Tourlist History


□Tourlist History
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さながら60年代に起きた世界平和とマリファナ合法化のための暴動から抜け出てきたようなオンボロのバンをドンヘが宿舎の前に乗り付けた日、ヒョクチェはもう二度とドンヘの言葉を軽く扱うまいと誓った。

その車体に描かれたピースサインは白い筋で色あせているし、おまけにドアの蝶つがいは外れかけている。そしてドンヘは、いまだかつて無い程のいまいましい笑顔でその茶色い車を自慢している。

「どうしたのこれ?」

まるで宇宙船か潜水艦でも見るような目つきで謎の物体をジロジロ観察しながらキュヒョンが尋ねた。ドンヘは今まさに海底2万マイルの旅に出掛けるネモ船長のような気分だった。

「これはねえキュヒョン、おれの家なの。」

まるで木や金属やガラス等で、一から自分で作り上げたかのような誇らしい気持ち一杯に腰に手を当て、ドンヘは答えた。そして同じような笑顔を口元にわざとらしく貼り付けてヒョクチェに向き直った。ヒョクチェは自分の頭をそのバンに打ち付けたい衝動を辛うじて堪えていた。

「どう、ヒョクチェ? ひとっ走りしてみない?」

いつしかそのひとっ走りは、一度振り向いたら迷子になりそうな程の長い長い旅へと続いていく。その決断に、ふたりとも異議などなかった。


*


世界中が自分の庭になると考えたら、何となく心惹かれる感じがする。とはいえ、自分の人生が四方の壁にすっぽりとはめ込まれてしまう程度のもので、いやおうもなく生活に必要な全ての物はコンパクトに荷造りされ、更に自分たちそれぞれの30数年の人生が、フロントシートと後部座席に据えられたダブルベッドの間の狭い空間に挟まれながら旅することになると気付かされたら、どんなに空しくなるだろうか。

ヒョクチェはこのバンを以前使用していたであろう恋人達の匂いや、酔っぱらった夜の残飯の臭いが入り交じるタバコの跡が点々とついたこのマットレスが大嫌いだ。新しいベッドシーツを買う余裕が出来るまで、ドンヘは高級瓶入りアイスティーを1ヶ月間買い控えると譲歩したので、それまではヒョクチェは運転席で寝ることにした。運転するたびに5分間もギアシフトと格闘し、なだめるようにダッシュボードを軽く叩いて古いポンコツ車が快適なエンジン音を響かせると、ドンへは勝ち誇ってヒョクチェに舌をペロリと突き出すのだ。 

「なんで古いトランスミッションのバンなんか買うんだよ?運転の仕方も知らないくせに。」

「フン、ヒョクの恩知らず。運転中なんだから黙っててよ。」

ヒョクチェはあきれると、不意に開いて彼の膝にバシッと当たった助手席前のグローブ・ボックスの扉を蹴り閉めた。しかし5秒後にそれはまた開いて、地図やら紫色のサングラスやらがなだれ落ちてくる。ヒョクチェはやるだけ無駄だったと溜息をついた。

これまで自分たちがこうしてこれたのも自分の素晴らしい運転技術と神の御手によるものだとドンへは言う。確かに7000マイル以上もの距離を、この動く棺桶に閉じ込められながらも生かされているのは自分たち自身よりも何か大きな力が働いているに違いない、とヒョクチェは思う。

ドンへは片方の目で前を見ながら、もう一つの目の端でヒョクチェを伺い見ると溜息をつき、片手をギアから離してヒョクチェの膝を掴んだ。

「なあ、このバンに余分な輸送船代がかかっちゃって、おまえがヘソを曲げるのも無理はないと思うよ?でもさ、こうでもしなきゃ、一生ポルトガルから出られなかったんだよ?アメリカに戻りたかったんでしょ?またアメリカに戻って自分の目で確かめるんだって、いつも言ってたじゃないの。」

「戻って来られて嬉しいさ。」

ヒョクチェはブツブツ言った。そして食べかけのマカロンをカップホルダーから掴んだが、その拍子にフタの開いた咳止めシロップをうっかりひっくり返してしまった。それは2週間前、彼らがまだスペインにいて、暴風雨でびしょ濡れになり風邪を引いたときに買ったものだ。

「ならもう機嫌直せよ、子ネコちゃん。」

「今まで子ネコとか言われたこと無いし。」

「はいはいそうだよね。お好きなように。」

「おまえが運転中じゃなかったら、どっちが子ネコか思い知らせてやったのに…。」

ふたりはなんとかそれ以上の喧嘩にならないよう抑えながら、ボストンハーバーから市内へ辿り着いた。



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