04/01の日記

02:16
3月31日にメッセージを下さった訪問者様へ
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ご感想を頂きありがとうございます。興味を持って読んで頂けたようで良かったです。

訪問者様ご自身アニメ二期を見た瞬間、「ああ、逃げたな。製作側め」としか思えなかったとのこと、鋭いですね…私は二期一杯何とかいい方向に解釈しようとし続け、劇場版を見るまでは結論を出すのは待とうと思い、映画館の座席でようやく堪忍袋の尾が切れたぼんやり者です(^^;。一期は本当に真面目に考えながら観ましたよね…!それだけに作品に対して厳し過ぎるところはあるかもしれません。

「死をもって償うことだけが筋を通すことではない」というご意見、色々考えさせられました。ううむ…自分の場合、特に拘ってしまうのはアレルヤで、やはりあれだけの子供たちを殺しているということが大きくて重いです。彼はマリー(ソーマ)から名前を貰って、番号で呼ばれるだけの被験体から人間としての存在を取り戻した訳で…その彼が生き続けるのなら、マリーの方だけを向くのではなく、「被験体」のまま自分自身の名前を取り戻すことなく彼がその手にかけた子供たちに、せめて何ができるか考え抜いて欲しいです。今でも。
彼と共に超人機関を脱走した子供たちのことでもいい、それぞれどんな子だったのか、宇宙を漂流する間にどのように亡くなったのか、彼(ハレルヤ)がその子に何をしたのか、公的に証言することで、こういう子供たちが確かに存在したのだと、自分の言葉で世界に知らせて欲しい。これは彼を裁く法廷でということになるのかもしれませんが…。拷問よりも死ぬことよりも彼にとっては辛いと思いますが、本当にするべきことはこちらなのではないかと考えました。

訪問者様が想像されるように、生き残った彼らが残りの人生のすべてをかけて、世界のために戦い続ける… その戦いの中に、例えば少年兵達を救出するためのミッションもあれば…それは一つの償いになるのではないかと思います。

二期で拘束されていたアレルヤには、ニールの考え方に近いものがあったのかもしれませんね。ただ、ニールなら、劇場版終盤でのアレルヤのように「それでも善だ!」とは決して言わなかったのではないかと思います(個人的には、制作側はどんな状況であれ、あの作品の中で主人公にあの言葉を言わせてはならなかったと考えています。最後まで自身の罪と悪を背負うという意味で)。

長いお返事になってしまい、読み辛かったら申し訳ありません。

訪問者様は、オリジナルキャラで00の夢小説を書いていらっしゃるのですね。がんばって下さい!
読んで下さってありがとうございました。お気が向いたらいつでも来て下さいね。(*^^*)



☆コメント☆
[イゼ] 04-01 19:30 削除
丁寧なお返事、ありがとうございました。
そして名乗り忘れていたことに気づきました。
イゼと申します。

あなたは本当に真面目で、そして優しい方ですね。
アレルヤや超人機関関連のあなたの文章が、好きです。
超人機関の一件に対して、様々な批判は見かけるものの、あそこにいた子供たちに対してここまで思いやりを持った考え方をしている人は初めて目にしました。
私自身、アレルヤは作中で二番目に好きなキャラなので(ちなみに一番はハレルヤです)どちらかと言えばあまり彼には死んで欲しくないのですが、そうですね…おっしゃるように、劇場版で死ぬのもありだったかもしれません。
たとえそうなったとしても、彼はマリーに謝罪することはあっても「死にたくない」とは決して言わないでしょう。
「それでも善だ」という言葉に関しては、私も正直少し笑ってしまいました。
その「善」が、彼なりの贖罪の一環であるのだろうとは思いますが。
まぁ、彼らしいと思います。
彼自身も言っているように、間違いなく「僕自身も矛盾」していて、稀代の殺人者であることを認めていながら、自分はまだ人でなしではないと思っていたり、マリーを戦わせたくないと言いながら、最初から複座で設計されていたハルートにあっさりマリーと同乗していたりします。精神的な弱さも沢山見せてくれる一方で「ハレルヤは僕だ」とはっきり言い切れるだけの強さも持っていて。(もし私がアレルヤだったら全力で否定していたと思います)
自分の認めたくない部分と葛藤しながら必死に向き合おうとする彼の未熟さと矛盾が、私は結構好きだったりします。
物語には描かれていないけれど、生き残った彼がいつか、二度と自分たちのような存在を作らないために尽力してくれることを期待しています。

長文失礼しました。

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