宇宙の病院船(妄想)


□〈11〉
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痛みを感じる暇も与えぬほどの手際良さで、医師は注射針の尖端を、ベッドに固定されたアドリーの右腕の静脈に的確に射し込んだ。直ちに薬剤の注入が始まった。


医師の背後には、アドリーの夢にまで登場したあの尋問官が立ち、医師の手の動きを視線で追っていた。薬剤の注入を確認すると、彼は椅子に腰を下ろし、興味深げにアドリーを見守った。


アドリーの右腕の固定具は既に外され、彼の四肢は拘束されることなく、自由に動かせる状態だった。このことは彼にとって意外だった。これから自分の心身に起こる変化と何か関係があるのだろうか? いずれにせよ彼は自己を失うぎりぎりの瞬間まで、その変化を可能な限り客観的に認識しようと決意していた。


たとえ正常な意識を喪失しても、相手の知りたい情報は一切手渡さない抵抗の方法は、既に彼の中に準備されていた。それは彼がこの一年間に人革連での厳しい訓練から体得したものであり、ここで出逢った筋金入りの教官から聞かされ、彼自身深い関心を抱き、実践したいと考えていた方法でもあった。そしてこの人体実験室へ連行される直前、夢に現れて彼に触れた、レザーの母ライハーネ・イスハークの「幻」が、彼に最後のヒントを与えたのだった。思いもよらない形で、己を試す時が来ていた。


アドリーは呼吸を整え、眼を開けたまま、白い天井にある光景を思い描いた。今目を閉じてしまうことには、まだ抵抗があった。


中庭に立つ、よじれた幹に波打つ縦皺の刻まれた、樹齢1世紀近い葡萄の古木。重なり合いしだれる葡萄の葉。左右に開いた太い腕のような大枝から、更に分かれて曲がりくねった枝々。その上部に設えられた葡萄棚。石造りの噴水。噴き上がる水の向こうに見える、早緑の葡萄の房々。中庭に面した邸の二階の部屋の窓から、葡萄の豊かな実りを見下ろす青衣のひと。


それが彼が幼い頃初めて見たイスハーク夫人だった。


アドリーは記憶を遡り、イスハーク家で働き始めた頃のことを可能な限り細部まで思い出し、脳裡に描き出すと同時に、その光景を物語るように心の中で明確な言葉にすることに全神経を集中させた。そうすることで、サーシャ・ゲルツェンのことを、一切意識から遮断しようとした。
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