宇宙の病院船(妄想)


□〈12〉
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イスハーク家の農園では、繊維が特に長く上質なエジプト綿を更に改良した、比較的病気に強い品種を栽培していた。こうした改良品種はダハールからの支援で作り出されたものだった。ザドキアの軍事独裁政権が欧米から受けていた経済制裁の影響で、ユニオンの巨大企業の作り出した遺伝子組み換え作物の種子や苗を輸入することはできなかったからである。ザドキアはそれを逆手に取って、品質と安全性双方の高さを謳い、農作物をダハールや人革連エリアへ輸出していた。ザドキアは24世紀の現在も主要な産業は農業だった。地下資源には乏しかったが、比較的農地には恵まれており、四月から九月にかけてはほとんど雨の降らない気候も綿花の生育に適していた。綿花のほかには、小麦、オリーブ、葡萄などいずれも良質のものが作られていたが、それらは自給のため、ザドキアの人々の生活を豊かにするためではなく、国外へ輸出して国家の経済を支えるためのものだった。その農業を底から担っていたのは、低賃金で働く子供たちだった。


ザドキア綿はオーガニックコットンとして高値で輸出された。農薬を使用しない分害虫の駆除が欠かせず、それはイスハーク家に雇われる子供たちの仕事の一つだった。葉や茎に付くダニや、茎の芯を食い荒らし綿花を枯らす蛾の幼虫を、手作業で取り除き、集めた虫を喰われて枯れた綿花や麦藁の屑と一緒に焼くのである。除草剤も使わないので、綿花を植えた畝と畝との間は大人が草刈り機で雑草を取り除き、綿花の根元など細かな部分は子供たちが手作業で草を抜いた。


その他、綿花を枝分かれさせて収穫を増やすための摘芯と呼ばれる作業や、農地内の井戸から水を運んでの水やり、開花した綿の花の受粉、降雨や実の落下を避けて品質を保つため、短時間で一斉に行う必要のある綿の実の摘み取りまで、子供たちの仕事はそれぞれの季節で限りなくあった。


働く子供たちの年齢は下は7歳から上は15歳まで、彼らと大人の労働者を統轄する50歳を少し過ぎた監督がいた。彼の名はラザック・アイマンといった。彼は子供が農園に新しく入るたび、最初は年齢に合わせて直接仕事を教え、その子の覚え具合を観察しながらいくつかの仕事をさせては、作業の速さや体力によって適した仕事を割り振っていくのだった。7歳で農園に雇われたアドリーも、最初の仕事である雑草引きを監督から習った。
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