主人公について
□彼らの通らなかった道―旧ブログコメントよりB―
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世界各地で紛争防止に取り組む人々を取材した、馬場千奈津さんのルポルタージュ『ピースメーカー』の中に忘れ難い人が出てきます。
1990年代、旧ユーゴスラビアの民族紛争に巻き込まれ、ナチスの強制収容所を彷彿させる凄惨な体験を生き延びた、イスラム教徒の男性です。
この人は、紛争終結後、収容所で自分を尋問した取調官(しかもかつての自分の教師だった)に、自分から会いに行きました。
『過去に受けた仕打ちを責め立てるためではなく、「なぜあのようなことが起きなければならなかったのか」を熟考するために話し合いたかった』
というのがその理由でした。最初は会いたがらなかった相手を説得して話をしたものの、ついに相手の本当の胸の内を聞くことはできなかったそうです。
それでもこの人は、次は戦犯として服役中の、自分の村の元村長に会い、なぜ自分達を迫害する立場になったのか、話を聞き理解したいと言うのです。
『お互いに責任を押し付けたり中傷したりするのではなく、自分たちの心の中にあるものを出し合い、違いを認めて、その上でどうするかを考えていかなければならない』
と彼は言います。
そこには被害者意識や復讐心は感じられません。きれいごとではなく、迫害した当の相手を本当に理解しようとする事は、必然的に迫害される自分達の側を省みる事にも繋がるでしょう。その上でお互いの関係を築き直さなければ、紛争の根を絶つことはできないという、強い信念が感じられます。
当然本人にとっても痛みを伴うその行為は、あの作品の主人公側が、終に通ることのなかった、もう一つの戦争根絶への道でもありました。
旧ユーゴ紛争で深く傷付き、それでも自分を傷付けた相手と話がしたい、相手を理解したい(脳量子波など無い現実世界で)、そうでなければ紛争は無くせないのだと、ある意味最も自身にとって過酷な「解り合う」道を自分の意志で選んだ人。私が見たかったのは、その人にも自分自身の言葉で誠実に応えることができる、そんな主人公だったのだと思います。
(許されるとは思っていない)と口を閉ざすのでは
なく…。
それでこそ現実に拮抗しつつ、現実の世界で生きる人々にも、力を与える作品になり得ると思うのです。
参考‡『ピースメーカー』馬場千奈津著 岩波書店
2008年刊
初出2011.8.7.フォレストブログの自己コメントに加筆・再編集