定が欲しいだけなんだ。
- Boston

Cross-roads


重く垂れ込めた雲とシンバルのような轟音は嵐の前兆だ。この世界に打ちつける雨粒が、その兆しをより確かなものにしている。雨から逃れようと、外にいた人々はひさしの下に駆け込んだ。なんとか濡れずにすんだと安堵のため息を吐き出す者。バス停の屋根の下でうずくまって恨み言を言う者。

しかし彼は…彼だけは他と違っていた。いつ落ちるとも知れない青白い閃光の中、彼は水浸しの地面をザブザブと進み、しぶきを上げて走り続けた。

わけがわからない。でも彼は走り続けなければならない。こんなことをしたって、ライバルに勝てるわけでもないと分かっているのに。本能が、そろそろ立ち止まったほうが良いのではないか?と警告している。風邪でも引いて、むしろ後戻りを余儀なくされるリスクを背負うより、嵐を避けるためのシェルターを探したほうが良いと。しかし彼の頭はそうは思っていないようだ。

こうして彼は依然として前に進み続け、少しでも先に行こうとした。我が家に帰り着くために、仕事に、他者より抜きんでるため、人々の賞賛という気まぐれなもののために。
そして何かが起こった。ただ閃光が目の前をよぎった瞬間、痛みが走り、焼けたような臭いがして…闇に包まれた。


*


そこは奇妙なことが起こりそうな、そんな兆しのある慌ただしい`駅`だ。まるで平凡な生活をそのまんま縮図にしたような不思議な空間。構内に入り、切符を買う。改札を通り、階段を下り、黄色い線の内側に立つ。待って、待って、待ち続けて。電車が到着する時には少し後ろに下がり、ドアが開いて乗車する。そして人生という名の線路の上に滑り出す。

こういった行動は普通、無意識に行っているものだ。赤ん坊の頃のおしゃぶりの咥え方のように、特に覚えておくものでもない。それは消えかかったデジャブに似ていた。

ヒョクチェはどうして自分がこのプラットホームに突っ立っているのか分からなかった。そして見知らぬ誰かが同じホームで立ち止まり、何か重要な事を決めかねている様子で停車中の電車を見つめていることに気が付いた。

こうしてぼんやりしている状況は、いつだって一番乗りするタイプのヒョクチェにとって衝撃的だった。彼はこの異国にいるかのような感覚に囚われて躊躇し、立ち尽くしている。そんな彼の後ろから、早く乗れ!とせっつく大勢の人々の苛立ったうなり声が聞こえる。…一瞬、時が止まったように感じた。

最後尾の乗客が電車に乗り込むと、プラットホームに残ったのはヒョクチェと、もうひとりの男だけになった。ヒョクチェはその均整のとれた姿を見つめ、次に、まるで自分を待っているかのように開いている電車のドアを見つめた。
多くの視線が車窓から注がれたので、ヒョクチェはにらみ返した。なぜ、こんなにも間違いを冒したような気分になるのか、訳もわからずに。

ヒョクチェは縮み上がり、まるでケンカに負けてすっかり大人しくなった羊のたちのような乗客の列に滑り込むはずだった。しかしようやく半歩、前に踏み出そうとしたその時、自分の持つ戸惑いとは何か別な感情を抱いている様子のその男が目に映った。

好奇心は身を誤る。
…どういう訳か、その時はいつもの常識の片鱗もアタマの片隅になかった。ただ、頑なにプラットホームに足を踏ん張っているその男の事をもっと知りたくなっただけだ。そこに立っている理由をどうしても知りたくて。 どうして、どうして、どうして?

ヒョクチェが踵を返して線路に背を向けたと同時に、ドアの閉まる音がした。線路に沿って車輪の軋む音がその場を軽いパニックに陥らせる。それが過ぎた瞬間、彼は軽い眩暈を覚えた。それはまるで、自らの意思で余計なしがらみを一切断ち切ってしまうような感覚だった。

水中から追い出された魚のような、森を追われた猿のような、完全に取り残されたような孤独と言っても差し支えないだろう。しかしヒョクチェは笑顔を貼り付け、自分が案じているほどヨロヨロしていませんようにと祈りながら、考え込んだ表情で走る電車をじっと見つめているその男に近寄った。わずか2、3歩進んで声を掛けるだけだ。その男はふと振り向くと、ヒョクチェを不思議そうに見つめた。そしてヒョクチェはまるで言葉を忘れてしまったかのように、バカみたいに突っ立っていた。

その茶色いひとみは、まるでヒョクチェが昔からの親しい友人であるかのように微笑みかけている。たまたま偶然居合わせてしまった変な奴に対応する感じでもなく、居心地悪そうに会釈してさっさと逃げだしてしまいたい様子でもない。なぜ、彼の「こんにちは」という暖かい声に、自分の心がこうも飛びつくのか解らなかった。しかし伸ばされた手をヒョクチェは快く受け、見知らぬもの同士に架けられた橋が完成したように、ふたりは握手を交わした。

「やあ…。」



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