Our last days as children

□Our last days as children
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陽の光が朝を告げる。
目覚めようとする身体に従い、ドンヘは両手をヘッドボードに擦り当てながら気だるくストレッチすると、ベッドから転がり出た。

ドンヘの視線は本能的に窓の外に向かった。覚えている限り、いつもと変わらない景色だ。緑がかった青い波が引いては返す。そして高々とその身を持ち上げた後は、ただ砂浜に打ち付けるためだけの波しぶきに姿を変える。

たちまちドンヘはその中に飛び込みたくなる。自分のサーフボードを引っ掴んで、太陽が上がりきる登校時間ギリギリまで思う存分、波と遊ぶのだ。 

でもドンヘは今が夏休みだということを思い出して微笑んだ。高校の卒業式を終えたということは、つまりあと2ヶ月間、波と太陽で一日中びしょ濡れになってたっていいんだ。デッキに向かうドンヘの足下で、床がギシギシと軋んだ。木製の手すりに手を預けると、ドンヘは今日の波をチェックし、いつも一緒に遊ぶサーファー仲間達を眺めた。今日は彼らと遊ぶつもりはない。

ドンヘにとって、今日は特別な日だ。
もう7歳の頃からずっと、毎年同じように興奮し、いざ今日という日が来てしまうと終わることを想像して悲しくなる日。ドンヘはもう一度ハイスクールの最上級生の始めに戻ってもいいとさえ思ったが、勿論そんなのはゴメンだ。

ため息をつくと、ドンヘは重い足取りでビーチに出た。出来る事ならいっそ迷子になってしまいたかった。だがドンヘは家に戻り、素足にビーチサンダルを引っかけ、汗も拭かずにパーカーを被り、玄関にカギさえかけずに再び外へ出た。


-


「遅いよ」 

ドンヘにゆっくり見る間も与えず、ヒョクチェが言った。

ヒョクチェの口元に浮かぶしかめっ面などお構いなく、ドンヘは口を歪めてニヤリとした。

「多分、お前より早く起きたと思うぞ」

「それ言うなら、俺なんか一昨日から寝てないよ。卒業式から真っ直ぐ夜行でここに来たんだから」

ヒョクチェはいぶかしげに持ち上がったドンヘの眉に微笑んだ。

「まさか卒業パーティーにも出ないで?」

嫌味っぽくドンヘは訊いた。

「なんで?」

カフェのそばのベンチに座りながら、ヒョクチェは肩をすくめた。理由なんて言わなくたってドンヘは知っているのだ。
控えめに微笑み、ドンヘはヒョクチェに手を伸ばすと抱き上げ、ギュっと抱きしめた。ヒョクチェも同じように抱きしめると、ふたりは互いに深く息を吸い、互いの髪と肌に深く鼻を埋めた。

ドンヘは海や太陽、それら全てが放つ、暖かさや優しさの香りがした。ヒョクチェは都会の心地よさや、美しい記憶だったり我が家みたいな香りがした。たとえヒョクチェが夏の間の一時期の滞在者であり、いずれ自分の家に帰っていく人間であっても、ヒョクチェがいる場所こそが自分の家だと、ドンヘは感じるのであった。

数秒後ふたりは身を離し、お互いをまじまじと見定めた。

「変なカオ」

ドンヘの伸びた髪の毛先を少し引っ張り、ヒョクチェが言った。

「あたまもボッサボサ。起きたまんまでしょ?」

「お前は相変わらずのやせっぽちだな」

肩をすくめ片手で乱れた髪をかき上げながら、ドンヘもヒョクチェにやり返した。ヒョクチェはパンチを喰らわせたが、腹が減りすぎて力が出ないと言い訳した。

「いつもそんなもんだろ!さあ、なんか食べよ?俺も腹減った」

拗ねたヒョクチェから次々繰り出されるパンチを素早くよけながら、ドンヘは向かい側のエアコンの効いたダイナーにヒョクチェを引っ張っていき、朝食を奢ると約束することでヒョクチェの攻撃から身を守った。

「ストロベリーパンケーキ、まだあるかなあ?」

そんな疑問が出るほど前回のヒョクチェの訪問から時間が経ったことにドンヘは一瞬驚き、「あるよきっと」と答えると、ふたりのいつもの場所に座った。ウェイトレスがヒョクチェの名前を覚えていた事と、もう一つの知らせが、ヒョクチェを輝くような笑顔にさせた。そう、ストロベリーパンケーキはまだしっかりメニューに鎮座していた。


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「変わらないね」 

ヒョクチェはドンヘのビーチハウスに入ると、暫し立ち止まり部屋を見渡した。

「それに掃除したんだね?片付いてる」

「どうせまた散らかるけどね」

ヒョクチェは本当に聞きたいことを控えていたが、下唇を噛み、やはり聞くことにした。

「あれからお父さんの家に行ってみた?」

ソファに座ったドンヘから沈黙が返ってくると、ヒョクチェはため息交じりに再び聞いた。

「どうして?」

見つめ返し、ドンヘは信じられないといった風に答えた。

「分からない?」

「でも、ドンヘの家はあそこでしょ?ここもお前の家だけど…」

ヒョクチェは簡潔に言った。ドンヘの目つきが険しくなり始めた。ヒョクチェはため息をつくと、ドンヘから出る冷たいオーラなど構わず、その隣に座った。そしてドンヘの肩に自分の顎をのせ、腕に手を添えた。

「まあとにかく…俺、このビーチハウスが大好きだよ?ここは俺たちの大切な場所だもんね?」

ドンヘは片目の端でヒョクチェを見た。すると自分の強ばった表情が、ヒョクチェの笑顔につられて次第に柔らかくなっていくのが分かる。ヒョクチェがドンヘを軽く肘でつつくと、ドンヘもつつき返した。やがてふたりはお互いをソファから引きずり下ろし、ビーチに出るよう急きたてた。始まったばかりの夏休みを、一日だって無駄にするわけにはいかないのだ。


-


「いやいや絶対にダメ!ひとりでなんて、まだまだ無理だよ!」

「あのさ、このやりとり毎年してるよね。で、毎回お前が根負けするよね?」

腰に手を当て、ヒョクチェが言う。
ドンヘが言い返そうとした瞬間、ヒョクチェが更に畳みかけた。

「それに、そもそも俺にサーフィンをやらせたがったのはお前でしょ?」

「確かにそうだけど、」

サーフボードを守るように抱えながら、ドンヘは返した。

「でも、だってまさか、お前がボードをぶっ壊す名人だとは思わなかったんだもん!」

「そんなのたった一回だけじゃん!それに、あれはお前のせいだったし」

「なんでそうなるよ!?」

ドンヘは片眉をつり上げた。互いに鼻を突き合わせると、ヒョクチェは微笑み、おもむろにドンヘの水着を引っ張った。

「忘れたの?」

顔を赤らめ、ドンヘは頑として認めようとしなかった。
それは2年前、16歳の夏だった。ドンヘがヒョクチェにサーフィンを教えていたその日の波は、強く高かった。ドンヘは教えることに夢中になり過ぎて、自分の水着が脱げたことに気付かなかったのだ。ドンヘがボードに上がった後、取り残された水着がユラユラと海面に漂っていた。

「お前のむき出しのケツで、俺がどんだけショックを受けたか…」

ドンヘは自分の水着を引っ張っているヒョクチェの手の、その指と指の間に自分の指を無理やり滑り込ませて掴むと、思いっきり強く握った。

「そんなに可笑しいか?え?」

「ふふ、すっごく!」

ヒョクチェは笑いながらドンヘの手をグッと締め返すと、すぐに突き放した。ひとしきり笑ったヒョクチェがボードを抱えてさっさと波に向かうのをボーッと見ていたドンヘだが、一瞬のトランス状態から気分を引き戻し、慌てて自分のボードを抱えて後を追った。ヒョクチェにボードを任せてひとり海に出すことは絶対にノーだ。


-


「それで…ヒョクはお父さんとは上手くいってる?」

6月中旬。太陽はジリジリと焦がすように熱く、頭痛がするほど冷たいかき氷もこの暑さには焼け石に水のようだ。お土産屋やレストランが集まるこの海岸沿いのボードウォークはいつも人で賑わっている。ふたりはクジラが描かれた巨大な壁画の倉庫の前に座り、道行く人を眺めた。そして、これまで話題に登ることもなかった小さな事も含めて、様々なことを取り留めもなく話した。

夏の2ヶ月間を除く一年の大半を離れて暮らしているにも関わらず、こうしてお互いの人生に当たり前のように深く関わり合うのは、妙なことかも知れない。しかし彼らに特別なこだわりがあるわけではなく、実際のところ、ふたりはお互いを生活の一部として受け入れ、いつもそうでありたいと思っていた。

ヒョクチェは鼻から息を吐き出した。人口着色料をふんだんに使用しているジュースのせいで、その唇は普段よりも更に赤く染まっていた。

「相変わらずかな。一緒に何かするわけでもないのに、俺をこっちに呼び寄せる意味がよくわかんないけど」

面倒くさそうな気持ちがヒョクチェの声のトーンに含まれていた。

ヒョクチェの両親は離婚しており、ヒョクチェと姉は母親と一緒に遠く離れた都会で暮らしている。ちょっとした観光地でもあるこの海岸沿いの小さな町は、ヒョクチェの父親の地元であり、ヒョクチェの生まれ故郷だ。

「父親なんて普通そんなもんじゃないの?ここじゃあ生きるために一年中働くしかないんだから」

ドンヘはそう言ったが、実はヒョクチェの言葉が気に入らなかった。どこがどう面白くないとは即座に説明できないが、何か心に引っかかりを覚え、ヒョクチェの反応がどうであろうと自分にはちっとも影響ないようなフリをして尋ねた。

「ヒョクは、ここより自分ちで夏を過ごす方が良かった…?」

「俺、今、自分ちで夏を過ごしてるけど?」

道行く人々からヒョクチェに視線を戻したドンヘの目には、小さく涙が溜まっていた。ドンへはいぶかしげに目を細めてヒョクチェを見つめた。ヒョクチェは柔らかいまなざしをそのままに、ドンへを見つめている。勿論ヒョクチェは父親に言われたからここに帰ってきたのではない。

にらめっこはしばらく続いたが、ドンへはもどかしい空気に耐えられなくなり、ヒョクチェの飲み物をよこせと指さした。普段なら尋ねもせずにヒョクチェの物を横取りするドンヘが、今日はこうして自分に伺いを立てている事に驚きながら、ヒョクチェは自分のジュースをドンヘに差し出した。ズビーッと大きくすするとストローを噛み、ドンヘはしかめっ面をした。

「こんなクッソ不味いの、よく飲めるな?チェリー味?」

「オレンジとグレープのミックスに近い味らしいよ?」

「無理だね」

ヒョクチェと目を合わさないまま、ドンヘは言った。しかしその視線はヒョクチェの唇…マラスキーノチェリーのような真っ赤な唇を見ていた。ドンヘは自分達が12歳の時、ヒョクチェの家のパントリーに忍び込んだことを思い出した。ふたりは大食い競争をして、マラスキーノチェリーのボトルを半分以上も食べたのだ。それ以来、瓶詰めの果物を見るとドンヘは具合が悪くなるのだ。

でも今、ドンヘは考える。ヒョクチェのチェリーのように赤い唇はどんな味なのだろう?ドンヘは頭を傾け、果たしてどうしたものかと考えあぐねた。なにしろ、去年の夏から一年が経っている。

まるでドンヘの考えが読めたかのように、ヒョクチェの目が一瞬、大きく見開かれた。実際、ドンヘの考えそうな事など、ヒョクチェにはお見通しだった。次第にドンヘの顔が自分に近づくと、ヒョクチェは下唇を噛んだ。ふたりの鼻がほとんど触れそうになった寸前、ドンヘは動きをとめた。更にこの先に進んでも良いか、退くべきか、ドンヘはヒョクチェに任せることにした。

ヒョクチェは小さく溜め息をつくと、その息をドンヘの唇の上に落とした。そして小さく意を決すると、自分の唇をドンヘの唇に押しつけた。ひんやり冷たい、どこか違和感のある久しぶりのキスに、ふたりはしばし動きを止めた。しかしそれから間もなく、冷たくベトベトした、喜びに溢れた両手がヒョクチェの頬を包むと、何もかもがしっくりと収まったように思えたのだった。ふたりは幼馴染みであると同時に、この関係が今もって変わることなく、居心地のよいことがただ嬉しかった。

チェリーとヒョクチェの両方を味わうと、ドンヘは唇をペロリと舐めながら身を離した。

「俺、考え直した」

「何のこと?」

ヒョクチェは困惑して尋ねた。少し息が上がっている。ドンヘは微笑むと、さほど美味くも感じなくなった自分の飲み物をすすって言った。

「チェリー味、好きになった」



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