見つめていたい


□見つめていたい
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2度目にやっとスーパーから出て家に帰り、ルームメイトに頼まれた買い物を渡した後、ヒョクチェはようやく眠りについた。彼は疲労困憊していた。買ってきたスナック菓子も夕食も摂ろうとせず、ヒョクチェは下着一枚になって毛布の下に潜り込んだ。

深い眠りに入り始めたその時、携帯のけたたましいアラームによってヒョクチェは荒々しく起こされた。飛び起きて、ヒョクチェは電話を探してベッドをあちこち引っ掻き回した。そして眠たげな目を細くして画面に表示された文字を見た。

“Haeに電話” …? 何だこれ…? 

ヒョクチェは眠い頭で考えた。画面を閉じ、目を閉じたが再び目を開ける。仕事関係の誰かに電話することになっていたっけ…?彼は該当者を探し出そうと連絡先リストをくまなく探した。ほとんど無意識だった。そして再び眠りに落ちた時、携帯は枕と頭の間に挟まれていた。

呼び出し音が一度、二度鳴り、電話は繋がった。そして穏やかで楽しげな声が電話の反対側から聞こえてきた。

「お、ワオ!ほんとに電話くれたんだ!」

「ぅうーん」 

ヒョクチェはまだ半分眠っていた。これも夢なんだろうか。

「あの…どちら様ですか?」 

“Hae”という名前に思い当たらないかどうか探りながら訪ねた。

「あれ。憶えてないの?スーパーマーケットであんなにサービスしたのに?」 

電話の向こう側からは不満で口を尖らせているような声が聞こえてきた。

「…?…でも…何のことか…スーパーマーケット?」

ヒョクチェの眠たげな思考は、あちこちに散らばった点を手繰りで寄せ集めようとしていた。声は酷く疲れていた。

「Hae…DongHae……ドンヘ?」 

一瞬の間をおいて、ヒョクチェは言った。

「あの、キスのレジ係?」

「ヒント1つで判ったね!」

ドンへは笑った。

「ハロー、いま俺、立場的に不利だよね。きみの名前をまだ知らないんだもの」

「俺の携帯はくすねたけど、レジで俺のクレジットカードを渡された時は名前をこっそり見なかったんだ?」

「俺は真面目な従業員だから。お客様のプライバシーは尊重するんだ。」

まったくもって真剣にドンへは言ったが、お客様にキスをするというプライバシーの尊重と反する件には触れなかった。

「ふふ、きみはキスひとつ奪って俺に携帯番号を寄こしたから…少なくともディナー1回は奢ってもらわないと名前は教えられないな。」

ヒョクチェの目が徐々に覚めてきた。

「ふーむ、ディナーか。妥当かな。俺の給料じゃあんまり良い食事は奢れないけど、スーパーの近くのデリでもいい?」 

ドンへは申し出た。

「俺は金で釣らなきゃならないような甘えん坊じゃないよ。美味しければどこでも結構。そこにしよう、いつ?」

「きみにまかせるよ。俺は簡単に時間が取れるけど、きみはどうか判らないし。」 

ドンへは一呼吸置いて言った。

「でも明日の晩なんかどうかな。」

「丁度良かった、明日は俺の今月初めての休日なんだ…。」

ヒョクチェは自分の思考ににっこりした。

「だから、お祝いだ…俺がスーパーマーケットに寄ろうか?」 

ヒョクチェは尋ねた。

「なら俺はレジ係のユニフォームで行くべきかな?」 

ドンへはからかった。

「構わないよ。」 

ドンへからは見えないがヒョクチェはうなずいた。

「よし、じゃあ明日そこでね?」

「了解!俺の休憩時間は7時からなんだ。 そのあとのシフトは誰か他の人に代わって貰うから、時間はいくらでもあるよ。」

「いくらでも?」 

ヒョクチェもくすくす笑いながら繰り返した。

「ずいぶん自信ありげだな…」

「きみは電話をくれた。夜中の2時だっていうのに。」

ドンへは指摘した。

「それって俺に興味があるって事だと思うけど?」

「アラームが鳴ったから、俺は夢うつつできみに電話をしたんだ…実際、今、目が覚めたばかりだし、俺の興味うんぬんより、きみの試みが上手くいったってことじゃないの?」 

ヒョクチェはからかった。

「でもきみはまだ、こうして俺と電話をしてる…」 

ドンへは真剣に答えた。

「確かに…」 

ヒョクチェは認めて毛布を自分の頭まで引き上げた。

「興味はお互いにあったんじゃないかな…。」

「きみへの興味を否定するつもりはないよ。きみが店に来たのはあれが初めてじゃないよね。そして食料雑貨のかなり意味深な取り合わせを俺が会計したのも初めてじゃない。でもきみは大抵疲れ切っていて、俺には無関心だった。」 

ドンへは打ち明けた。

「きみに何となく見覚えがあったのは、そういうことか。」 

ヒョクチェは頷いた。

「俺とアパートをシェアしている女の子は無精な奴なんで、生きていくために俺がいつも仕事帰りに食料品を買っていくんだ。彼女は在宅業務なんだ、うん。」 

ヒョクチェは説明した。

「きみはコンドームは最悪って思うだろうけど、タンポンを買わされる身にもなってみろよ…あ でも俺が買った事はもう知ってるか。」

「それ、きみの姉妹のためかと思ってたよ。だから、コンドームは当然きみの買い物だと思ったんだ。それにしても、きみのルームメイトって女の子なんだね。意外だな。」 

ドンへの声には驚きの色が含まれていた。

「タンポンの事は恥ずかしがらなくて大丈夫だよ。気恥ずかしそうな男どもがよく買うもの。でもきみは、いともたやすく買っていく。そんな男はそういないよ。それってむしろセクシーだ。」

「現代ではタンポンを買うのがセクシーって思われるんだ?」 

ヒョクチェは明るく笑った。

「タンポンを買うには男らしさに、それ相当の勇気と手段がないとね。」 

ドンへは再び保証した。

「恥ずかしさは初めて買わされた時に克服したしな。何もかもダメになったら、タンポン会社で働き口を探すよ。」

ヒョクチェはおどけた。

「おれにも姉さんがいるけど、彼女は今、親父と一緒に海外にいるんだ。」

ヒョクチェの見開いた目は彼の枕を見つめている。

「え、海外?何処?ティンブクトゥ?(アフリカ北西部マリ中心の町)」

「ティンブク?いや、イタリアだよ…」

「え本当?イタリアはいいよね。天気は良いしAuchan(大手ハイパースーパーマーケット)は最高に…あ…つまり、うん、良いところだ。」

ドンへはひと呼吸して会話の流れを一気に別方向に向けた。

「で、今なにしてたの?」

ヒョクチェはドンヘの話に目をしばたいた。

「きみ、イタリアに行ったことあるの?それとも俺みたいに、ただ写真を見てるの?」

「はは、行っただなんて冗談キツイな。」 

ドンへの笑い声には僅かに緊張が含まれていた。

「うーん…今、俺はパソコンの前でベッドに寄りかかってる。その前は携帯で遊んでた。」

「フーン…もしかしてエロ画像でも見てた?」

ヒョクチェはからかった。話しながら再び目を閉じてリラックスした。

「見てたらどうする?」 

ドンへは深刻な声でクスクス笑った。

「そんで一番良い時にきみが電話してきたら?」

「そお?後でかけ直したってよかったんだぜ?」

ヒョクチェは肩をすくめた。

「で、本当は何をしていたの?」

「ネットサーフィンしてた。有名人のうわさ話。フェイスブック。ツイッター。いつもの退屈なこと。」

ドンへは答えた。

「それから…きみのこと考えてた。」

「真面目に答えろよ」 

ヒョクチェは微笑んだ。 

「で?俺のどんな事を?」 

考えながら、立ち上がり、髪の毛に触れた。ここにいない相手が、目の前にいるかのように髪を整え、指を絡ませ、寝ころんだ。

「きみを見たとき」 

ドンへは続けた。

「きみは何て可愛いんだろうと思ったんだ。」

「俺が可愛い?」 

ヒョクチェは驚いた。

「子どもの時以来だよ。そんなこと言われるの。」

「マジ?じゃあ普段、なんて呼ばれているの?」

「ヒ…」 

ヒョクチェはうっかり自分の名前を言いそうになった。

「ええと、たいして良くは言われないなあ。鰯とか、歯茎とか…。」

「なんで? きみの周りの人は物の本質を判ってないな。」 

ドンへは不満げに寝返りを打った。

「可愛いだけじゃなくて、セクシーだよきみは。床に商品を落としちゃて、拾おうとしてかがむ姿がホントにヤバイ。」

ヒョクチェは赤くなり、毛布の中に隠れた。しかし初めの2つの賞賛に答えたあと、目を丸くした。

「ええっ、俺が物を拾っているのを何度も見たようなこと言うなよ…変な奴だな。」

一体いつから自分を見ていたんだと思いながらヒョクチェは言った。

「きみはよく物を落としているよ。」 

ドンへは半分クスクス笑いながら教えた。

「きみは目立ってるから。俺の仕事中の密かな楽しみは人間観察なんだ。きみは俺のお気に入りなんだよ。」

実際ヒョクチェは悪い気はしなかった。しかし口を開いて何か言おうとしたその時、ドアが開き、彼のルームメイトが支離滅裂に怒鳴ってきた。ヒョクチェはため息をつき、時刻を見た。

「なにもこんな明け方じゃなくてもいいじゃないか!」

ヒョクチェはルームメイトを静かにさせるため、怒鳴り返した。
一瞬の沈黙のあと、ドンへが言った。

「今の…バンシー(妖精)か何か?」 

ヒョクチェにクスクス笑いが戻った。

「いや、俺のルームメイト。彼女はこの時間に起きて、俺が録画しておいてやったテレビ番組を見るんだ。好きなボーイズバンドか何かが出てるらしい。おい、ドアを閉めろ!」

ヒョクチェは携帯を口元から離して怒鳴った。彼のルームメイトはヒョクチェがシリアルを補充していなかったことを怒鳴ってからドアを閉めた。

「すまなかった」 

ヒョクチェは携帯に向かって言った。

「夜中の3時に起きるのか…?」 

ドンへの眉が上がった。

「きみのルームメイトって面白いねえ…どうやら随分遅くまできみを引き留めていたみたいだ。きみはもう寝ないとな。」

「彼女は朝のテレビ番組のスタッフなんだ。どんな仕事かは忘れたけれどこの時間に起きてなきゃいけないらしい。うん、仕事も遅かったしもう寝ないと。」 

ヒョクチェは溜息をついた。

「うん…わかった。俺、きみが何の仕事をしているのかいつも空想してたんだ。多分、明日きみの名前を訊くときに教えて貰うよ。」 

ドンへは打ち明けた。そして最後にニヤっと笑った。

「また明日ね、コンドームボーイ。」

「うわ、コンドームボーイはないだろ…」 

ヒョクチェは枕に唸った。

「それは酷すぎる。俺の仕事のこと教えてやらないよ。」

「きみのせいだよ。名前を教えてくれないから。」 

ドンへは笑った。しかし可哀想になりこう言った。

「分かった。コンドームボーイはふざけすぎだ。本当のこと言うと、きみのこと、アップルガイって呼んでいたんだ。」

「アップルガイ?つまり…時々リンゴを買うからか?」

ヒョクチェはここ数日の買い物を思い出してみた。

「ハハ、違うよ。きみの買った物から付けたんじゃないんだ。まだ教えないよ。じゃあねアップルガイ!」

「ウーン…分かった。おやすみ、ドンへ。」 
ヒョクチェは微笑んで携帯を閉じた。


もう一方のソウル、日常とかけ離れた場所で、ひとりの男が同じように携帯を閉じた。微笑がその唇を美しく飾っている。そしてサテンのシーツに背を預け、溜息をついた。
 
「おやすみ、アップルガイ…」  



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